2014.1.11原子力市民委員会静岡意見交換会の感想
原子力市民委員会による静岡意見交換会が菊川市でもたれた。西は湖西、東は三島から50人ほどが参加して、市民委員会による報告書『原発ゼロ社会への道−新しい公論形成のための中間報告』之関する意見交換がもたれた。
はじめに委員会座長の舩橋晴俊さんが市民委員会の目的と活動について話し、原子力規制部会会長の井野博満さんが新規制基準の問題点を話した。この報告への意見を10数人が述べ、それに委員会側が答えた。現地の市民と学者が議論する機会だった。
以下は報告や意見を聞いていての感想である。
座長は問題提起で、原子力複合体の存在を指摘し、日本社会の多元的な変革が課題となっているとしたが、報告書でのこの問題への指摘は弱い。
「原発ゼロ社会への道」という題がよくない。政治宣伝で使われるようになった「原発ゼロ」という表現には以前から違和感がある。「原発のない社会への道」の方が日本語としていい。「核・原子力のない社会への道」とした方がいいのかもしれない。目の前の課題は再稼働の阻止であるが、長期的には核の廃絶であるから、そのような視点を持った報告書であるべきだろう。報告書は委員会の4部会が報告する形で、4章に分かれていた。第3章が原発ゼロ行程部会、第4章が原子力規制部会によるものである。「原発ゼロ行程部会」という部会をつくっているから、このような「原発ゼロ」表現になるのだろう。
最近では核・原子力への根本的な批判のない「原発ゼロ」論、原発を増設してきたことに責任をとらないままの「原発ゼロ」論も存在する。原発はいらないが核兵器は必要という者もいる。このような動きを克服しなければ、「原発ゼロ」論は日本社会の多元的な変革をなしえない。原子力市民委員会という名前もあいまいだ。
意見交換会の後、座長に「原発ゼロ」は、英語では何と訳すのかと聞いた。「NO NUKESかな、WITHOUTでは弱いし・・」と言っていた。NO NUKESは反核と訳されてきたが、最近では「原発ゼロ」と言い換えようということなのだろうか。「反核」というと響きが強くて人は集まらず、「原発ゼロ」なら柔らかで集まりやすいというのだろうか。政治屋にとっては都合のいい言葉なのだろう。
「原発ゼロ」は原発をなくすという意味なのだから、そんなに気にする必要もないのかもしれないが、反原発・反核の思いで生きてきた者としては気になる言葉である。美しい国土のために原子力発電はやめるが、軍備は強化しよう、戦争も必要だという者たちもいるのだから。「原発ゼロ」という言葉は使わないで、原発反対を表現したいと思う。
(竹)