第34回2・11思想と信教の自由を守る静岡県西部集会

   小林眞「今、改めて靖国を問う」

 2014年2月11日、浜松市内で、第34回2・11思想と信教の自由を守る静岡県西部集会がもたれ、150人が参加した。集会では小林眞さんが「今、改めて靖国を問う」の題で講演し、その後、現状をどう打開するのかについて、意見交換がなされた。小林さんの話を要約すると次のようなものだった。

 幼少のころ、大阪で、魚の行商人夫婦の子が3人戦死したという話を聞いたことやキリシタン禁制の高札をみたことなどから、戦争反対や信仰の自由への思いを持った。進学したキリスト教系の大学でも、学校をあげてキリスト者が建国記念の日復活などに強く抗議する姿をみた。

国家神道の形成についてみれば、1871年の「郷社定則」で、伊勢神宮を頂点として在郷の神社が統合されたが、それが今も力をもっている。1873年には、紀元前660年を「紀元節」として制定したが、その時は縄文時代であり、天皇などいなかった。天皇制は架空から出発している。この日が、いまでは「建国記念の日」とされているわけである。

その後、天皇主権の大日本帝国憲法が定められ、ご真影への敬礼、教育勅語朗読などの儀式が定められた。1914年には全国の神社で「紀元節祭」がおこなわれ、天皇制神話が強められた。戦後は、国家神道が否定されたが、1950年代から建国記念日復活の動きがはじまり、1966年に「建国記念の日」が制定された。戦中に弾圧された体験を持つキリスト教会はその反対運動をおこなった。

靖国神社は1869年の東京招魂社から始まり、1879年に、靖国神社と改名された。1882年には遊就館が作られた。靖国神社は、国家の保護の下、陸海軍省の共同管理とされて運営され、戦時には「靖国で会おう」という言葉で人々を戦争に動員した。軍人軍属246万人がいまも神(命・みこと)とされている。台湾や朝鮮出身の軍人軍属も約5万人が合祀されている。取り下げの要求も拒否している。

戦後は、靖国神社は一宗教法人として出発し、遊就館は廃止された。しかし、1969年には靖国神社国家護持法案がだされるなど、廃案にはなったが、復活の動きが強まった。1978年にはA級戦犯が合祀されたが、この合祀以後、昭和天皇は参拝しなかった。

1979年の元号法制化、1999年の国旗国歌法、2002年の遊就館の再開と靖国と天皇制が強められた。この遊就館は「英霊」と戦争を賛美する記念館である。

靖国神社は侵略戦争を精神的に支える役割を担った。過去の戦争を「聖戦」と美化する人々はこの神社の国家護持を求め、公式参拝をすすめる運動をおこなってきた。

戦後、28人の首相のうち、14人が参拝した。A級戦犯合祀後、5人が29回参拝している。その内訳は、田中5、三木3、福田4、大平3、鈴木9、中曽根10、橋本1、小泉6、安倍1である。

今回の安倍首相の参拝に対して、アメリカ政府は参拝しないように進言してきたが、昨年の12月26日に安倍は参拝を強行した。これに対し、アメリカ政府は「失望」を表明し、中国・韓国は強く抗議した。中国の駐日大使は「日本の指導者の参拝は侵略戦争の性格と責任に対する認識にかかわるもので、中国は絶対に受け入れることはできない」と記した(毎日新聞12月30日)。

靖国参拝については、信教の自由、政教分離、戦争肯定の歴史観、A級戦犯合祀、天皇との関係など、さまざまな問題がある。靖国神社がある限り、問題が起きるわけである。(以上要約)