第7回強制動員真相究明全国研究集会報告
〇基調報告
2014年3月15日、第7回強制動員真相究明全国研究集会「強制動員解決への道」が立命館大学で開催され、110人が参加した。
集会は、立命館大学コリア研究センターの勝村誠さんのあいさつで始まり、基調報告では、山本晴太さんが「韓国と日本の最高裁判所と法的責任」、板垣竜太さんが「植民地支配と強制動員問題」の題で問題提起した。
弁護士の山本晴太さんは、日韓両政府の日韓請求権協定での「被害者の実体的権利」、「外交保護権」、「裁判上の請求権能」をめぐるそれぞれの解釈の変遷についてはなした。山本さんは、現時点では日韓両政府とも「実体的な権利」は認めているとし、「日韓請求権協定による解決済論」は意味のない風評であり、事実に向き合い、被害回復の具体的な方法を考えるべきとまとめた。
板垣竜太さんは、植民地支配の問題は平和に対する罪、人道に対する罪の視点からとらえられるとし、1965年までの植民地支配の責任をめぐる系譜を示した。そして、強制連行の問題が政治的な情勢のなかで語られてきたことにこそ、この問題の意味があると語った。
〇不二越・崔姫順さんの証言
強制動員被害者の証言では、不二越に連行された崔姫順さんが体験を話した。崔さんの父は小学校3年の時に満州に行き、帰ってこなかった。母は家政婦をしながら崔さんを育てた。全羅北道全州の海星小学校で勧誘されたが、母は反対した。崔さんは先生の言葉を信じ、1945年2月末に全州から釜山を経て、不二越に連れていかれた。不二越には3月1日に着き、1か月にわたり軍隊式の行進などを強制された。工場では、軸受2課でベアリングの仕上げの仕事をさせられた。指のけがをしても通院しながら働かされた。一部屋に25人が詰め込まれ、粗末な食事であり、手紙は検閲された。賃金は全くもらえず、空襲にもあった。八・一五を経て、道庁の関係者が迎えに来てやっと帰れることになった。母は全州駅で毎日、帰りを待っていた。
崔さんはこのように連行の体験を話し、日本政府と不二越は、私のような幼い子どもを、ウソをついて連れて行ったのに良心を示そうとしない、政府と不二越は本気で過ちを認めてほしいと語った。
〇各地の報告
基調報告と証言の後、集会では特別報告がなされ、佐賀の戦没者追悼と平和の会の塩川正隆さんが「遺骨を遺族のもとへ」の題で話した。塩川さんは、沖縄戦で戦死した父の「霊石」を示し、このような石を受け取らないと遺族年金がもらえないとされ、遺骨が遺族に返されることなく現地に放置されてきた問題点を話した。塩川さんは日弁連の「日本本土以外の戦闘地域・抑留地域における戦没者の遺体・遺骨の捜索・発見・収容等の扱いに関する意見書」(2012年)を示しながら、立法の必要性を話し、韓国人遺族と遺骨収集での共同作業について紹介した。
続いて、李一満さんが東京大空襲での朝鮮人犠牲者の遺骨、高橋信さんが三菱名古屋韓国裁判と日韓の共同の運動、大阪の教員が強制連行プリントの回収事件、小林久公さんが郵便貯金未払い問題、川瀬俊治さんが橿原神宮での朝鮮人建国奉仕隊、藤井保仁さんが群馬の追悼碑をめぐる攻防などについて話した。これらの報告の詳細については、研究集会の資料集を参照してほしい。
〇洛北の朝鮮人の歴史を歩く
集会の翌日には京都の朝鮮人史のフィールドワークがおこなわれ、50人が参加した。春の花が陽に輝き、風に揺れる好天のなか、水野直樹さんの案内で、洛北、上高野の三宅八幡神社の「韓国合併奉告祭碑」、八瀬の叡山ケーブル工事跡、田中の京都造形芸術大高原校舎前の詩人尹東柱の碑、田中玄京町の卓庚鉉(特攻隊員・沖縄で戦死)の居住地跡などを見学した。朝鮮人が集住した田中の養生小学校では、戦後、民族学級が生まれたが、その近くの公園で、在住する朝鮮人研究者から地域の歴史の話を聞くこともできた。
〇 日韓協定解決済論の克服を
最後に、山本晴太弁護士の日韓請求権協定に関する解釈の変化についての問題提起を、もう少し詳しくまとめておこう。山本さんによれば、日韓請求権協定の後の財産権措置法は、請求権協定で解決したとする「財産・権利および利益並びに・・請求権」のうちの「財産・権利および利益」を消滅させるというものである。これは、すでに実体的に存在している財産・権利および利益を消滅させたものであり、請求権は残っている。財産権措置法が制定されたことは、請求権協定が実体的権利と請求権能を消滅させたものではなかったことを示す。
日本政府は、1965年の日韓請求権協定により、外交保護権はなくなったが、実体的な権利と請求権能については消滅してはいないとしていた。1993年の衆議院予算委員会では、賠償請求の場合、請求して確定判決が出ると、請求権が実体的な権利になるとしている。その後、戦後補償裁判で原告が損害賠償や未確定の未払い賃金を請求し、また、アメリカでも裁判が起こされるなかで、日本政府は、実体的な権利と請求権能も無くなったとし、解決済みを主張するようになった。しかし、この解釈は、日本の下級審判決で受け入れられず、政府は実体的な権利については認めるが、請求権能は認めないとするようになった。
他方、韓国政府は、当初は実体的な権利も認めないという立場であったが、戦後補償裁判が始まるなかで、2000年に入り、実体的な権利や請求権能をともに認めるようになった。さらに2005年の官民共同委員会の判断では、慰安婦問題など日本が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたとはみなさず、日本政府に法的な責任が残るとした。そして、2012年の大法院判決は、反人道的不法行為だけでなく、「植民地支配に直結した不法行為」をあげ、強制動員被害者の請求権についても日韓請求権協定の範囲外とし、外交保護権も消滅していないと判断するようになった。
このように、日韓両政府とも請求権協定の解釈では「実体的な権利」は認めているわけであり、被害回復に向けての具体的な方法をすすめることができる。動員被害者の権利と尊厳の回復を第一の課題にし、「日韓協定で解決済み」とする宣伝や言い逃れを払拭するような運動が求められているわけである。