426浜ネット集会・河合弘之弁護士と菅直人元首相が講演

 

2014426日、静岡市内で浜岡原発を考える静岡ネットワークの集会がもたれ、400人が参加した。集会では河合弘之弁護士と菅直人元首相が講演し、講演後、河合弁護士と菅元首相が対談した。

河合弁護士は、新規制基準と浜岡差止裁判についてつぎのように話した。

原子力規制委員会の新規制基準(20137月)を「世界最高水準」と宣伝しているが、その根拠はない。函館市は大間原発建設に反対して、市民と地域を守る立場で「自治体を維持・存続させる権利」を主張して建設差止を提訴した。福島事故後の原子力災害特措法の改正で原発30キロ圏内の自治体での避難計画が義務化されたが、函館市は義務だけを求め、建設に対する権利はないのかと言っている。

浜岡差止裁判控訴審では、20137月の新規制基準の成立を待って口頭弁論が再開された。この新規制基準で安全なのか、たとえ安全としても再稼働申請の内容や追加工事で安全であるのかが争点となる。中電は政府の決めた津波審査ガイドを守ろうとしない。そもそも浜岡原発震源の上であり、人口は多く、立地審査指針での離隔要件をみたしていない。  

河合弁護士は最後に、飯館村の村民歌を紹介して、手をつなぎ浜岡原発を止め、地域を守っていくことを呼びかけた。

菅元首相は、福島原発事故での首相としての対応、浜岡原発停止要請の経緯、今後の課題についてつぎのように話した。

311日、地震後に福島原発が無事に停止したという情報のあと、全電源の喪失、全ての冷却機能停止の報告を受けて、背中がゾクッとした。水位計は壊れ、311日の午後650分には1号機の核燃料の頭が露出して溶けはじめ、その後全てが溶けていった。核燃料は圧力容器の15センチの鋼鉄を溶かして、メルトスルーし、翌日、水素爆発を起こした。避難を決断しようにも、東電からは正確な情報が伝わらず、また、オフサイトセンターは機能せず、状況がつかめなかった。2号機は底の方でドーンという音がして穴が開いた。3号機も爆発し、定期点検中の4号機も水素爆発した。

このなかで、東京も含む250キロ圏内5000万人が避難する状況になる危険もあった。この経験から原発に対する考え方を変えた。20144月、10日ほど前のことだが、国会の委員会で東電社長は、2号機格納容器内は70シーベルト、水の深さは60センチといった。燃料に水がかぶっているのかと問うと、「わからない」と答えた。

浜岡原発を201155日に海江田経産相が自らの判断で視察し、翌日、地震の可能性があり、停止したほうがいいという報告を受け、停止を要請した。浜岡を止めると佐賀の玄海原発の再稼働、安全なものから再稼働させるという動きが起きた。このような動きのなかで、再稼働の条件として、保安院の承認、原子力安全委員会の承認、ストレステストの実施、地元自治体の同意という条件を示し、それをクリアしたら4大臣で判断することにした。その後、大飯原発の再稼働があったものの、現在では全原発が停止している。

今止まっていても何とかなっているという論も妥当なものであるし、使用済み核燃料を何万年も後の世代に残すことは無責任である。首相として経験したことを一人でも多くの人々に伝えることが使命だと思い、発言を続けている。浜岡停止後の2013年に浜岡を視察し、中電から防災対策の説明を受けたが、説明のあとで、事故が起きたら、どれくらいの人が逃げるのか、経済活動への影響は、と聞くと、中電は答えに詰まり、「それは国と県が考えること」と答えた。中電にとっては、いかに事故が起きないかを考えることが仕事なのだった。浜岡では再稼働の申請が出ている。地元の判断、立地住民の意向が問われる。ここが闘いの場だ。原子力の利権というよりも大きな原子力の経済構造の力があり、その復活は着々とすすんでいる。これからが本当の意味での勝負の時だ。50年後には原発のない状況を作りたい。(要約)

集会には湖西市長、牧之原市長からメッセージが寄せられた。牧之原市長はそのメッセージで「県から避難計画が示されましたが、改めて90万人近い住民が避難しなければならないこと自体が異常」と記し、再稼働させずに永久停止を求める意思を示した。避難は不可能であり、このような異常な状況を強いる中電の再稼働の動きを、地域民衆の力で止めなければならない。 

集会では、人権・環境派と保守の良心層の連立によって「脱原発」が実現するという訴えもなされた。また、静岡永久停止訴訟の鈴木敏弘弁護士、静岡の金曜アクションから、連帯の挨拶があった。集会の前の総会で、代表は白鳥良香さんから鈴木卓馬さんに変わった。新たな体制で浜岡原発の廃炉に向けて活動をすすめていこう。唯一の防災は廃炉である。(T)