護衛艦『たちかぜ』いじめ・自殺事件、東京高裁で勝訴

〇東京高裁で勝訴判決

2014423日、東京高裁で「たちかぜ」裁判の判決が出された。判決の日、たちかぜ裁判をささえる会は高裁前で、「自衛隊員一人一人の命を軽んじるな」と記された横断幕を掲げ、チラシをまいた。多くのマスコミのつめかけるなか、判決は大法廷でなされ、裁判長は小声で判決を読みあげた。冒頭で、「原判決を変更する」と語り、続いて、遺族の母に5461万円と姉に1870万円を、それぞれ利子をつけて支払うこと、国の主張を棄却すること、国による文書隠匿についても遺族にそれぞれ10万円を支払うこと、訴訟費用は2分すること、仮執行ができることなどを告げた。勝訴だ。小声でよく聞き取れないため、傍聴者は声が出せない。この判決の理由を語ることなく、裁判官は退席した。

東京高裁前で弁護士が「完全勝訴」の幕を掲げ、支える会の横断幕の前に立つと大きな歓声があがった。高裁前で弁護団と遺影を持った遺族がマスコミから取材を受けた。弁護団の岡田弁護士から、判決の骨子が明らかにされた。東京高裁は横浜地裁の原判決を変更し、国及び先輩隊員に、約7330万円の損害賠償の支払いを命じ、国による文書の隠匿も違法とし国に対して20万円の損害賠償を認めた。争点はいじめと自殺との予見可能性と相当因果関係であったが、高裁はそれらを認め、損害賠償額を増額したのである。

 

〇「たちかぜ」事件の経過

 海上自衛隊に入隊したTさんは4カ月の訓練後、横須賀に配属され、「たちかぜ」の乗組員になった。当時「たちかぜ」は司令部の旗艦だった。その艦内で先輩隊員の2曹からエアガンでの射撃をはじめ、恐喝、暴言を受けた。20041027日、Tさんは京浜急行の立会川駅で身を投げて、自殺した。その際、「お前だけは絶対に許さないからな」と先輩隊員を批判する遺書を残した。翌年1月、先輩隊員は別の隊員への暴行などの罪で有罪判決を受け、その後、懲戒免職となった。複数の隊員に暴行を繰り返していたのである。自衛隊はこの事件に関して隊員からアンケートを取り、暴行の実態を調査していた。

両親は自衛隊側の不誠実な対応のなかで提訴を決意、息子の同僚から情報を集めて200645日、横浜地裁に提訴した。この提訴により、「たちかぜ」裁判を支える会が神奈川・横須賀の市民を中心に結成された。2011126日、地裁判決が出された。判決は先輩隊員の不法行為、国の安全配慮義務違反、いじめと自殺との事実的因果関係を認めたが、自殺への予見可能性はなかったとし、相当因果関係を否定した。相当因果関係を否定することで、自殺についての責任は問わず、賠償責任を限定するという不当な判決であり、賠償金はいじめによる精神的苦痛についての440万円とした。父は判決前に亡くなっていたため、母と姉が控訴した。今回の判決はこの控訴審判決である。

 

〇自衛隊内部からの告発

「たちかぜ」裁判では、原告側は自殺直後に海上自衛隊でとられたアンケートの公開を求めてきたが、海自は破棄したとした。しかし、この裁判を担当した自衛隊の法務官の海自の3佐(法学部出身)が、そのアンケート(艦内生活実態アンケート調査)が存在することを明らかにした。3佐は法務官としてアンケートの存在を知り、転任後も悩んだ。3佐は公益通報制度を利用してアンケートの存在を指摘したが、公開はされなかった。3佐は地裁判決前に情報公開の佐官にアンケートを出すように申し出たが、聞き入られなかった。その結果、3佐は原告の弁護士に手紙を出した。そして、20114月、東京高裁に陳述書を出したのである。

それにより自衛隊側は6月に入ってアンケートの存在を認め、陳謝した。その結果、9月にはアンケートを含め200点余の新証拠が高裁に出された。新証拠には、自殺前に顔に玉で撃たれたようなあざを負っていたことや自殺を他の隊員が心配していたことなどが明らかになった。新証拠により、いじめと自殺との相当因果関係をより立証できたのである。201312月には、3佐が証人として法廷に立った。

遺族の思いが自衛隊担当官の良心と正義を揺り動かし、内部告発につながった。2014年に入って集められた緊急署名は団体署名719、個人署名4万8700筆が集まった。

このような経過で東京高裁は、原判決を変更し、いじめによる自殺の予見可能性を認め、いじめと自殺との相当因果関係を認めたのである。控訴審当初、裁判官はやる気を示さず。早期の結審の意向であったが、新証拠が出される中で、弁論・証人尋問をすすめざるをえなかった。亡くなってから10年後の勝訴だった。

〇判決報告集会

判決後、衆議院第1会館で報告集会がもたれた。会場正面には「勝訴、自衛隊の人権侵害に終止符を、防衛庁は『自殺』の責任を自覚し、『証拠隠し』の反省を」と記された幕が張られた。

弁護団からは、判決の内容と成果が示され、争点となっていた自殺の予見可能性、相当因果関係を認め、いじめによる自殺について約7330万円、文書の隠匿について20万円の損害賠償を認めたこと、艦長ファイルやアンケートの文書の隠匿の隠匿を認め、それが損害賠償の対象となったこと、国が出した借金による自殺論を噂話であり、事実として認定できないとしたこと、被告側の乙号証によって損害賠償請求を決定していること、自衛隊側の資料の独占状況から資料を公開させ、控訴審では新たに200余の証拠を出さしたこと、三佐の内部告発を生み、隠蔽工作があったことがわかったことなどが語られた。

参加した市民や弁護士からは、今後の解題としては、防衛大臣がすすんで遺族に謝罪してほしい。人権侵害のない自衛隊にしてほしい。軍事オンブズのような組織が求められる。不十分ではあるが、公益通報制度が機能できるようにすべき。内部告発した3佐を処罰させてはならない。自衛官の命を守るために親(家族)の会を作りたい。自衛官へのアンケート活動をすすめていきたい。私も裁判をしているが、自分のことのようにうれしい。闘うものがあって人間を動かす・・、人は信じるに足るものといった意見が出された。

記者の質問に答えて、原告の母はつぎのように話した。感無量です。この日を迎えることができ、今はうれしい。10年が過ぎたが、おおぜいの支えで、ここまでこれた。「さわぎり」の原告からの連絡で、支えられ、九州の弁護団から岡田弁護士を紹介された。神奈川と栃木で支える活動が生まれた。裁判の目的は、息子の命を無駄にしたくなかったから。息子は戻ってこないが、生きた証を残したかった。やっとここまでこれた。弁護団は家族のように共に闘ってくれた。主人が生きているうちに無念を晴らしたかったが、これで2人に報告できる。地裁判決を聞き、許せない、相当因果関係を認めて責任をとってほしいと思った。自衛隊の実態は変わっていない。判決が生かされて自殺が減っていってほしい。判決を無駄にしてほしくない。これでわたしも前にすすめる。せめて人の役に立つことがしたい。自殺を一人でも防ぐことができれば、息子の生きた証になると思う。

自殺から10年、その真実を追及し、正義の実現を求める活動が、情報の隠蔽の壁を崩した。この日の報告会は真実と正義を実現したことをわかちあう共感の場となった。涙ながらの遺族の訴えが、自衛隊内部からの情報提供につながった。その資料が勝訴につながった。法務担当の3佐にとっても「国民にうそはつけない」という正義があり、それが遺族の真実を明らかにしたいという思いと共振したのだろう。

 

〇「人権侵害に終止符を」

自衛隊は軍事組織であり、人権を抑圧することで成立する。自殺の原因を「風俗での借金」とすり替えたように、国家は自衛官・兵士の生命に冷たい。旧軍から継続する軍事的な抑圧と現在のグローバル戦争の進行とその訓練での抑圧、そのような抑圧の二重性が、現在の自殺の増加の原因だろう。それに対し、遺族の思いの連帯が、各地での自衛官人権裁判での勝訴を生んでいる。このような遺族の生命への思いの方向に未来がある。浜松の裁判でも、遺族の深い思いから多くのことを学んだ。

自衛官一人一人の生命を大切にする動きは、国家による冷酷な人間観を問うものであり、その動きはこの国の集団的自衛権行使や改憲の動きを止める力になるだろう。戦争は内側へのテロルから始まる。そこには隊内でのいじめや暴行、排外主義の横行も含まれる。その内側の抑圧が外部への侵攻につながる。そのような動きを止めていきたい。

横須賀を中心とした支える会も、広沢さん、林さんと活動のなかで亡くなった。原告をはじめ、支える会も生命のリレーで勝訴に向けて活動してきた。集会の最後に、原告の母が「今は、誇りに思う。みなさんとの縁を大切にして、手を携えて行動していきたい」と語った。その声を聞き、勝訴してよかったと思った。

そして、真実と正義の実現に向けての思いが交差する会場のなかで、正面の「自衛隊の人権侵害に終止符を、防衛庁は『自殺』の責任を自覚し、『証拠隠し』の反省を」の文字を、「日本による戦争に終止符を、日本は『戦争』の責任を自覚し、『歴史隠し』の反省を」と読み替え、行動していきたい。この過去と現在を貫く戦争責任の問題は、いまも解決していない。

その後、防衛省は上告を断念する方針を決めた。また、内部告発した自衛官への処分の動きも止まった。原告の完全勝訴が確定した。        (竹)