NO!AWACSの20年

                      

 浜松でのNO!AWACSの会の結成は1994年のことですから、ちょうど20年前です。AWACS(エ―ワックス)とは空中警戒管制機のことですが、アメリカから日本の航空自衛隊浜松基地へと4機が配備されることになり、AWACSそのものに反対する意味でNO!AWACSの会をつくり、反対の声をあげたわけです。しかし、AWACSは1998年・99年に計4機が配備されました。

その後、地域の人権と平和の運動をおこなうために新たに人権平和・浜松を設立しました。2004年のことですが、それから10年になります。2004年にはイラク戦争への航空自衛隊の派兵がはじまり、浜松基地からも派兵されました。イラクで米軍との共同作戦・自衛隊による後方支援がおこなわれたのです。2008年にはミサイル防衛(MD)により、PAC3(パトリオットミサイル改良型)が浜松基地にも配備されました。

 この20年は、グローバル戦争が拡大した時期です。その戦争の特質は、宇宙の軍事化、ミサイル防衛と予防先制攻撃、平時の戦時化の3点にまとめることができると思います。浜松基地へのAWACSやPAC3の配備はこの宇宙の軍事化やミサイル防衛の一環であり、米日の軍事的一体化を示すものです。AWACSによる情報収集と管制はグローバルな戦争とつながるものです。いまも浜松基地から朝鮮や中国を監視するためにAWACSが飛び立っています。

このようなグローバル戦争の時代の平和運動は、平時の戦時化を自覚しながら、宇宙の軍事化やミサイル防衛に反対する必要があると思います。また、このようなグローバルな戦争の進行は軍事組織内にあらたな抑圧を生みます。そのような抑圧への現場からの抵抗の声を受けとめる人権運動も求められていると思います。

ヒロヒトからアキヒトへの天皇代替りの際、この国の民主主義と戦争責任について考えさせられました。その時期に出会った人々とともにNO!AWACSの会を結成しました。2011年の福島原発事故でも、この国の在り方、民主主義と原発への責任について考えさせられました。ともに人間の方向性を問うものであったのだと思います。

地域には地域の戦争体験があり、それが反戦平和の基礎になると思います。これからも地域にこだわりながら、人権と平和の運動をすすめていきたいと思います。

(名古屋の不戦へのネットワーク20年によせて)