巌さん反権力人権賞受賞
昨日12月20日、巌さん、秀子さんと同行して東京に行ってきました。「多田謠子反権力人権賞」の授賞式に出席するためです。
11時に浜松駅新幹線改札口前で待ち合わせ東京に向かいました。巌さんは今回も黒っぽいスーツと蝶ネクタイでバッチリ決めていました。
東京駅で東京の「救う会」の平野さん、ジャーナリストの青柳さんと合流して会場の連合会館(旧総評会館)へはタクシーでした。
多田謠子反権力人権基金は1986年29歳の若さで亡くなった多田謠子弁護士の遺産を元に設立され、1989年以来、権力とたたかい人権擁護に尽力した個人・団体に「多田謠子反権力人権賞」を贈呈してきた団体です。今年は川内原発建設反対連絡協議会、こるむ(在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判を支援する会)、そして袴田巌さん・秀子さんが受賞しました。受賞発表会ではそれぞれ受賞講演を行い、授賞式があり、終了後はパーティーという日程でした。
巌さんの出番は15時半以降であったのですが、会場にはかなり早く着いてしまいました。すでに東京の「救う会」の皆さんも来られていて、巌さんは女性の方々に囲まれ、いろいろと話をしながら本当にリラックスして楽しそうでした。皆さんが競って巌さんと一緒の写真を撮ろうとし、巌さんも自然に応じているのを見ると巌さんも秀子さんもたたかいのアイドルなんだなあと改めて感じました。
授賞式ではアムネスティの若林さんの紹介で、まず巌さんが話をし、秀子さんが引き継いで3月の静岡地裁再審開始決定以降の経過を報告しました。もっと話をしたいような巌さんの残念そうな素振りが微笑ましく感じました。また、賞の授与の時も巌さんはごく自然にVサインをしていました。そんな様子を見ると拘禁症の呪縛から巌さんがずいぶん解放されてきていると思うのは私だけではないと思います。
この日の東京行は私個人としては別の思いもありました。基金の運営委員であり、多田謠子さんのつれあいでもあった久下さんとは同じ国鉄闘争をたたかった仲間であり旧知の関係でもあったことから再開を楽しみにしていたのです。時間の関係で少ししか話せなかったのは残念だったのですが、彼が元気にたたかい続けているのを確認できました。