産業遺産情報センターを問う 

                    

 

2020年3月に内閣府・産業遺産情報センターが開館しました。このセンターは「明治日本の産業革命遺産」に関する展示施設ですが、端島炭鉱(軍艦島)を事例に戦時の朝鮮人強制労働を否定する展示がなされています。このようなセンターがなぜ設立されたのか、展示のどこに問題があるのかを話したいと思います(文中敬称略)。

1 官邸主導の世界遺産登録・「アベ案件」 

 第1に、この明治産業革命遺産の世界遺産登録が安倍政権によって、官邸主導で推進されたことに問題があります。この産業遺産の物語には、明治を賛美する支配的な歴史観が反映されています。

 この産業遺産の世界遺産登録をすすめてきたのは加藤康子という人です。かの女の父は農林水産大臣などを務めた加藤六月です。安倍家と加藤家は仲が良く、安倍晋三は加藤康子の活動に理解を示し、2012年12月末に第2次安倍政権が成立すると官邸主導で世界遺産登録をすすめました。

当初、この産業遺産は2006年、「九州・山口の近代化産業遺産群」の名で世界遺産暫定一覧表への登録めざしました。2008年10月に、この遺産の世界遺産登録推進協議会が設立され、加藤がコーディネーターとなります。同年12月には、世界遺産暫定一覧表への記載が承認されました。

2012年5月には、内閣官房の地域活性化統合事務局に「産業遺産の世界遺産登録推進室」が置かれました。同年6月、この推進室に「稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議」が置かれ、加藤もその委員となりました。

2012年末、第2次安倍内閣が成立すると、登録の動きが加速します。2013年1月に、内閣官房の地域活性化統合事務局長であった和泉洋人が首相補佐官となり、遺産登録についても推進していきます。同年3月には、内閣官房にあった「有識者会議」に産業プロジェクトチームが置かれ、加藤はこのチームのコーディネーターになりました。

この動きの中で産業遺産の名称が、2013年4月に、「日本の近代化産業遺産群 九州・山口及び関連地域」となり、さらに同年8月、内閣官房の有識者会議は、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の名で世界遺産登録の推薦候補としました。当時、文化庁は「長崎の教会群とキリスト教関連遺跡」を世界遺産の候補としていましたが、同年9月17日、菅義偉官房長官は「明治日本の産業革命遺産」を推薦候補とするように調整しました。政府は世界遺産の推薦候補に産業遺産を割り込ませ、「長崎の教会群とキリスト教関連遺跡」を後回しにしたのです。文化庁の遺産選定に介入し、「首相案件」とされた明治産業革命遺産の登録を優先したわけです。名称は、「近代日本」から「明治日本」へと変更され、明治賛美の色彩が強まりました。

この中で、加藤康子は2013年9月に民間で推進活動を担う一般財団法人産業遺産国民会議を設立し、専務理事となりました。同年12月、民間企業所有の稼働資産を含む景観重要構造物が世界遺産に登録された場合での固定資産税等の減免措置を含む税制改正大綱が閣議決定されました。稼働資産が世界遺産となった場合には固定資産税を減免する、つまり、稼働資産をもつ日本製鉄や三菱重工業が減税措置を得られるようにと優遇措置をとったのです。

2014年1月、安倍内閣は「明治日本の産業革命遺産」の登録推進を閣議了承し、政府はユネスコ世界遺産委員会に正式な推薦書を提出しました。この動きのなかで同年4月、元ユネスコ大使(2010~13)の木曽功が内閣官房参与に任命され、登録をすすめました。さらに2015年7月、ユネスコ世界遺産委員会の直前ですが、加藤も内閣官房参与となりました(~2019年7月末)。加藤も政府の一員として和泉洋人、木曽功らと登録にむけて活動したというわけです。日本政府は登録にむけて世界遺産委員会の委員国を訪問し、登録への賛同を呼びかけました。2015年7月の世界遺産登録の会議には、佐藤地ユネスコ日本大使とともに加藤、和泉、木曽が出席しました。このような経過で、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の名での世界遺産登録がなされたのです。

2 強制労働の否定と歴史の歪曲

登録時、労働の強制を認める

 この明治産業革命遺産の世界遺産登録に関して、戦時の強制労働の存在が問題とされました。産業革命を支えた高島、端島、三池などの炭鉱、八幡製鉄所や長崎造船所等の工場は戦争と共に拡張されました。日本によるアジア太平洋地域での侵略戦争の拡大により、朝鮮人、中国人、連合軍捕虜が連行され、労働を強制された場所もあったからです。

この問題提起に対して、日本政府は2015年7月5日の登録の際に、「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ(brought against their will),厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh condition)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」(日本政府訳)とし、さらにこの登録に際し、「日本はインフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である」と発言したのです。

その後、日本政府は「forced to work」は「働かされた」であり、「強制労働の意ではない」、「戦時の朝鮮半島出身者の徴用は、国際法上の強制労働にあたらない」としました。日本政府は朝鮮半島出身者が意に反して徴用されたこともあったが、違法な強制労働ではなかったという認識を示したのです。

 2017年に日本政府が世界遺産委員会に提出した「保全状況報告書」では、2015年の「意思に反して動員され、強制的に働かせた」という表現が「日本の産業を支えた朝鮮半島出身の労働者」という表現に変わり、「情報センター設置など犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」が「産業遺産保存のための普及、啓蒙に貢献するシンクタンクとして東京に情報センターを設置する計画」となり、「犠牲者を記憶」するのではなく、普及・啓蒙のためのセンターへと変えられていきました。

このように日本政府は、戦時の強制労働の否定だけでなく、犠牲者の記憶をも否定するようになったのです。

現地での歴史の歪曲

明治産業革命遺産を構成する現場では、遺産登録に合わせた歴史の歪曲がすすみました。

明治産業革命遺産の現地の英語の解説板をみると、「成功した産業化は50年ほどで植民地化なし(without colonization)でなされた」と記されています。これは、植民地にならなかったという意味にも、植民地を作らなかったという意味にもとれます。明治産業革命遺産の英語での説明では、日本は植民地化なしで産業化を遂げたとされるのです。日本語での該当箇所の説明は「国家の質を変えた半世紀の産業化を証言している」です。このように日本語と英語ではその説明が異なっているのです。日本は日露戦争によって朝鮮を「保護国」とし、さらに「併合」の名で占領し、植民地としますが、ここでは、その認識は排除されています。そこには明治を賛美し、日露戦争を正当化する歴史観が反映されています。

萩の城下町と松下村塾も明治産業革命遺産に組み込まれました。山口の萩博物館の『明治日本の産業革命遺産と萩』(世界遺産企画展冊子)をみると、萩の城下町は工業化に取り組んだ封建社会の特徴を濃密に現代に伝えるものであり、吉田松陰は「工学教育の先駆者」とされます。松下村塾は産業国家の礎を担う志を育んだ場所とされます。明治産業革命遺産とされることで、吉田松陰と松下村塾は産業化の基礎を築いたものと合理化されるのです。

長崎のグラバー邸も明治産業革命遺産の一部とされました。その解説板には次のように記されています。グラバーは「幕末の動乱期に対立する双方の派閥に武器等の取引をしていた」ために、「死の商人」といわれたが、「幕末の志士たちに私財を投じてまで援助を行なっていたことから「志の商人」とすべきではないかとも言われています」。このように、死の商人から志の商人へと美化する動きもみられます。

現在は三菱重工業長崎造船所の史料館として利用されている長崎造船所の木型場も明治産業遺産に組み込まれました。その展示からは、戦前には、水雷艇白鷹、駆逐艦白露、巡洋戦艦霧島、戦艦日向、戦艦土佐、巡洋艦古鷹、戦艦武蔵、空母隼鷹、制式空母天城などが建造され、貨客船の軍艦への転用もおこなわれたことがわかります。魚雷も生産されました。91式魚雷(航空魚雷)が展示され、その説明には、「唯一高速力・高高度からの投下に対応した強度・信頼性を有し、命中率及び破壊力ともに世界に冠たる性能を有していた」と記され、真珠湾攻撃でも使用されたことがわかります。戦後に製造された軍用艦、イージス艦なども展示されています。しかし、戦前・戦中・戦後と続いている三菱の兵器生産を批判する視点はありません。学徒動員については示されていますが、朝鮮人・連合軍捕虜などの強制労働に関する展示はありません。

三池炭鉱万田坑(熊本県荒尾市)の産業革命遺産の案内書にも変化がみられます。当初は、戦時に朝鮮人、中国人、連合軍捕虜の「強制労働」があったと記されていたのですが、別の案内冊子をみると、強制労働の部分だけが「使役」と書き換えられています。戦時の三池での朝鮮人、中国人、連合軍捕虜の強制労働の歴史が「使役」の歴史へと歪曲されています。産業遺構の解説では、産業化の技術が礼賛されていますが、労働者の歴史は示されていません。

高島の石炭資料館は高島炭鉱の世界遺産登録にともなって展示替えがおこなわれました。高島炭鉱労働組合の組合旗や資料などは姿を消しました。館内には高島炭鉱の歴史年表が展示されています。その年表を見ると、1937年の項に「満州事変後、黒ダイヤ景気となる」と記されていますが、1940年から45年の歴史の説明はなく、朝鮮人や中国人の連行についても記されていません。高島の共同墓地には三菱高島炭坑が建てた「供養塔」がありますが、長崎市はこの塔に向かう道を立入禁止としました。強制労働の歴史は明示されず、犠牲者の存在が示されないのです。

 端島では、戦時に朝鮮人、中国人の強制労働がなされました。しかし、産業遺産国民会議は「軍艦島は地獄島ではありません」と喧伝し、国民会議に委託された産業遺産情報センターの展示は、端島を事例に強制労働を否定するものとなったというわけです。

3 産業遺産国民会議による強制労働の否定 

強制労働否定の映像制作

産業遺産国民会議はウェブサイトのなかに「軍艦島の真実」というサイトを立ち上げました。そこに元端島住民の証言映像などをあげ、「世界遺産・軍艦島は地獄島ではありません」とし、強制労働の存在を否定するようになりました。加藤康子がこれらの映像制作を主導してきました。そこでは元端島住民の発言から、日本人と朝鮮人は一緒に働いた、景気がよく家族連れで来ていた、みんな友達で差別したことはないなどと宣伝しています。そこでは、戦時中に強制連行され、ひどい虐待を受け、人権を蹂躙されたと主張する人々がいるが、その多くは事実と異なる証言や証拠によるものであり、強制連行や虐待はねつ造である。「軍艦島は私たちの故郷です。地獄島ではありません」、「ねじ曲げられた歴史の宣伝に私たちが屈することはありません」というのです。

このような産業遺産国民会議の映像には問題があります。強制労働を否定する意図の下、証言が恣意的に編集されています。元端島住民の不十分な認識については訂正されないままです。かつては、端島にも納屋制度があり、戦時には朝鮮人や中国人の強制労働がおこなわれました。そのような制度の下での圧制や虐待、動員状況などを示す史料の提示はありません。強制動員された人びとの証言については細かな点を批判しますが、その証言の全体は示されません。戦時の強制連行や強制労働を認めようとしない映像なのです。

映像では、端島での家族的一体感が語られますが、労資関係は示されません。また、戦時の産業報国・労務動員などの労務支配を批判する視点がありません。歴史を批判的にみて、被害者の側に立って考える、歴史から人権と平和の教訓をえるという姿勢がないのです。世界遺産登録による観光地化と元端島住民の郷愁をもとに、自らに都合のいい歴史の物語を作りあげようとしています。

 加藤康子への権限集中

世界遺産登録を見据え、2014年、内閣官房に「明治日本の産業革命遺産の保全委員会」が置かれ、その保全委員会の下にインタープリテーションワーキンググループが置かれました。保全委員会の規約には「委員会に副会長を置き、加藤康子委員がこれを務める」(第3条の6)と明記されています。そのワーキンググルーブ設置要綱には、「ワーキンググルーブに座長を置き、加藤康子委員がこれを務める」(第2条の2)と明記されています。内閣官房からの人物として加藤の名前が規約や要綱に当初から明記されているのです。

また保全委員会の規約には「インタープリテーションの推進等について、一般財団法人産業遺産国民会議の助言を受ける」(第3条の8)とあり、インタープリテーションワーキンググルーブの要綱にも同様に「インタープリテーションの推進について、一般財団法人産業遺産国民会議の助言を受ける」(設置要綱第2条の6)と記載されています。

規約や設置要綱では、通常、会長・副会長を置くなどと記されますが、ここには加藤の名が記されています。また、特定の団体名を記すのではなく、専門組織の助言を受けるなどと記されますが、ここでは「産業遺産国民会議の助言を受ける」と記され、助言団体名が指定されているのです。

加藤は、「稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議」(2012)の委員、産業遺産国民会議(2013)の専務理事、「保全委員会」副会長(2014)、その下のインタープリテーションワーキンググルーブの座長(2014)、そして内閣官房参与(2015)となっています。安倍政権の庇護の下で、明治産業革命遺産に関する権限が加藤に集中し、インタープリテーションを私物化できる立場を得たのです。

このように加藤へと権限が集中され、日本政府から産業遺産国民会議へと明治産業革命遺産の調査・研究・運営が委託される仕組みができました。

 内閣官房から産業遺産国民会議への明治産業遺産の調査委託の状態をみてみましょう。

年度

内容

金額

2016年度

「明治日本の産業革命遺産」産業労働に係る調査

8964万円

2017年度

「明治日本の産業革命遺産」産業労働に係る調査

1億4580万円

2018年度

「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション更新に係る調査研究

1億2508万4520円

2019年度

「明治日本の産業革命遺産」各サイトの歴史全体におけるインタープリテーションに係る調査研究

1億3299万円

2020年度

産業遺産情報センターの運営開始に向けた調査研究

1210万円

2020年度

産業遺産情報センターにおける普及啓発広報等委託業務

4億3010万円

 計

 

9億3571万4520円

                                     

このように産業労働やインタープリテーションの調査、委託業務などで9億円を超える委託を受けています。この調査では主に強制労働を否定する資料や証言を収集しています。情報開示では、報告書での人名などは黒塗りですが、その内容から強制労働を否定する研究や証言が収集されていることがわかります。このような調査の継続によって、産業遺産国民会議が情報センターの展示を委託され、国民会議がセンターの運営も委託されるようになったのです。センター長には加藤康子がなり、その展示内容は強制労働を否定するものになりました。

 「端島も恐らく地獄島や」

 ここで、2018年の「「明治日本の産業革命遺産」インタープリテーション更新に係る調査研究」についてみておきます。この調査の後半は、戦時に三池炭鉱の四山坑で連行中国人を管理した日本人(青谷昭二、開示では氏名は黒塗り)の聞き取り記録です。この聞き取りによって、朝鮮人は「集団就職」(227頁)、朝鮮人差別は「ない」(235頁)といった言葉を引き出しています。けれども、証言者は、熱いため褌一丁で仕事をした(267頁)、坑内のことは思い出したくない、つらいわけ(275頁)と語り、端島は坑内環境が比較的良いという元端島住民の証言に対しては、「よかない」、四山は「地獄島」、「端島も四山もいっちょん変わらん」(274頁)、「端島も恐らく地獄島や」(275頁)と話しています。

産業遺産国民会議は、端島は地獄島ではなく、褌一丁で仕事をすることはなかったとしていますが、当時の三池の労働現場の体験者は褌一丁で仕事をし、地獄島であったと語ったわけです。加藤たちはこの聞き取り作業を、端島は地獄島ではないという証言を得て終わらせようとしたのですが、それはできなかったのです。

 

4 「犠牲者を記憶にとどめる措置」なき産業遺産情報センター

骨抜きにされた犠牲者の記憶の約束

2020年3月、産業遺産情報センターが開設しました。内閣官房にある産業遺産の世界遺産登録推進室が基本方針を立て、内閣府にある地方創生推進事務局がその方針をふまえ、具体的に立案するという関係です。産業遺産情報センターは内閣府が管理する施設となります。その開所式で主催者挨拶は、内閣官房の産業遺産の世界遺産登録推進室長兼内閣府の地方創生推進事務局長がおこなっています。地方創生推進事務局は2016年に地域活性化統合事務局が再編されたものです。

この産業遺産情報センターの設立は、先に述べたように、2015年7月に日本政府が、戦時に強制的に労働させた事実を認め、「日本はインフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である」と約束したことによるものです。

しかし、日本政府はこの約束を骨抜きにしました。2017年11月に政府が作成した「産業遺産情報センターの在り方等について 第一次報告書」の「はじめに」をみると、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された際、世界遺産委員会の決議において、「歴史全体についても理解できるインタープリテーション(展示)戦略」を策定するよう勧告がなされ、日本政府は、韓国政府との外交交渉を踏まえ、インフォメーションセンターの設置などの適切な措置を当該戦略に盛り込む旨を発言した。このような背景から、日本政府は「産業遺産情報センター」を設置することとし、 その在り方等について検討するため本検討会が設置されたと記されています。

この段階ですでに、「犠牲者を記憶にとどめる」という設置目的が削除されています。2017年に日本政府がユネスコの世界遺産委員会に提出した保全状況報告書でも、情報センターを産業遺産の保存の普及啓蒙に貢献する「シンクタンク」としています。

このように情報センターの展示では、犠牲者を記憶にとどめるという視点は排除されたというわけです。

インタープリテーション戦略の実施報告書から

産業遺産情報センター展示の内容を『インタープリテーション戦略の実施状況についての報告』(内閣官房2020年)からみてみましょう。

産業遺産情報センター1階に、「導入展示、メイン展示、資料室」の3つの展示「ゾーン」があります。ゾーン1は「明治日本の産業革命遺産」の概要、「世界遺産に登録されるまでの道のり」です。ゾーン2は「幕末から明治にかけてわずか半世紀で産業国家へと成長していったプロセス」と「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産価値並びに 23 の構成資産の世界遺産価値への貢献や構成資産の「歴史全体」についての展示です。ゾーン3は資料室であり、「第二次世界大戦中の事業現場における産業労働に関わる出典の明らかな一次史料、二次史料並びに証言を多数紹介」とされています。2階には、事務スペースのほか、収集した資料を保管する資料収蔵庫、研修室などがあります。

この報告書の「(3)旧朝鮮半島出身労働者等を含む労働者に関する情報収集」の項には(17頁以下)、旧朝鮮半島出身労働者等を含む労働者の戦前・戦中・戦後の産業労働に関する調査をおこない、一次史料、口頭証言、出版物などの調査、論文、賃金などのデータ、裁判資料などの資料収集、産業遺産・産業考古学に関する海外有識者から産業労働に関する海外事例の情報収集、行政機関による調査、新聞記事等から端島炭坑における主な出来事を調査、坑内の様子を有識者の協力のもとで調査、有識者による戦前から戦後にかけての新聞報道を中心とした資料分析、当時の様子を炭坑労働経験者等から聞き取り調査などをおこなったと記されています。

そして、産業遺産情報センターでは、第二次世界大戦中に日本政府が徴用政策を実施していたことが理解できるよう、徴用政策の根拠となった法令等をパネル化し、当時、日本人も朝鮮半島出身者等も同様に厳しい環境の下で働いていた状況が理解できるよう、資料(証言映像を含む)を展示したとしています。また、書架には産業労働を含む産業遺産全般に関するものなど、幅広く開架し、モニターでは、当時の労働や暮らしについてのインタビュー証言映像を閲覧可能とし、証言内容や日記の一部をパネル化して展示していると説明します。「中には朝鮮半島出身の徴用された労働者の手記、戦時中の事業現場で朝鮮半島出身者や中国人捕虜と共に働いた日本人の日記や史料が開架」とも記されています(32頁)。

戦時の日本による朝鮮人動員に関する展示が集められているのは「ゾーン3資料室」です。 

5 「ゾーン3資料室」での強制労働の否定

この「ゾーン3資料室」の資料の多くは、戦時の動員を正当化して強制労働を否定し、差別についても否定するものです。特に元端島住民の証言が、強制労働と差別を否定する形で編集され、展示されています。この部屋には、端島元住民の証言者の大きな顔写真が並んでいます。元住民の証言を採用して、「端島は仲良しのコミュニティ」であり、強制労働も差別もなかったと主張するための展示となっています。戦時に「労資一体」、「内鮮一体」のかけ声のなかで強制労働がなされていた実態を批判的に見る視点が欠けています。

皇民化による戦時の集団動員自体が差別

戦前に父親が端島で労働していた在日韓国人鈴木文雄の証言も採用されています。父が端島で働き「伍長」といわれたといいますが、父は戦時中、事故が増え、端島から転出したといいます。戦時に動員された朝鮮人の証言ではありません。戦時動員が激しくなった頃の説明はなされず、差別がなかったことを示す口述だけが利用されています。

朝鮮を占領し、皇国臣民化政策を行い、日本人とする政策を行い、日本の戦争のために集団動員したことが差別です。ここには展示されていませんが、端島元住民には、「日が当たらない地下のじめじめしたところに朝鮮人の家族は押し込められていたというのが実態」、「朝鮮人がまたケツわった(逃亡した)と親父が言っていました」と語る人もいます。そのような証言は採用されていません。戦時に端島に動員された朝鮮人・中国人の被害者の証言も展示されていません。

三池炭鉱で中国人を労務管理した日本人青谷昭二の冊子が紹介されています。青谷は、朝鮮人は集団就職であり、差別はないと語る人物です。三池炭鉱には、朝鮮人、中国人、連合軍捕虜が動員されていますが、その証言は示されていません。三池炭鉱の連合軍捕虜にはバターン死の行進で生き残り、三池へと連行され、労働を強いられた者もいました。そのひとり、レスターテニーは手記を残し、強制労働の実態を記しています。連合軍捕虜のなかには営倉で餓死した者や刺殺された者もいました。しかし、そのような記録は示されてはいません。

示されない強制動員の実態と未払金の存在

パネル「徴用関係文書を紐解く」では、官斡旋、徴用に関する日本政府の動員文書が提示されています。しかし、1939年からの集団募集の動員文書が欠落し、42年の官斡旋以降の動員が記されています。日本政府が立てた労務動員計画により、朝鮮人は集団募集、官斡旋、徴用によって、日本へと約80万人が動員されています。それは欺瞞や命令、ときには拉致も含む強制的な動員でした。その実態についての具体的な解説はありません。中国人や連合軍捕虜の動員状況についても示されてはいません。

広島県の東洋工業に動員された鄭忠海の「朝鮮人徴用工の手記」が展示されています。この手記は強制労働否定を宣伝する側が利用してきたものです。しかし、手記を読むと「強制的に引っ張られて来た人々が大部分ではないか。徴用というよからぬ名目で動員されてきて、作業服をまとい奴隷のような扱いを受け」など、強制労働に関する記述が複数あります。この資料には強制労働を示す記述がありますが、展示ではその内容には言及していません。

日本在住の台湾出身者で長崎造船所に戦時徴用された人の給与袋が展示されています。賃金が支払われ、差別がなかったことを示したいのでしょう。けれども、長崎造船所に強制動員された金順吉は裁判を起こし、裁判では強制労働や強制貯金の事実が認定されています。長崎造船所には朝鮮人約6000人が強制動員されています。朝鮮人未払金は約3400件、約86万円がありました。八幡製鉄所では約3500件、約30万円が供託されています。現在の価値で億単位の金額です。このように数多くの動員朝鮮人の未払い金があるのです。そのような資料は示されていません。

情報センターの展示に「犠牲者を記憶にとどめるため」のものはなく、徴用は正当であり、強制労働も差別もなかったという展示になったのです。公約は反故にされたのです。

6 加藤康子・情報センター長という問題

産業遺産情報センター長となった加藤康子は、情報センターへの批判が出ると「Hanada」誌に産業遺産国民会議専務理事の肩書きで、「韓国が早速クレーム「産業遺産情報センター」」(2020.9、以下、①と表示)、「記者か、活動家か 朝日、毎日が目の敵にする産業遺産情報センター」(2020.10、以下、②)、「取材を受けた当事者が告発 NHK「軍艦島ドキュメント」偏向の手口」(2021.1、以下、③)という題で文を記しています。

「事実軽視、韓国重視 日韓メディアの欺瞞」(正論2020.10、肩書は産業遺産国民会議専務理事、情報センター所長)、「軍艦島 戦時“徴用工”問題歪曲報道NHKは平気でウソをつく」(加藤康子・有馬哲夫、「WILL」2021.1、肩書は元内閣官房参与・産業遺産情報センター長)といった記事もあります。

それらの記事の内容は、強制労働はプロパガンダである、端島は仲良しコミュニティである、島民は無実であるというものです。また、動員被害者の証言を採用することなく、強制労働という「負の歴史」自体を否定します。さらに、センター長として知りえたセンター訪問者の個人情報を暴露し、「反日・国益」の名によって批判的な報道を批難しています。

その問題点を具体的にみてみましょう。文中の括弧は筆者による補足です。

強制労働をプロパガンダとする

「(70人強の端島民への取材では)端島において韓国側の主張するような、いわゆる奴隷労働の証拠や証言は見つかっておりません」①、「(韓国の強制労働の宣伝に抗議すべきであり)日本政府は紳士ズラし過ぎていると思います」①、「いまは私一人で日本の一部マスコミ、韓国のプロパガンダに反論しており、政府は及び腰です」①。

 このように強制労働を韓国側のプロパガンダとしてみなします。戦時には朝鮮人、中国人、連合軍捕虜の強制労働があり、それゆえ、2015年7月の世界遺産登録の際に「日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと」と認知したのですが、その発言に反する記述をしています。

端島は仲良しコミュニティと主張

「島民たちは戦時中の端島で、働く人も物資も不足するなか、全山一家でお互い助け合いながら、石炭を掘り、職場と一体になった生活環境で暮らしてきた様子を語っています」②、「この小さな炭鉱コミュニティでは、戦前、戦中、戦後を通し、いかなる時代にあっても、出身はともかくとして、全山一家で、苦しいことも悲しいことも嬉しいこともすべて分かち合い、泣いて笑ってお醤油を貸し借りしながら、一緒のお風呂に入りながら、支え合い、懸命に生きてきました」③。

端島全体が三菱の所有地であり、住民は三菱の労務によって監視されていました。仲良しコミュニティ論は、明治・大正・昭和における労資関係の変遷を見ようとしないものです。それは、歴史分析のない議論であり、戦前の納屋制度や戦時の労働現場への軍隊的規律を導入しての増産強制の問題点を隠蔽するものです。

島民は無実とし、動員被害者の証言を否定

「「仲良しのコミュニティの証言は全体像を示してはおらず信憑性を欠いている」と一方的に彼らの証言を疑い、加害者扱いをすることこそ、端島島民への差別であり偏見です。」②、「活動家まがいのメディア人たちに問いたい。無実の島民たちを加害者扱いにすることに「良心の呵責はないのか」、と」②。「一握りの「いわゆる被害者」証言だけを鵜呑みにし、真偽も確かめず、加害者と被害者の烙印を押して島民を分断し、被害者以外の声が語る端島での暮らしの記憶のすべてを切り捨てるのは乱暴かつ傲慢な対応としかいいようがありません」③、「(誤認や歪曲があれば修正するものであり)私は、歴史修正主義を悪いことだと思っておりません」①。

強制労働の指摘を、端島島民を加害者とするものみなし、元端島住民への人権侵害であるとし、問題をすり替えています。それは、逆に動員被害者との分断や対立を生むものです。加藤は、動員された朝鮮人の証言については細かく間違いなどを指摘し、根拠薄弱とし、採用しません。しかし、元端島住民の子どもの頃や伝聞による証言については、十分な検証をせず、資料として利用しています。歴史修正主義の用語についても肯定的に語っていますが、この用語は歴史を意図的に歪曲し、否定する行為を示すものです。それを肯定的に使用することは、国際的には過去を合理化して歪曲する宣伝を行っていることを自認することです。

「負の歴史」の否定

「(NHK福岡「実感ドドド!追憶の島~ゆれる"歴史継承"~」)番組は、「軍艦島の世界遺産価値は負の歴史にあるのだ」という強い固定観念を前提に制作されており、韓国政府の主張そのものです」③、「労働=影、労働=マイナスというふうに捉えるのは短絡的だと思います」③、「誇りをもって作業着を着ているんだから、負の歴史なんて言わないでもらいたい」③。「炭鉱労働を負ときめつけて「負の遺産だ」と議論するのは差別以外の何物でもありません」③。

各施設での、戦時の強制労働という「負の歴史」について指摘することを、端島での生活・労働全般を「負の歴史」とするものとみなし、問題をすり替えています。産業遺産にはさまざまな歴史があり、資本、労働、国際関係などから、多面的にみることが大切です。加藤の論は「負の歴史」自体を否定するという短絡的なものです。産業遺産の展示では、強制労働が存在する場合には、それを展示することで国際的な理解がえられます。

「反日・国益」の名による批難

「(NHK福岡「追憶の島」)韓国の主張に寄り添った報道を行い、産業遺産情報センターの展示戦略や端島元島民の声を棄損する報道を行うことで、政治的に踏み込んでいます。これは放送法第四条「政治的公平性」を逸脱しているのではないでしょうか」③、「〔竹内氏は〕歴史研究者となっていますが、その実、バリバリの活動家なのです。しかし、竹内氏がそういった反日的な活動をしてきた人物ということをNHKは一切伝えません」③、「今回、林えいだい氏や竹内氏などの主張をNHKが放映することで、根拠薄弱な情報が「既成事実化」してしまいました」③、「国民の受信料で運営されているNHKが、このような国益を損なう偏向番組をつくるなど、断じて許されることではありません」③。

NHK福岡「追憶の島」は、世界遺産の説明にあたって深みのある内容を持つには、負の遺産を含めて表現することでではないかという問題意識によって制作されたものです。番組ではさまざまな議論を示しており、偏向はなく、放送法違反ではありません。NHKの報道内容を「国益」の名で批判するような見地に問題があります。強制労働問題を調査研究することは、反日でも、活動家でもありません。「反日」のレッテルで主張を否定してはならないのです。加藤は世界遺産登録にむけて活動し、内閣官房参与にもなり、今はセンター長としても活動しているわけですから、「バリバリ」です。強制労働をプロパガンダと喧伝する加藤の活動はかえって日本の信用を落とすことになるでしょう。

公私混同・個人情報の暴露 

「(朝日新聞記者とのやりとり)私もカッとなり、スタッフにこう指示しました。「この攻撃的な態度こそ撮ってちょうだい!」②、「(センターでの市民運動の矢野氏との対話から)私には、矢野氏が何か隠しているように見えました」①、「この歴史戦は、政府がきちんとおカネをかけて、毅然と一次資料や元島民の証言などの「ファクト」を発信していけば、矢野氏のプロパガンダに負けることはありません」①。

加藤は、公的な展示施設のセンター長として知りえた批判的な記者や市民との対話や所属など個人情報を、本人の了解もなく雑誌に記しています。またその内容は伝聞によるものがあり、記述に間違いがあります。センター長としての資質が問われる行為です。センター訪問者への録画撮りの対応やこのような雑誌での記述は不寛容な姿勢を示すものです。

情報センターは内閣府の展示施設であり、国税で運営されています。センター長は内閣府の機関を代表する立場にあり、来館者の主権者国民や外国籍市民に敬意を示す姿勢が求められます。加藤による展示批判者を「反日メディア」「反日活動家」とする宣伝は、センターの展示を私物化する行為とみなされるでしょう。

真相究明は「歴史戦」などではなく、資料に依拠して真実を示すことです。加藤の記述は偏狭であり、寛容性が感じられません。過去への反省がなく、自らを被害者とみなす行動です。動員を強要された人々の視点をふまえて歴史を見るべきです。加藤が宣伝する明治の産業化の賛美の物語は、国際協調を掲げ、知的で精神的な連帯を求めるというユネスコの精神に反するものになっています。加藤の主張には無理があるのです。

7 戦前、端島炭鉱での労働の実態

 納屋制度による労務支配

端島炭鉱は三菱によって高島炭鉱の支坑として開発されました。端島炭鉱でも高島のように納屋制度による暴力的な労務支配がありました。圧制のなか、明治期の1894年に労働者が食事の改善を求めて罷業し、納屋などを破壊する事件が起き、1908年には派出所と炭鉱事務所などを襲撃する事件が起きています。

1907年頃の端島の状況は、坑夫募集人が1人につき3円の手数料を得て炭鉱を楽園のように吹聴し、欺瞞して募集する。坑夫は故郷を忘れがたく、募集人に欺かれたことを悔いている。会社は「淫売店」を開業させ、さらに賭博を奨励する。坑夫はこの陥穽におちいり、前借金によって自由を縛られているというものでした(「三菱端島労働状況」)。

明治期、端島では欺瞞による募集と前借金による束縛がなされ、暴力的な労務管理によって労働が強制されていたのです。

戦時増産での労働強制

戦時には軍需徴用がなされ、増産態勢がとられ、強制労働が強まりました。社史の「高島炭礦史」には、戦時には、25歳以上の女子や16歳未満の年少者の坑内就業が認められるなど「鉱夫労役扶助規則」が骨抜きにされ、戦争末期には、決戦必勝石炭増産運動総突撃、皇国護持全山特攻運動、肉弾特攻必勝増産運動が実施されたことが記されています。戦時、高島炭鉱では、これまで制限されてきた女性や少年の坑内労働が行われるようになり、産業報国の名で労働者の権利は奪われ、職場の軍隊化がすすめられました。労働者は「肉弾特攻」の名で生命を賭けて石炭を掘るようにと労働を強制されたのです。

端島は三菱の所有地であり、遊郭も置かれ、朝鮮半島出身の女性も連れてこられました。それは三菱の労務管理の一環でした。三菱鉱業は1944年4月に軍需会社に指定され、端島で働く人々も軍需徴用されました。そのなかで三菱の労務は端島の労働者や住民の監視をいっそう強めていたのです。

朝鮮人の強制動員と未払金

高島炭鉱には1939年から45年にかけて4000人ほどの朝鮮人が連行されました。動員された朝鮮人は高島と端島に振り分けられ、端島には1000人以上が動員されたとみられます。

端島に動員された朝鮮人のひとり、崔璋燮は「自叙録」を記しています。そこで、「鉄格子のない監獄生活の身の上になった」、「飢えに苦しんで、常に汗まみれで、栄養失調で足がつって、一日に何人も倒れての作業だった」、「(逃亡して捕まった者には)酷い拷問、さらにゴム革で作った紐に肉片がつくほどの苦痛を受けた」と記しています。

高島炭鉱(高島・端島)には、中国人約400人が強制連行され、労働を強いられています。そこで死亡した者もいるのです。

戦後の1946年、日本政府・厚生省は未払金に関する調査をおこないました。その調査で高島炭鉱(高島・端島)に動員された朝鮮人1299人分の名簿が作成されています。それをみると一人100円ほどの未払金があり、なかには500円ほどの未払金がある者もいます。その未払金の合計は当時の金額で22万円ほどです。現在の価値で数億円規模の朝鮮人の未払金があったのです。 

戦前、戦中と高島炭鉱(高島・端島)には、労働を強いられた人びとがいたのです。そのような人びとにとって、海に囲まれた端島は監獄島、地獄島でした。産業遺産国民会議は「端島は仲良しのコミュニティ」であったと喧伝していますが、それは暴力的な労務管理や戦時の強制動員や強制労働の実態を隠蔽するものです。

8 産業遺産国民会議による委託業務能力の問題 

産業遺産国民会議の委託運営の問題点

強制動員真相究明ネットワークは2021年2月6日付の日本政府への「内閣府・産業遺産情報センターの展示の改善と産業遺産国民会議によるセンターの運営委託の中止などを求める要請書」で産業遺産国民会議の委託運営の問題点を次のように指摘しています。

「予算決算及び会計令」(1947年勅令第165号)では、国の入札資格として「一般競争に参加させることができない者」を「当該契約を締結する能力を有しない者」であるとし、「一般競争に参加させないことができる者」としては、「契約の履行に当たり故意に工事、製造その他の役務を粗雑に行い、又は物件の品質若しくは数量に関して不正の行為をしたとき」と規定しています。

産業遺産国民会議は、動員被害者の資料収集を行わずに、一方的に強制労働の否定を宣伝しています。国際的に約束した「意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等」を示さず、「犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置」についても示していません。そのような展示は、世界遺産委員会での国際約束に反するものであり、「勧告事項への対応を着実に行う」とする受託契約にも反する行為です。

産業遺産国民会議のこのような行為は、「予算決算及び会計令」での「契約を締結する能力を有しない者」にあたり、その一方的な展示は、「故意による」「役務の粗雑」にあたります。センター長による雑誌での個人情報の暴露や中傷は、委託契約での「不正の行為」にあたります。

「予算決算及び会計令」に基づいて内閣官房・内閣府が定める「物品等の契約に係る指名停止等措置要領」の別表2には「虚偽記載」、「契約違反」があります。産業遺産国民会議は、登記法違反と契約書の虚偽記載の状態にあり、その法律違反と虚偽記載は指名停止の措置にもあたるものです。

産業遺産国民会議の不誠実な実態は、国の契約相手方としては不適当であり、国民会議に国の委託が続けられることは適切ではありません。国の入札からは排除し、委託は中止すべきです。産業遺産国民会議による情報センターでの展示・運営は設置目的に反するものです。国民会議は国の調査委託で十分な調査を実施せずに、自己資本を増殖してきました。国民会議への国の委託は、公共機関の私物化による利益相反行為です。センター長は公的施設管理業務を行う資質を有していません。国民会議は「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」に違反してきました。国民会議の虚偽記載と法律違反は現在も続いています。国民会議による委託業務は故意による役務の粗雑、不正にあたり、業務能力を有していないのです。

国民会議への情報センター運営委託の中止を

このように問題点を示し、政府に対して以下を要請しています。

産業遺産国民会議への情報センターの運営委託を中止すること。「不正・不誠実」な行為を続ける産業遺産国民会議を入札から排除し、指名停止とすること。情報センターの展示に「厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと」を示し、「犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置」の場とすること。その展示を改善するまで、閉館すること。今後の展示、運営、管理については政府の直轄、あるいは大学等の信頼できる研究機関に委託すること。加藤情報センター長に対し、個人情報の守秘義務違反を謝罪させ、再発防止策をとること。

要請書にはこのように記されています。産業遺産情報センターの展示は、戦時の強制労働を否定するものであり、犠牲者を記憶するものになってはいません。加藤センター長の言動が公的施設管理者としての資質に欠けることは明らかです。保全委員会・ワーキンググループの規約などには加藤や国民会議の名が明記され、公的組織を私物化するものになっています。組織の私物化の解消、展示の改善、センター長更迭などが求められます。日本政府は国際公約を守り、ユネスコの精神に合致するような展示をおこなうべきです。情報センターの産業遺産国民会議への委託運営については中止し、その展示を改善し、政府が直接運営すべきなのです。

9 ユネスコ・イコモス共同視察とユネスコの「強い遺憾」

ユネスコ・イコモスの視察報告書

ユネスコとイコモスは、このような産業遺産情報センターに対して2021年6月7日から9日にかけて共同視察をおこない、7月2日には視察報告書を出しました。

その報告書は、問題、視察、評価、結論の4点でまとめられていますが、最初に概要が記されています。概要では、端島の口述証言について、訪問者に提示される歴史的な語りが、産業遺産の暗い面を含む産業労働のあらゆる見地、特に戦時中について訪問者が自ら判断できるような方法でさまざまな物語を提示していないことを確認するとし、その口述証言では、人々が「強制的に働かされていた」という証拠がほとんどなく、「過酷な状況」や「犠牲者」に関して、日本人労働者と朝鮮人などの間に違いはないと述べている。また、1910年以降の日本の軍事目的でのその産業遺産の役割について歴史全体が言及されていないとし、登録時での日本の約束や登録時およびその後の世界遺産委員会の決定はまだ完全には実施されていないと記されています。この一節から結論の方向を知ることができます。

報告書の結論は、次の5点でまとめられています。要約すると以下のようになります。

a、各サイトがいかにして顕著な普遍的価値(OUV)に貢献しているかを示し、各サイトの歴史全体を理解できるような解説戦略(決議39 COM 8B.14)。

いくつかのサイトの歴史では、顕著な普遍的価値の対象期間(1850年代~1910年)前後の期間を示していることは認められるが、第二次世界大戦の期間やそれに向かう期間の扱いが簡単であるため、歴史全体が記述できていない面がある。

b、 多数の朝鮮人等が意に反して連行され、過酷な労働を強いられたことと日本政府の徴用政策を理解するための措置(登録時の日本側代表団の発言)。

多くの朝鮮人やその他の人々を産業遺産で働かせたという日本政府の政策は、話し合いの中では視察団に説明されたが、文書資料でしか見られない。展示されている情報からは、当時、他国からの徴用労働者は日本国民とみなされ、同じ扱いを受けていたという印象を受ける。展示されている口述証言は、すべて端島に関するものであり、強制的に働かされた実例はなかったというメッセージを伝えている。したがって、意に反して連れてこられ、強制的に働かされた人々を理解するための解説上の措置は、現状では不十分であると結論づける。

c、 情報センターの設立など、犠牲者を記憶するための適切な措置を解説戦略に組み込むこと(登録時の日本側代表団の発言)。

情報センターは2020年に開設され、口述証言を含む労働者の生活に関するさまざまな調査資料を展示しているが、現在のところ、犠牲者を記憶するという適切な展示はないと結論づける。

d、顕著な普遍的価値に関する期間内・期間後のサイトの歴史全体の解説とデジタル解説資料での解説戦略に関する国際的に優れた実例(決議42 COM7B.10)。

顕著な普遍的価値の期間後の歴史全体に関する解説戦略について、同様の歴史を持つ他の産業遺産と比較し、人々が強制的に働かされたことや軍事目的で使われていたことが十分に認識されている国際的な優れた実例に達していないと結論づける。センターのデジタル解説資料に関しては、他の世界遺産の模範となりえる国際的に優れた実例であるとみなす。

e、 関係者間の継続的な対話(決議42 COM7B.10)。

視察団は、関係締約国、特に韓国と日本の間で何らかの対話が行われたと結論づけた。視察団は、日本から提供された日本と韓国の間で行われた会議の一覧表の文書を受け取った。視察団はこれらの会議の内容について何の情報も得ていないが、これらの会議は関係者の間で、実際に対話が行われていることを示すものとみる。視察団は今後の対話が重要であり追求すべきと考えている。

視察団は、委員会の決定における多くの側面が、一部は模範的な方法で遵守され、要求の多くが満たされてはいるが、登録時に締約国が行った約束や登録時とその後の世界遺産委員会の決定を、情報センターはまだ完全には実施していないという結論に達した。

「強い遺憾」を示したユネスコ決議

報告書の結論はこのようなものです。視察団は、歴史全体の記述や強制労働に関する展示は不十分である、犠牲者を記憶する展示がない、強制労働の展示は不十分であり、国際的に優れた実例とすべき、関係者間の対話が必要であると判断したのです。なお、ここに記されている日本から渡されたという日韓の会議文書の詳細な内容は不明です。現時点では、韓国との十分な対話はなされてはいません。

この報告書を受け、ユネスコの世界遺産委員会は7月22日に、産業遺産情報センターの展示に関して、「強い遺憾」を示すという決議をあげたのです。そこでは報告書の結論に従い、歴史全体を理解できるようにすること、多数の朝鮮人などが意に反して連れてこられ過酷な条件で働かされたことなどが理解できるようにすること、情報センターの設置など犠牲者を記憶するための適切な措置を解説戦略に組み込むこと、強制労働などを示す国際的に優れた実例とすること、関係者間で継続的に対話することなどを求めたというわけです。

疑念を深めさせたセンターでの説明

報告書には、センターでの説明の状況が次のように記されています。

ガイドによれば、インタビューを受けた全員が端島で強制労働があったとせず、島に住んでいた人びと(日本人ほか)は良い経験も悪い経験も分かちあったと答えた。さらに、韓国人による島の過去の説明について地元の人の発言と比べ、韓国人の発言の信憑性を疑問視するものもあった。それには第3ゾーンの本棚に置かれている証言も含まれ、視察団に対し「議論の余地があるもの」と紹介された。視察団が「過酷な状況」について質問すると、炭鉱はつらい活動であり、日本人労働者も他の人々も、過酷な状況を分かちあっていたと答えた。提示された壁パネルの証言はこの発言を支えるものであった。(中略)情報センター視察の際の説明は、2日目の端島の歴史を記録する民間機関「軍艦島デジタルミュージアム」の久遠氏のプレゼンテーションでさらに強化された。軍艦島デジタルミュージアムは、廃墟となった島に残された数々の資料を収集している。久遠氏によれば、端島についての悪い宣伝は誤報やプロパガンダによるものであり、同館は収集した資料の分析や口述証言を通じて、誤った情報を正し、歴史の「真実」を伝える活動を行っているという。

このような説明を受け、視察団は感想を次のように記しています。

今回の視察で強く印象に残ったこと、それは、朝鮮や他の地域からの労働者の移動に関するいくつかの面が紹介されたが、朝鮮人と他の人々(戦争捕虜を含む)が、1910年以降、明治産業遺産のいくつかのサイトで意に反して労働を強いられたことを知ることは難しいようであること、このような歴史の姿を理解するための措置が情報センターの解説として提供されていないということである。

センターを視察し、元端島住民の証言には強制労働があったというものはない、強制労働の宣伝はプロパガンダであるという説明を聞けば、その展示の姿勢に疑念が深まり、戦時の強制労働の歴史を示そうとしていないのでは、という感じるのは当然です。

視察報告をふまえてのユネスコの決議は当然の帰結です。しかし、この報告書と決議を加藤康子は受け入れることができません。

10 ユネスコ決議に居直るセンター長

このユネスコ決議があがる前のことですが、センター長の加藤康子は「韓国と反日日本人に洗脳されたユネスコ」(「正論」2021年9月号に掲載)を記し、センター長としてユネスコ・イコモスの視察報告書に反論しています。

不正確な事実認識

そこで加藤は、この査察は、韓国政府や真相究明ネットなどの活動を受けてのものであり、結論ありきの調査であると記しています。犠牲者については「加害者が誰かという議論にもなるので慎重でなければならない」とし、労災事故の記録などがあれば国籍に関わらず紹介すると記しています。「端島島民にぬれぎぬを着せ、人権を傷つけることを許すわけにはいかない」というのです。加藤は、端島での強制労働に関しては、島民が端島では強制労働はなかった、差別はなかったと語っている、強制労働があったとすることは島民の人権を侵すことになるというのです。

加藤は、ユネスコが「犠牲者を記憶にとどめる」措置としては「不十分」とし、多様な証言を提示するように求めたと記しています。この表現は正確とは言えません。ユネスコは犠牲者の記憶については、犠牲者を記憶するための適切な展示がない(no display)と指摘しているのです。ユネスコが不十分(insufficient)と記しているのは、戦時の強制労働の記述についてです。

また、加藤は、「国家総動員法(1939年4月)に基づき、42年2月から、朝鮮総督府の斡旋により朝鮮半島出身者の労働者の募集を実施」と記しています。国家総動員法の制定は1939年ではなく1938年であり、制定年の記述が間違っています。また、日本政府の労務動員計画によって、1939年9月から朝鮮人の集団募集がはじまっているのですが、その事実が欠落しています。

さらに、強制動員真相究明ネットワークが、「(市民団体ではなく)優秀なプロの活動家」であり、「訴訟の原告を掘り起こし、裁判を支援する活動を行っている。原告とは1910年から45年までの間、日本で働いた全ての朝鮮人を対象」と書いていますが、これも間違っています。ネットワークは市民団体ですし、原告を掘り起こした事実はありません。朝鮮から日本への労務動員の原告は1939年から45年の間の動員者です。加藤は、究明ネットが2015年に「軍艦島は地獄島である」と宣伝したと記していますが、そのような活動もしていません。

このように加藤は労務動員についての基礎知識、歴史理解に欠けていますし、究明ネットの活動内容や裁判の原告についての理解も不十分です。

戦時体制への無批判と戦争責任の排除

加藤は「戦禍の中で増産体制を支える産業戦士たちが被徴用者の青年を含め、どのように職場を支えたのか」と記すなど、戦時の増産強化や動員体制などを批判的にとらえようとしません。また、「(資料集や書籍は)企業の加害責任を戦争責任として追及する立場で書かれたものが大半」とし、戦争責任をとるという立場を排除する側に立ちます。過去の戦争の歴史を批判的にとらえ、戦争責任をとるという立場をとらないのです。

さらに「ナチス・ドイツによる労働は他に比類なき強制労働の歴史であり、韓国がドイツの例を諸外国に適用させようとするには無理がある」とも記しています。日本による戦時の労働動員はドイツの強制労働とは異なり、強制労働ではないとみなすわけです。

このような立場では、過去の戦争を批判して設立されたユネスコの理念を共有できないでしょう。

自らの強制労働否定の政治行動を不問

最後に加藤は、「世界遺産から政治を排除することを心から願っている。政治が歴史に介入する悪循環をなくすために正確な一次資料や当事者の声を伝える情報センターを目指したい」と記し、世界遺産から政治を排せと主張し、「中立的な展示」を求めています。

明治産業革命遺産は、安倍政権下での官邸主導の推進、つまり政治主導で世界遺産に登録されました。そこには安倍政権の歴史認識も反映され、情報センターは明治の産業化賛美と強制労働の否定の喧伝の場となりました。これこそ、加藤のいう「政治が歴史に介入する悪循環」です。

加藤は「記者か、活動家か 朝日、毎日が目の敵にする産業遺産情報センター」、「韓国と反日日本人に洗脳されたユネスコ」などという題でも記事を書いています。戦時の強制労働を否定してこのような記事を記していることも政治的行為です。加藤は自らの偏向した歴史観、政治的意識については不問にし、ユネスコを批難するのです。

加藤の立場は、先にみたように、強制労働を「プロパガンダ」とみなし、強制労働の歴史を否定するものです。ですから、加藤は2015年の「その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと」、「インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」という約束を認めようとせず、それを反故にする展示をすすめてきたわけです。

繰り返されるユネスコヘの批難

加藤はユネスコで決議が上がると、産業遺産国民会議のウェブサイトに「ユネスコ決議、ユネスコ・イコモス専門家報告書について」というコメントを記しています。そこでも、「戦禍の中で、端島の朝鮮半島出身者は、共に働き、共に暮らし、全山一家で増産体制を支えた」と戦時動員を肯定しています。また、犠牲者の定義には認識の差があり、加害者が誰かという議論になるので慎重であるべきとし、連行された朝鮮人・中国人を犠牲者として規定しようとはしません。そして、「政治が歴史に介入する悪循環をなくす」ために、一次情報と当事者の声を伝えるとし、強制労働に関する資料や被害者の証言を政治的なものとみなして排除します。

また加藤はユネスコ決議後に、国家基本問題研究所のウェブサイトに同様の趣旨の「韓国と活動家の主張によりそうユネスコ決議と報告書」(8月2日掲載、肩書は元内閣官房参与)という文を記しています。

ユネスコ決議をふまえた展示改善を

さらに加藤は、情報センター長の肩書で、「週刊新潮」(8月26日)に「「韓国」「反日活動家」の言うがまま 「軍艦島」に「ユネスコ」が「強い遺憾」決議のおかしさ」という記事を書いています。

そこで、2015年の登録時の日本政府の発言を「闘わずして負けた」と批判し、ユネスコは「歴史を裁く資格はない」と居直っています。また加藤は、ユネスコが「「保全」の問題ではなく「展示」で是正の決議をするのは前代未聞」、日本政府はユネスコに「加盟国分担率で11%に当たる32億円という拠出金を出していながら」、今回の調査に関する韓国とユネスコの事前協議を知らされず、「信頼関係ができていない」とユネスコを批判します。そして、強制労働を認めることは「島民に濡れ衣を着せ、人権を傷つける」ものと記しています。

加藤はこの産業革命遺産の保全委員会とそのインタープリテーションワーキンググループで展示内容を構想してきた中心人物です。保全委員会ではインタープリテーション(解釈・展示内容)は主要な議題であり、それは保全の柱です。ユネスコ登録時の約束が守られているのかどうかが問題とされるのは当然です。素直にユネスコの批判を受け止めるべきです。

「反日日本人」などという用語を平然と使っていることに問題があります。加藤は「反日」のレッテルを貼り付け、過去の戦争の歴史を反省することなく、強制労働を否定しています。それは政治的な表現です。「韓国と反日日本人に洗脳されたユネスコ」という題はヘイトを煽動する者たちの言葉と同類です。

情報センターで、歴史全体が示され、戦時の強制労働が認知されること、動員被害者の証言が展示され、センターが犠牲者を記憶する場となること、それを願います。

 

(以上は、2021年2月の真相究明ネット富山オンライン集会での報告「ここが問題!産業遺産情報センター」に、7月のユネスコ決議をめぐる動きを加えて、文章化したものです。2021年9月記事 竹内)