新潟・佐渡、第14回強制動員真相究明全国研究集会報告

 

 2022年8月27日、「強制労働の否定を問う 佐渡鉱山の遺産価値を深めるために」の題で、強制動員真相究明ネットワークによる第14回強制動員全国研究集会が新潟市内でもたれた。集会には現地・オンラインを含め、100人ほどが参加した。

 集会では、広瀬貞三「佐渡鉱山での強制労働研究の現状・課題」、木村昭雄「新潟における強制連行調査の経過」、藤石貴代「歴史の否定を問う研究者有志の声明」、竹内康人「佐渡鉱山動員朝鮮人600人の名簿から」、金丞垠「証言から見た佐渡鉱山朝鮮人強制動員の被害」の報告がなされた。続いて、佐渡や新潟での議会活動の報告、佐渡鉱山労働者追悼の市民活動、佐渡と朝鮮をつなぐ会の資料収集の紹介があった。

 広瀬報告は、強制労働を否定する西岡らの主張の根拠が、主に佐渡鉱山側が作成した「半島労務管理ニ付テ」、「佐渡鉱山史」(平井栄一稿)によるものであり、他の一次資料の十分な分析がなく、「佐渡鉱山史」所蔵先やコピーの存在を示さずに公表するなど資料の取り扱いが杜撰であることを示した。また、西岡は自由意志での渡航が多数とするが、膨大の先行研究の個別事例を無視したものである、朝鮮現地の動員は役場・警察によって必要な労働者数を無理やり確保するものだった、動員先での労務管理は差別的、暴力的なものであり、暴力と食事の劣悪さが逃亡の原因となっていたなど、実態が示された。西岡の説は学会では受け入れられておらず、強制連行・強制動員はいまも通説であるとし、課題として、「佐渡と朝鮮をつなぐ会」の資料の発掘、ゴールデン佐渡や資料館での史料収集、日本人労働者に関する研究の進化などをあげた。

 木村報告では、新潟県での朝鮮人強制連行について記した「平和教育研究資料・ガイドブック」(新潟県高等学校教職員組合平和教育委員会)の刊行の経過が示された。これまで新潟では学徒勤労動員、満蒙開拓青少年義勇軍などの調査、教職員退職者の会による戦争体験記などが出されてきた。1990年代に入り、日本教職員組合の「再び教え子を戦場に送るな」の内実を深め、加害を中心とするものにとりくみ、新潟県と731部隊、新潟県の捕虜収容所の調査、朝鮮人・中国人強制連行の調査をおこなった。この調査により、平和教育研究資料ガイドブックシリーズ、『第1集 中国人・朝鮮人強制連行の地を訪ねる旅』『第2集 新聞などに見る新潟県内の韓国・朝鮮人の足跡』(ともに2006年)、『ガイドブック 新潟県内における韓国・朝鮮人の足跡をたどる』(2010年)を出した。

 藤石報告は、「佐渡金山は朝鮮人強制労働の現場ではない」という意見広告(2022年2月3日新潟日報)に対し、「歴史の否定を問う研究者有志の声明」を出した経過を示した。4月、NHK新潟放送局が松浦晃一郎元ユネスコ事務局長にインタビューし、2021年にユネスコが明治産業遺産展示(産業遺産情報センター)に関する決議をあげたこと、ユネスコの目的が戦争防止であり、日本に歴史全体(フルヒストリー)、朝鮮人などの連行や労働について記すよう求めていることを報道したが、そこには良識があるとした。また、新潟の大学生の意見広告への対応状態から、歴史学では評価されない歴史否定論が「両論併記」されることで事実が隠蔽されるとし、否定論を「胡散臭い」と直感する力やその資料を批判する力が必要とした。そして、カロリン・エムケの表現から、想像力の弱まりが共感する力をも弱めていくとし、フィルターのかかった固定イメージや操作された短絡的思考の克服が課題とした。

 竹内報告は、佐渡と朝鮮をつなぐ会の佐渡鉱山動員被害者の聞き取り資料、社会保険関係史料、相愛寮煙草配給台帳(朝鮮人名簿)などを紹介した。また、相愛寮煙草配給台帳から動員朝鮮人約480人、他の資料から約100人を集めたものを示した。未整理のものを入れれば600人を超える名簿となる。さらに「佐渡鉱山・強制動員被害者名簿第1次分」24人の被害状況を示す資料を紹介した。被害状況をみると、金文国は1940年頃、佐渡鉱山に動員された。職場は削岩だった。解放後、帰国の際に船の中で娘一人を亡くし、帰国後、塵肺のため、息が苦しく、布団をたたんで、それにもたれてやっと息をするようになり、40代で死亡した。その治療と家族の生活のために、田畑を売り払い、多額の借金を残したなど、帰国後の家族の苦しみも示されている。

 金報告は、日帝被害者支援財団による第2次証言採録事業で41人の生存者、6人の遺族への聞き取り作業を行ったとし、佐渡関係の生存者・遺族の証言を紹介した。金鍾元の遺族によれば、忠清南道の論山から1940年に動員され、家族を呼び寄せた。削岩の現場に動員され、43年に帰国した。塵肺による後遺症があり、労働できずに90年に死亡した。家計を支えるために母親が苦労した。論山から動員された劉〇〇の遺族によれば、坑内事故で重傷を負い、帰国後、仕事がまともにできなかった。全羅北道の益山から動員された鄭〇〇の遺族によれば、一人息子であり、妻と子ども二人を残し、割当により動員された。朴〇〇は1945年4月、全羅南道の珍島から警察により佐渡に強制的に動員された。日本語ができたので測量の補助をし、神風寮で生活した。その後、福島に移動、敗戦後、帰山し、年末に帰国した。

 このように集会では佐渡鉱山での朝鮮人強制動員の研究の現状と歴史否定論の誤りが提示され、強制動員被害者約600人の氏名が復元され、動員被害の実態が具体的に示された。朝鮮人強制労働は否定できない事実である。

 翌日には佐渡鉱山現地でのフィールドワークがなされ、50人が参加した。参加者は1日をかけ、山之神社宅、第2相愛寮、佐渡鉱山供養塔、選鉱場、佐渡鉱山内の展示、搗鉱場、安田部屋供養墓、第3相愛寮、金剛塾、大塚部屋供養墓、第4相愛寮、無宿人墓、共同炊事場、第1相愛寮、鉱山労働者住宅、大間港などの跡地を見学した。

  

その後、交流会で参加者の感想や各地からの発言を受けた。最後に「アチミスル(朝露)」を歌い、日韓の友好と真相の究明に向けての思いを分かち合った。

集会での発言にあったように、学会誌では査読によって歴史否定論の論文は返却され、掲載されない。掲載すれば、学会誌としての見識、責任が問われる。しかし、歴史否定論が21世紀に入り、さまざま、流布されるようになった。そして2021年4月、菅内閣は「強制連行は適切ではない」と閣議決定し、歴史教科書を書き換えさせた。

だが、歴史の事実を消し去ることはできない。世界遺産登録では、佐渡鉱山の歴史全体を提示し、朝鮮人強制労働の存在についても認知すべきである。そうすることで佐渡鉱山の評価は高まる。              

 

                               (竹内)