6・9ソウル国際会議「日本の産業遺産と消える声 記憶・人権・連帯」報告

                                  

2023年6月9日、ソウルで国際会議「日本の産業遺産と消える声 記憶・人権・連帯」がもたれた。会議での報告内容の概要は以下である。各報告に対しては討論者が指定され、質疑応答がなされた。

 

■    第1部 世界遺産と記憶・人権・連帯

アンドリューゴードンさんは「日本の産業遺産の狭い公的歴史」の題で、日本の産業革命遺産展示の問題を、技術的成功と西洋技術への熟練のみを強調し、日本を美しく描こうとしていることとした。

ゴードンさんは、そこでは戦時の強制労働だけではなく、明治以降の囚人労働、女性の坑内労働、納屋での私刑など過酷な労務管理、爆発事故や落盤事故など労働災害、コレラによる死亡など当時の劣悪な衛生環境、富国強兵との関係、日本帝国を築く基盤となったことなどが記されていないと指摘した。

また、訪問した小樽や夕張など北海道の「日本遺産」での説明は明治の産業遺産と同様の歴史修正主義であると話した。そして、歴史を美しく語ることが肯定的、愛国的、観光的な目的でなされているが、労働者の歴史を示し、過去を直視すべきとまとめた。

徐ヒョンジュさんは「ヨーロッパの植民地賠償での動向」の題で、賠償の権利の内容とヨーロッパでの植民地主義の克服をめぐる動きについて話した。

徐さんは、2005年12月の「国際人権法と国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」を示し、賠償に関する権利には原状回復,補償、リハビリテーション、満足、再発防止保障などがあり、金銭的補償だけではないとした。

徐さんは、イタリア・リビアの協定、イギリスによるケニア・マウマウ弾圧への補償、ドイツによるナミビアでの残虐行為、ベルギーのコンゴ植民地支配、オランダによる奴隷貿易の事例を示し、加害事実の認定が不十分であったり、補償金が中断したり、認定はしても法的責任は否定したり、合意しても被害者が反発したりとさまざまであり、決定的な解決策は見いだされてはいないと話した。そして、賠償には補償や社会変革プロジェクトなどさまざまな形があるが、何が重要かを決めるのは犠牲者自身であり、相手に耳に傾けることが大切とした。

金敏喆さんは「東アジアの移行期正義の視点からみた日本の産業遺産」の題で話した。

金さんは、安倍政権が明治産業遺産登録と強制動員大法院判決を経て、強制労働の歴史否定に行きついたとし、その論理を、植民地合法論によって国際法上の強制労働規定に反しないとするもの、自発的な金銭目当ての渡航であって強制動員ではないとするものとまとめた。

金さんは、ファリダ・シャヒードの歴史記述、教育、記憶、記念(追悼)事業など文化的権利に関する二つの報告書、ファビアン・サルヴィオリの報告「移行期正義措置と植民地状況下で行われた深刻な人権および国際人道法違反の遺産の解決」、国際法曹協会の「公共の場で論争されている歴史 原則、手続き、模範事例」報告などから、民主的価値、包括性、歴史的正義、透明性、証拠基盤などの原則を示し、公共の記念物は市民参加や批判的思考、過去の出来事に関する討論を刺激し、他者との対話を拓くように機能すべきとした。そして、産業遺産情報センターは東アジア共同の記憶センターになるべきとした。

 

 第2部 日本の産業遺産と争点

ニコライ・ヨンセンさんは「産業遺産と外国人強制労働‐日本の歴史修正主義のグローバルな舞台となったユネスコ世界遺産」の題で話した。

ヨンセンさんは、日本は明治産業遺産を世界遺産に登録したが、その資産(鉄鋼、造船、炭鉱)での外国人の強制労働の歴史を否定しており、さらに強制動員の歴史を持つ佐渡鉱山をユネスコの世界遺産に登録しようとしていると現状を示した。ユネスコの世界遺産は人類にとって顕著な普遍的価値のある場所の保護であるが、日本は戦時の強制労働の歴史を世界遺産で否定すること狙い、日本企業はそのような歴史物語の作成に関与している。しかし、日本が強制労働を否定するという歴史修正主義は、被害者に対する二次的な犯罪であり、ユネスコの世界遺産の目的に反するものである。外国人観光客と地元の人々の両方に悪影響を与えることにもなる。

ヨンセンさんは、日本が被害者や関係国と真摯に対話しないならば、ユネスコは明治産業遺産を世界遺産登録から削除し、強制労働の歴史を持つ他の日本の遺産については登録すべきではないと見解を述べた。

野木香里さんは、「産業情報センターの忘却と歪曲の歴史づくり」の題で、産業遺産情報センターの「ゾーン 3 」の資料室に展示された端島の元住民18人の口述記録を分析した。

野木さんは、元島民18 人に対する聞き取りの面談はすべて加藤康子(当時は内閣官房参与、現センター長)が行ったとみられるとした。また、1945 年以前から炭鉱関連の労働に従事した 4 人の口述映像を見ると、ほとんどが強制労働の歴史を否定する内容であり、特に「メッセージ映像」「書籍への反論」映像の最多出演者である松本栄氏の口述映像は強制労働の歴史を否定するものとなっていると指摘した。

そして野木さんは、強制労働を否定するという口述映像の編集意図により、朝鮮人労働に関する不明確な話や幼い頃の話が利用され、口述者の多様な経験の話が排除されているとした。また、センターは強制動員の歴史、民族差別などの本質を説明するものになっていない、犠牲者の追悼をするものにもなっていないと指摘した。

 

■ 第3部 日本の産業遺産と多様な声

金丞垠さんは「日本産業遺産と韓国人被害者が語る強制動員」の題で、強制動員被害者の口述記録の収集状況と展示方法について話した。

金さんは、旧強制動員委員会が収集した口述記録は2000件ほどであるが、200人ほどが公開された。しかし委員会の終了により多くが非公開となっているとし、日帝強制動員被害者支援財団が2020年から口述採集活動をはじめ、民族問題研究所がその事業を受けて130人ほどと面談したことを示した。

金さんは、展示会を植民地歴史博物館(2021)、国立日帝強制動員歴史館(2022)を経て、戦争記念館(2023)とすすめてきたが、その過程で、八幡製鉄所の金圭洙、李天求、朱錫奉、 長崎造船所の金成洙、裵漢燮、金漢洙、高島炭鉱の孫龍岩、鄭福守、端島炭鉱の崔璋燮、李正玉、三池炭鉱の柳奇童、孫仲求ら12人 の強制動員被害者の証言映像を制作したことを紹介した。そして犠牲者の追悼と記憶、その尊厳の回復に向けて、これらの映像を「ともに聴く」ことを呼びかけた。

新海智広さんは「日本の産業遺産と中国人の強制連行・強制労働」の題で端島炭鉱での事例を中心に話し、産業遺産情報センターの展示を批判した。

新海さんは、「明治産業革命遺産」の関連では、日鉄・釜石鉱山に288名、日鉄・二瀬炭鉱に808名、日鉄・八幡港運に201名、三菱・高島炭鉱に409名、そして三井・三池炭鉱に2481名、合計 4187名の中国人が、連行され、その約18%にあたる755名が帰国までに死亡していると連行の状況を示した。また、新海さんは、敗戦後に日本政府に提出された端島の「事業場報告書」では中国人墜落死が「睡眠不足」とされるが、証言では監督がけり落したものとされるという問題点を示した。さらに、産業遺産情報センターには中国人に関する説明は全くないが、センターを運営する「産業遺産国民会議」は中国人の強制労働を否定する映像を編集している。新海さんは中国人が採炭労働を強制された事実を示すなど、その内容の間違いを具体的に示した。

新海さんは、中国人強制連行については2016年に三菱マテリアルが事実を認めて謝罪し、和解している。日本政府も事実を認めている。歴史を隠してはならない。中国人の強制連行と強制労働の事実は、産業遺産情報センターに必ず展示させる必要があると話した。

デヴィッド・パーマーさんは「三菱長崎造船所と三井三池炭鉱でのオーストラリア人捕虜たち」の題で話した。

パーマーさんは、三池炭鉱で労働を強いられたオーストラリアのビクトリア州の捕虜85人の記録をオーストラリア国立公文書館のデジタル資料から入手し、そのうち72人は泰緬鉄道での強制労働を経て、三池に連行されたとした。捕虜登録票には収容者が門司港を経由して入国した日、福岡の第17収容所に到着した日などが記録されている。この捕虜登録票からビクトリア州の捕虜に関する伝記記録を作成した。パーマーさんは、三菱長崎造船でのアラン・チック、ピーター・マクグラス・カー、三池でのイアン・ダンカン、トム・ユーレン、デビッド・ルンゲ、モーリス・フィン、エドワード・マクベイなど、連行された捕虜の事例をあげ、強制労働と虐待の実態を具体的に明らかにした。たとえば、デビッド・ルンゲは三池の現場で抵抗したため、拷問を受け、両足が壊死し切断を強いられた。

パーマーさんは、研究では捕虜を犠牲者ではなく労働者として捉え、帝国主義の戦時経済の運営や過酷な労働体系を示したいと話した。そして強制労働と奴隷労働はいかなる時にも容認されない、日本は全強制労働者に与えた過去の不正を糺さねばならないとまとめた。

 

■ 第4部 日本の産業遺産の現在

竹内康人は「佐渡鉱山・労務係の記録からみた強制労働」の題で、佐渡鉱山での朝鮮人強制動員の概要と佐渡鉱山の労務係だった杉本奏二の手記、労務係の渋谷政治への聞き取り記録から、強制動員と労働の実態を示した。

杉本は動員について、募集の方法は官庁斡旋なので、郡庁の労務係が面事務所の労務係を督励して人員を集め、警察で身元調査をして、思想の良いのを渡航させる方法になっていたと話している。渋谷は、ここよりもっといい暮らしができると募集した。扶余からは私と杉本の二人で連れてきたが、汽車が停車すると逃げるので、一つの汽車を貸し切り、杉本と私は両端にいて逃げないようにした。一睡もせず連れてきた。私達は一人も逃がさなかったと話している。現地での労働について杉本は、勤労課としては、稼働の悪い連中に弾圧の政策を取り、勤労課に連れ来りなぐるける、はたでは見ていれない暴力でした。彼等にすれば強制労働をしいられ、一年の募集が数年に延期され、半ば自暴自棄になって居た事は疑う余地のない事実だと思いますと記している。

竹内はこのような資料から強制労働は否定できない事実であるとまとめた。さらに現在の日本政府による強制労働の否定とそれを追認する韓国政府の肩代わり策を批判した。

吉澤文寿さんは「佐渡鉱山朝鮮人労働者をめぐる歴史研究の現況」の題で佐渡鉱山での朝鮮人強制労働の調査・研究の現状を示し、歴史否定論を批判した。

吉澤さんは新潟での1980年代からの調査・研究の経過を示し、1991年に相川町史編纂室の本間寅雄氏から佐渡鉱山の相愛寮の煙草配給台帳を林道夫と張明秀が得て、現地調査を行ったこと、市民が「過去・未来―佐渡と韓国をつなぐ会」を結成し、92年には鄭炳浩、盧秉九、李相鎬、被害者遺族の金平純、李吉子らを招待し、証言集会を持ったこと、95年にも証言集会を開催し、厚生年金未払金問題にも取り組んだことなどを紹介した。

また、吉澤さんは、強制労働を否定する西岡力らの言説は歴史研究ではなく、歴史研究の否定である、日本の植民地支配の加害性の否定という一点で運動をしているものであり、研究成果にあたらない。歴史研究を目指すものではないので、学問的手続きが無視され、杜撰である。佐渡鉱山の朝鮮人労働者の歴史を考察する上で、このような「言説」を極力退けていく必要があるとした。そして、強制労働に関する貴重な研究成果とそれを否定する謬見を同列に並べて「両論併記」する報道の問題点などをあげ、これまでの研究成果に真摯に向き合うべきと話した。

 

■    戦争記念館での「消えていく声-戦争と産業遺産・忘れられた犠牲者の話」展示

ソウルの龍山区にある戦争記念館で「消えていく声-戦争と産業遺産・忘れられた犠牲者の話」の展示が6月8日からはじまった(9月8日まで)。6月9日の国際会議はこの展示の関連で開催された。

この展示は、明治産業革命遺産の八幡製鉄所、長崎造船所、高島炭鉱、三池炭鉱と世界遺産登録が申請されている佐渡鉱山での朝鮮人の強制労働に関するものである。展示は強制動員の博物資料と証言映像を中心に構成され、連行された中国人や連合軍捕虜に関するものもある。また、世界遺産とされた各地の鉱山や炭鉱での強制労働の展示に関する解説もある。

産業遺産関連の主な展示物は、金順吉「日記」(長崎造船所に動員)、崔璋燮「自叙録」(端島への動員手記)、三池炭鉱動員朝鮮人集合写真、「保険料領収証」(端島、徐達文)、「特別据置貯金証書」(端島、徐達文)、「保険料領収証」(佐渡、金鐘元)、「相愛寮煙草台帳」(佐渡鉱山)、「死亡証明書」(端島炭鉱・表相萬)などがある。また、端島に動員された金先玉、崔璋燮、佐渡に動員された金珠煥、金鐘元、申泰喆らの強制動員被害認定関係書類も展示されている。

証言映像は5つの場所に設置されている。そこでは、八幡製鉄所に強制動員された金圭洙、李天求、朱錫奉、長崎造船所の金成洙、裵漢燮、金漢洙、高島炭鉱の孫龍岩、鄭福守、端島炭鉱の崔璋燮、李正玉、徐正雨、三池炭鉱の柳奇童、孫仲求、佐渡鉱山の朴仁赫、金周衡などの証言に接することができる。連合軍捕虜のレスター・テニー、中国人の李慶雲などの証言もある。

映像コーナーの充実が今回の展示の特徴である。展示は9月8日までである。ソウルを訪れた際にはぜひ見学してほしい。    
 
 追記 6月8日、戦争記念館の入口を市民団体が占拠し、記念館前にある国防部の大統領執務室に向かって抗議行動を行っていた。生き生きとした展示である。
 
                                                   (竹内)