中川五郎LIVE IN 静岡
8月19日(土)、静岡市の MIRAIE リアンで標記のコンサートが開かれ、50人余の観客が五郎さんの熱いメッセージがこもった演奏を楽しんだ(主催:中川五郎を静岡へよぶ会/共催:静岡・沖縄を語る会)。
ピースシンボルをデザインしたギターストラップを肩にかけ、ギター一本で休憩を挟んで3時間近く13曲を歌う五郎さんは74歳とはとても見えない。ライブを続けているエネルギーが五郎さんのステージから伝わってくる、決して押しつけがましい形ではなく。
五郎さんは言う、「歌には何かできることがあると思う。たとえば人と人とを繋ぐこと。その力が、いつか世の中を変えることにつながるのではないか。」五郎さんの歌はまさにこの言葉を具体的に表現するものだ。『空飛ぶ金のシャチホコ』は名古屋城復元を巡る色々な動きを歌った曲だ。名古屋城天守の木造復元案に関しての市民討論会で、車椅子の男性がエレベーター設置を求めた所、別の男性が「お前が我慢、せえよ」等の差別発言をし、河村市長はこの発言に対して何の対処をしなかった。障がい者(弱者)を排除する世の中、政治。一方で権力者・金持ちは優遇される。『石原伸晃さんが東京医科歯科大学病院に入院した』はコロナ感染(無症状)した石原伸晃元経済再生相の優先病院入院を皮肉った曲。
五郎さんは民衆の中にある差別意識も抉り出す。『パリャヌイツア』(パンの意味)はロシア人には発音しにくいウクライナ語。ウクライナでロシア人を炙り出すために使われた単語だ。関東大震災の後、朝鮮半島由来の人々を炙り出すために日本人が使った「15円50銭」のように。コンサートの最後の曲『1923年福田村の虐殺』は関東大震災直後に福田村(千葉県)で起きた香川からの行商人9人を自警団が虐殺した事件を歌った曲だ。行商人たちの言葉(発音)が自分たちとは違うので「こいつら朝鮮人だ」と思い込んで虐殺してしまった自警団の人たちは普段は平和な家庭の普通のお兄ちゃんお父ちゃんたちだ。彼らを虐殺集団にしたのは何か?事件後の裁判でも「彼らには悪意はなかった」として村費で裁判支援をし、被害者には何の謝罪の言葉もないのはなぜか?歌には歌われていなかったが、太平洋戦争で日本軍が朝鮮・中国・アジアの民衆に対して行った残虐な行為を反省しきれていない(それどころかその歴史を否定しようとする動きが強まっている!)部分が私たち日本人の中にあることにつながる事件だと思う。
この「福田村の虐殺」を描いた映画『福田村事件』(森達也監督)が9月1日より静岡・浜松で劇場公開される予定だ。(I)