15回強制動員真相究明全国研究集会「産業遺産と強制労働」開催

●宇都宮・第15回強制動員真相究明全国研究集会

 2023930日、宇都宮市内で第15回強制動員真相究明全国研究集会「産業遺産と強制労働」がもたれ、オンラインを含め70人ほどが参加した。

研究集会では、宇賀神文雄「栃木県の朝鮮人強制労働調査・朝鮮人追悼碑について」、内海隆男「栃木の電源開発と朝鮮人、関東大震災と朝鮮人虐殺」、竹内康人「栃木県の強制連行研究史」、中田光信「明治産業革命遺産・第45回世界遺産委員会の決議」、矢野秀喜「徴用工問題の現状について」、野木香里「強制動員をどう展示するのか」、山本直好「釜石市における朝鮮人艦砲戦災犠牲者の追加認定」、山内弘恵「海の墓標ピーヤ」等の報告あった。

 宇賀神文雄さんは栃木県での朝鮮人強制労働調査の経過について強制連行関係年表を示して話した。栃木で真相調査団を結成し、強制連行の歴史を調査した。知事引継書や厚生省勤労局名簿などの史料から実態を明らかにし、朝鮮人追悼碑を建立して足尾、宇都宮、塩谷、藤岡などで追悼集会を開催した。調査の継続と活動の継承が課題である。足尾では世界遺産登録の動きがあるが、対応が求められる。

内海隆男さんは栃木の電源開発と朝鮮人について話した。栃木ではすでに1912年の鬼怒川電源開発工事で早川組と大丸組が朝鮮人を水路工事に使役した。早川組の「哀悼の碑」には朝鮮人の名がある。内海さんは栃木での関東大震災における朝鮮人虐殺についても話した。当時、発電工事現場に朝鮮人がいた。間々田、小金井、石橋、東那須野などで朝鮮人が虐殺され、誤殺された日本人もいた。東那須野の共同墓地には追悼碑がある。

竹内は栃木県の強制連行の調査・研究の概要について話し、強制連行先一覧、真相調査団の調査活動、足尾鉱山への朝鮮人連行状況、足尾での中国人連行の証言、足尾での連合軍捕虜の収容状況、栃木県での軍人軍属の動員、栃木県での動員期の朝鮮人死亡者名簿などを提示した。足尾鉱山では強制連行期の朝鮮人死亡者の名前が明らかになったが、多くが創氏改名のままであり、本名は不明である。真相は究明されていない。

中田光信さんは明治産業革命遺産での強制労働の歴史否定をめぐる動きを示した。日本政府は約束に反し、産業遺産情報センターで強制労働を否定し、犠牲者を追悼しなかった。ユネスコは2021年の第44回世界遺産委員会の決議で日本政府に改善を求めたが、政府はユネスコ・イコモスの共同調査団の理解が不十分とみなした。23年の第45回世界遺産委員会の決議は、約束の実施の継続と新たな証言などの提示を求めるものだった。


 矢野秀喜さんは2023年の韓国政府による徴用工問題解決策は支援財団が肩代わりするというものであるが、安保と経済を優先して植民地主義の清算を後回しにするものであり、問題を解決するものではないと批判した。4人の原告が肩代わり金の受取を拒否したため、韓国政府は供託しようとしたが、裁判所は拒否した。解決にむけ、被告企業は原告と協議し、日本政府も事実を認め、謝罪すべきである。

野木香里さんは韓国での企画展「消えていく声、戦争と産業遺産・忘れられた犠牲者の話の概要を紹介した。展示構成は、世界遺産・強制労働・犠牲者の声、日本の産業遺産の現場と消えていく声、ユネスコ世界遺産と記憶の継承、もう一つの現場・佐渡鉱山である。展示では21名の証言を5本の映像にまとめ、声にならない声を証言者の表情から聞き取る場を設定した。

山本直好さんは釜石市における朝鮮人艦砲戦災犠牲者の追加認定の経過を話した。2017年に朝鮮人犠牲者の追加認定が保留とされたが、昆勇郎「「釜石艦砲戦災史」調査資料」などの資料を収集し、2020年には釜石市と日本製鉄の間の文書の公開を請求した。市との交渉のなかで2021年に朝鮮人7人の追加認定を実現することができた。

山内弘恵さんは山口県の長生炭鉱での水没事故の概要、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の結成と活動、追悼碑の建設、ピーヤ(海底炭鉱の排水・排気筒)の保存運動、遺骨収集の課題について話した。19422月の水没事故では183人が死亡したが、そのうち136人が朝鮮人だった。遺族会の要請を受けとめ、刻む会は遺骨の発掘をめざしている。

本研究集会では塚﨑昌之さんが栃木県での第3農耕勤務隊に動員された朝鮮人について発表する予定であった。しかし9月に急逝された。67歳だった。塚﨑さんは京都大学で歴史を学び、高校教員を経て、博士論文「在阪朝鮮人の定住化と生活に関する史的研究」で学位をとり、大学の講師になった。

大阪での朝鮮人史に関する論文を「在日朝鮮人史研究」などに多数執筆し、現場のフィールドワークを熱心におこなった。朝鮮人軍人軍属の強制動員についても詳しかった。大阪の朝鮮人強制連行や戦争遺跡についての調査をおこない、近作には「吹田の戦争遺跡をめぐる」(2020年)「大阪空襲と朝鮮人そして強制連行」(2022年)などがある。強制連行・強制労働を考える全国交流集会、強制動員真相究明ネットワークでも活躍し、30年余の仲間である。彼を知るメンバーもこの研究集会に多数参加し、その活動を偲ぶとともに遺志を継ぐ思いを重ねた。

●足尾鉱山フィールドワーク

 101日には足尾鉱山のフィールドワークがもたれた。訪問先は足尾の中国人追悼碑、専念寺小滝説教所跡地の朝鮮人追悼碑、足尾銅山観光、龍蔵寺の坑夫墓・囚人墓、足尾の連合軍捕虜収容地、塩谷町の朝鮮人追悼碑などである。

 戦時、足尾鉱山には朝鮮人が1940年から45年にかけて2416人が連行された(うち死亡38人、厚生省勤労局調査名簿による)。中国人は257人が連行された(通訳の死亡者も入れると、死亡は110人)。連合軍捕虜は458人が連行され、砂畑に245人(うち死亡24人)、野路又213人(うち死亡1人)が収容された。

 足尾鉱山の中国人追悼碑(中国人殉難烈士慰霊塔)は小滝坑があった北方の丘の上にある。高さは13メートル、1973年に建立された。追悼碑の裏面には109人の死者の名前が刻まれている。通訳で連行された人は死者に含まれていない。中国人は1944年10月に175人、82人と2次にわたり連行された。連行途中で11人が死亡した。足尾から北海道の地崎組に2人が転送された。

 専念寺小滝説教所跡地にある朝鮮人追悼碑は木製である。暗く湿気の多い場所であり、死亡者の氏名を記した板は10数年で朽ち果て、現在は木の柱一本だけがある。当日、2023年の足尾朝鮮人強制連行犠牲者追悼式が持たれ、関係者が挨拶し、法要と焼香がなされた。フィールドワークのメンバーも参加し、焼香後、強制動員真相究明ネットワークによる追悼会を持った。そこで栃木の日本人団体、朝鮮人団体、専念寺住職の挨拶を受け、究明ネットと韓国からの参加者が思いを語った。追悼の献歌もあった。
 

 足尾鉱山に連行された朝鮮人は小滝、砂畑、高原木などの収容所に入れられた。家族持ちの朝鮮人は銀山平などの社宅に入れられた。埋火葬史料からは小滝5497、砂畑4147、神子内944番地などでの集団収容がわかる。

 足尾銅山通洞坑の跡地は足尾銅山観光として利用されている。坑内をトロッコで下り、坑道を歩くことができる。資料も展示され、足尾鉱山での採掘、選鉱、製錬の概要を知ることができる。鉱山の歴史の説明板には朝鮮人の「使用」や中国人の「就労」については記されているが、強制の文字はない。連合軍捕虜については記されていない。

 足尾の製錬所近くにある龍蔵寺には渡坑夫共同供養塔、栃木県監獄署囚人合葬墓、松木村集合墓などがある。若くして亡くなった坑夫、囚人労働の犠牲者、廃村となった松木村の歴史を示す墓石群である。鉱山からの煙害で墓石が変色しているものもある。ここで「親子三代足尾に生きて」(2023年刊)の著者上岡健司さんの案内で墓石を見学した。上岡さんは1933年生まれの90歳、戦後、足尾鉱山で労働運動を行うなか指名解雇され、裁判で闘い、解雇無効を勝ちとった。足尾町会議員を8期努め、著書で強制連行についても記している。足尾の環境と歴史を考える会の会員でもある。今も元気に活動している。
 

 野路又の旧足尾高校グランドに連合軍捕虜収容地があった。アメリカとオランダの捕虜が多かった。この収容所に連行されたのは1945年の6月であり、連行された人びとは製錬所での労働を強いられ、死亡者は1人(品川病室で死亡)。すでに連合軍捕虜は194311月に通洞坑の川向こうの砂畑に連行されていた。かれらは坑内労働を強いられ、24人が死亡した(うち23人がオランダ人)。

 足尾から日本鉱業日光鉱山のあった塩谷町に向かった。塩谷町上沢の墓地には2015年に建てられた追悼碑がある。ここには日光鉱山で死亡した朝鮮人4人の名前が記されている。碑文には、厳しい労働を強い、その結果犠牲となったこと、過去を深く反省すること、友好と平和に向けて碑を建立することが記されている。裏には出身地、流盤(落盤)、発破などの死亡理由が記されている。最後に「知事引継書より」とあるが、典拠は厚生省勤労局報告書の日光鉱山名簿であろう。

足尾の朝鮮人追悼碑は木製であり、仮のものである。名前も創氏改名されたものであり、本名のほとんどが不明である。韓国での被害申告資料などと照合し、真相を究明すべきである。新たな追悼碑の建設も課題である。足尾では世界遺産の登録を推進する動きがある。世界遺産登録を推進する会の結成は2006年のことであり、足尾銅山文化交流館がその拠点となっている。案内所にはカラー刷りの足尾銅山の産業遺産の案内なども複数置かれている。古河による産銅とその技術を賛美する視点が強いが、足尾からの煙害・鉱毒と反対運動、足尾の坑夫の労働運動と塵肺の歴史、受刑者の強制労働、戦時の朝鮮人・中国人・連合軍捕虜の強制労働、戦後の労働運動・労働争議、環境回復などの歴史が大切である。足尾の銅は軍需品であり、戦争に利用され、どのような加害を与えたのかについても記されねばならない。産業遺産は資本、労働、国際関係の3方面から複合的にみるべきである。    (竹内)