10・14塚本清一さんを偲ぶ会 遺稿集「戦争に反対する」

 2023年10月14日、藤枝市内で塚本清一さん(1941~2023)を偲ぶ会がもたれた。
 塚本清一さんは1941年10月に御前崎で生まれました。日本が侵略戦争を拡大し、東条内閣が米英戦争を画策している時期です。清一さんは敗戦後の民主主義教育を受け、静岡大学教育学部で学びました。青年期、20歳前後が60年安保闘争の時期ですから、社会変革の歴史を体験したことでしょう。 
 大学卒業後、静岡県の高校社会科教員となり、若者たちに実業高校で歴史や政治を教え、労働者、主権者として生きるための教育をめざしました。故郷から遠く離れた松崎では、社会科教員とともに「父母に聞く戦争体験」(1971年)を編集しました。磐田では郷土研究部の顧問として「磐田地方の太平洋戦争」(1977年)を発行しました。高校教職員組合に加入し、職場の民主化をめざしました。
 静岡地理教育研究会にも参加し、地域教材を授業内容に組み込みました。静岡地理教育研究会の「富士川の変貌と住民」(1976)、「よみがえれ大井川」(1989)、「富士山 世界遺産への道」(2000)の出版に参加し、地歴の事象を民衆の視点からとらえ直す作業をおこないました。社会変革への思いを持ちながら、社会科教員として戦争加害の歴史についても調べました。
 
 2001年に60歳となって退職、その後は地域の市民運動に積極的に参加しました。地域で志太憲法を大切にしよう会を結成し、事務局を担いました。静岡市の映画「侵略」上映委員会の会報には、「戦争に反対した人びと}(連載30回)をはじめ、時々の政治権力による戦争参加、憲法改悪の動きを批判する記事を書いています。静岡市での集会やデモに参加するとともに藤枝駅前でのスタンディングもおこないました。藤枝で平和展や平和集会を企画しました。80歳になっても市民集会で平和と人権をアピールしました。アベ政治に強い怒りを持っていました。清一さんは政治権力への批判は鋭いのですが、仲間へは温厚であり、排斥するような行動はとらない方でした。
 清一さんは自らの活動を小冊子にまとめていました。歴史を記したものとしては「戦争に反対した人々」(1~3)、「朝鮮・韓国を考える」、「明治は本当に「栄光の時代」であったか 明治150年礼賛を考える」、「ドイツと日本 戦争反省と戦後補償での両国の違い」、「反天皇制論集」、「歴史の想像力が衰退した社会で8月15日に考える 志太地方の兵士も侵略荷担」などがあります。現代の政治状況を批判するものには「集団的自衛権批判」(1・2)、「自民党憲法改正案を批判する」、「九条改憲反対論」、「わたしたちにも言わせてください 脱原子力発電」などがあります。地域での平和活動をまとめたものには「市民活動 シール投票・集会・スタンディング」、「高洲地区、吉田町平和展・九条展」、「見も知らぬ人を訪ねて署名乞う 玄関先に西風つよく 改憲反対署名活動の記録」などがあります。「花摘む野辺に日は落ちて 私の少年時代」は孫たちに送る冊子です。
 清一さんは、侵略戦争に抵抗した人びとの歴史をまとめ、侵略と植民地支配の清算を求めつつ現代の戦争と軍拡に反対し続けました。まさに「戦争に反対する人」でした。清一さんから大井川筋の歴史について教示を受けるとともに、「戦争に反対した人びと」の連載などから学びました。そして集会に同席し、現実をどうとらえ、どう批判するのかを考えました。清一さんから多くを学びました。
 清一さんは松崎で妻に出会い、二人の娘を育てました。自宅の遺影の横に、二人の娘を抱く30代の清一さんの若き羽織姿の写真を見ました。その娘たちが生んだ5人の孫に囲まれた清一さんの写真もありました。80歳近いおじいちゃん姿でした。その温厚な笑顔と学恩に心から感謝し、ご冥福をお祈りします。
 遺稿集「戦争に反対する 塚本清一遺稿集」2023年10月刊が編集されています。1冊1000円で配布しています。                      (竹)