ウトロ平和祈念館・「ウリルム」公演

 

2023年11月12日、京都の宇治市伊勢田町にあるウトロ平和祈念館でノリマダンがもたれ、韓国・清州で活動する「ウリルム」が公演した。ノリマダンとは遊びの場、ウリルムは「響き」の意味である。

ウトロ平和祈念館の開館は2022年4月のことである。ウトロでの朝鮮人集落の形成は戦時に京都飛行場の建設が始まり、飛行場横に日本国際航空工業の大久保工場が建設されたことによる。ウトロの飯場は1943年頃に形成されたが、飛行場関係工事に動員された朝鮮人は約1300人という。解放後もそこに住んだ人びとがいた。

戦後、日本国際航空工業は新日国工業となり、日産自動車と提携、1962年に日産車体工機と名称を変えた。ウトロの地権者はこの日産車体だったが、1987年にウトロの土地を売却、さらに土地は転売され、地権者は住民に立ち退きを求めた。

これに対し1989年、ウトロの住民は土地対策委員会を、支援者は地上げ反対!ウトロを守る会を結成して抵抗した。裁判では敗訴したが、居住権を世界に訴え、韓国では市民募金運動が起き、韓国政府も支援金を拠出した。日本での募金もあった。それにより2007年に3分の1を買い取り、ウトロ住民は居住のための土地を確保することができた。行政は住環境整備事業に取り組むことになり、2018年に市営住宅(第1期棟)が完成した。2023年夏には第2期工事(第2棟)が完成した。

この動きのなかで2021年8月にウトロの倉庫などへの放火事件が起き、祈念館で展示する予定の立看板などが焼失した。それはヘイトクライム(人種憎悪による犯罪)であった。日本のなかで疎外されてきた青年が、SNSなどでの「在日特権」の喧伝を内面化し、在日朝鮮人の集落を焼くことで自らの存在を確認するという行動だった。ヘイトスピーチの放置が導いた犯罪である。
 
 このような事件を乗り越え、2022年4月に平和祈念資料館が開館した。そして開館から約1年半後、ウリルム公演がもたれた。

ウリルムの公演はピナリ(幸せを願う祈り)から始まった。チン(鉦)、ケンガリ(小鉦)、チャング(杖鼓)、プク(太鼓)の4つの伝統楽器を使ってサムルノリ(サムルが4つの物、ノリは遊び)が演奏された。続いて、扇を持っての伝統舞踊、伝統楽器のピリ(笛)、パンソリの水宮歌、伝統遊びのポナ(皿回し)などが披露された。

チンは風、ケンガリは雷、チャングは雨、プクは雲の音とされ、豊作を願っての農楽が起源である。ブクが鼓動を刻み、チャングが生の継続を呼び、ケンガリが心を励まし、チンが覚醒を促す。ウトロ祈念館の出立と希望、ここに生きる喜びと魂の根源からの解放を呼びかけるかのように、打楽器の演奏が続いた。見る者はともに身体を揺らし、声をあげた。

ウリルムの公演後、崔相敦が弾き語りで「イムジン河」「椿の花」「ここは私たちが生きて」を歌った。「椿の花」は済州島4・3事件の悲哀、「ここは私たちが生きて」はウトロを守る意思を示す歌である。

最後にウリルムと崔相敦がともに「アリラン」を演奏した。雨も止み、曇天の中、参加者は祈念館前の広場に出て、ウトロ住民とともに踊った。アリランのメロディーとケンガリの鐘の音が響き渡り、横の大久保基地のフェンスを抜けていった。それは苦難の道を越え、「ウトロで生きてきた、ここで生きる」という想いの調べのようだった。 (竹)


2021年放火事件を物語る遺物