12・11 袴田事件第4回再審公判
2023年12月11日、袴田事件の第4回公判がもたれ、傍聴に約120人が並んだ。一般市民に与えられた傍聴席は27席に過ぎない。法廷前での金属探知機による検査や、その検査で携帯電話を発見された人が提出しても傍聴を拒否されるなど、異様な傍聴者への監視だった。主権者を犯罪者とみなすような対応だった。
公判の午前、検察側が5点の衣類が袴田さんのものであるという主張で立証をおこなった。ねつ造は困難と、若い検事が記録を読むが、棒読みである。5点の衣類が犯行着衣であることを立証できるものはなく、衣類の味噌漬けでの生地の色の変化については全く主張できない。時間稼ぎのような「証拠」提示だった。
午後は弁護側の冒頭陳述と証拠の提示がなされ、5点の衣類が袴田さんのものではなく、ねつ造されたもの推認されると論じた。弁護側は、犯行直後、1号タンクに入っていた味噌は少量であり、着衣は隠せない状態であった。袴田さんの部屋には血痕はなかった。衣類が1年2か月も漬けられていれば、味噌の色に染まっているはずだが、シャツやステテコには白色が残っている。それは発見される少し前に入れられたものである。検察の味噌漬け実験でも味噌の色に変色している。色彩を判断できるカラー写真が弁護側に示されたのは2015年のことであり、重要な証拠が隠されていた。ズボンについている血痕とステテコの血痕の位置が一致しない。ステテコには大量の血が付いているが、ズボンの裏側に付いている血は少ない。シャツの背中部分に血が多く付いているのも不自然だ。証拠とされたズボンは穿けないものであり、袴田さんのものではない。大腿部でつっかえてしまうものであり、日常はいていたズボンとサイズが違う。袴田さんがボクサーとしての復帰を目指し、体重を60キロほどに保っていたことも示された。
この日の公判では、犯行着衣とされた紺色のズボン、ステテコの現物が示され、着衣を包んでいた麻袋、袴田さんが日常穿いていた茶の格子ズボン、ズボンの寸法札、味噌漬け実験の際の配色カードなども示された。ステテコはズボンよりも大きなサイズであるが、経年で茶色に変色していた。
公判後、袴田ひで子さんは弁護士を信用している、素晴らしい弁護だった。初めて衣類の実物を見た。(裁判に)勝つしかないと決意を述べた。
12・20袴田再審・第5回公判
2023年12月20日、静岡地裁で袴田事件再審第5回公判がもたれ、120人ほどが傍聴を求めた。今回の公判では「血染め」と宣伝されたパジャマが法廷で示されたが、鑑定のため切り刻まれていた。また血痕とされた部分は一箇所にすぎなかった。
今回の公判での検察の有罪立証は、袴田は借金があり金品を手に入れたかった、店員がクリ小刀を袴田が買ったと彼の写真を選んだ、左中指の傷跡が犯行時のもの、パジャマに血痕と混合油の跡が確認されたとした。
これらについて、弁護側は、負傷は消火活動の際のもの、パジャマでの血痕は判然とせず血液型鑑定はできず混合油の鑑定も信用できない、クリ小刀の刃物店の店員が証言後に袴田さんの顔は覚えていないと告白した、上司の家から金銭を奪うという動機はない、消火中に袴田さんは目撃されており、味噌タンクに5点の衣類を隠す余裕はないと反論した。
この事件は1966年6月に起きたが、当初警察はパジャマを「血染めのシャツ発見」と広報させ、拘束しての取り調べで犯行時の衣服として「自白」させ、犯人に仕立てた。しかし、パジャマから証拠としての血液鑑定はできなかったとみられる。このなかで検察は翌年の8月に味噌樽から5点の衣類が発見されたとしたのである。パジャマを犯行時に着ていたとすること自体が無理だった。
今回の検察の有罪立証はその材料が不足していることを示すものだった。次回は1月16・17日、その次は2月14・15日、3月25,26,27日が予定されている。5月には結審、その数か月後には判決と予想される。無罪判決を迎えよう。
毎回、一般の傍聴席は30席弱である。傍聴の権利は制限され、傍聴者には法廷入り口で所持品のチェックが金属探知機でなされる。傍聴者を犯罪者のようにみなす対応であり、人権侵害である。裁判長の態度も旧態依然であり、傍聴者の声に「(指定座席)番号をチェックせよ」と声を荒げる始末である。死刑判決が覆るという法廷であり、市民の関心も高い公判である。広い法廷を用意し、参観できる別の場を用意するくらい配慮を示すべきだろう。(T)