映画「日本鬼子」

 「日本鬼子」は中国帰還者連絡会会員の証言で構成されたドキュメンタリー映画である。
 2時間40分に及ぶ長編の映画であるが、日本軍兵士の側から中国戦線における侵略
戦争の実態をよく示している。
 天皇の軍隊内での兵士の非人間化が「日本鬼子」を析出し、中国人を人間として扱うこ
となく残虐な方法で殺害していった状況が具体的に示されていく。人間が戦争のマシンに
変えられ、罪悪感を失い、処刑・強姦・拷問・生体実験をおこなっていく。人を殺すことが楽
しくなっていく。豹のような目つきになりそれを互いに気づかなくなる。殺人を繰り返しそうす
ることで「出世」していく。このような実態が証言で語られていく。

 この映像に出てくる証言内容から印象に残ったものを記しておきたい。
 処刑は日常的に行われた。「厳重処分」という名の処刑。後ろから後頭部を撃ちぬくと脳
みそが飛び散っていった。
 水責めの拷問を繰り返し腹を押さえつけると水が吹き出る。焼けた箸を背中に押し付け
るとその肉の焼けた匂いが部屋に充満する。三角の丸太の上に乗せて拷問すると足の肉
が裂けて骨が見える。人間扱いをしなかった。
 徴兵の忌避は非国民とされ、親兄弟ものけ者にされた。営内では兵士を殴って憂さを晴
らしていた。相互ビンタ、「ミンミンゼミ」、「お女郎さん」といった人間性を否定したことをやら
され、反撃しようとすると上官暴行で重営倉行きとされ、前科者扱いにすると脅された。
 中国人の首を切ると頚動脈から血が上へと噴出した。人間の処刑を「国のためになる」と
考え何の罪悪感を持たなかった。
 上官は「やらねばならない」それのみだった。浴場で、生体実験で死んだ人達を「きょうは
00本のマルタを使った」と話し合っていた。
 捕虜を刺し殺す刺突がおこなわれ、無様な格好でやると「出世」に差し障った。
 刺せないと殴られ、刺し殺す訓練を行い、銃剣を胸にねじりこんで刺すことを学んでいった。
 殺さないと臆病、意気地なしとみられた。
 中国人母子をみ、「いい思いをしてガキをつくった」と見下していた。
 女という女を全裸にし追い出して銃剣でついた。陰部に竹やりを刺してそれを殺しの見本
とした。
 井戸の中に女を捨てると子供が跡を追って井戸に落ちた。そこに手榴弾を投下した女を見
て強姦しなかったり人を殺さなかったりすると仲間はずれになった、。強姦すると証拠を残さ
ないためにその場で殺した。
 男を連れてきて性行為をさせ、おわるときに撃ち殺した。
 兵士の目は人間の目ではなく虎や豹の目のようになっていた。度胸だめしで人の首を切っ
た。周囲は血の海となった。日常的な造作で首切りを行った。互いに目つきが悪
くなったことをきづかなくなった。
 生体解剖をする時、周りはニコニコしていた。製薬会社に解剖で得た脳のホルモンを提供し
た。捕らえた中国人に銃弾をぶち込み戦場での手術の実験材料とした。
 人間の良心がなくなり人を殺すことが面白くなった。人を殺して成績を上げた。
 労工狩りをおこなった。数珠繋ぎにして牛馬とともに連行し、倉庫におしこめた。
 翌日半数が死亡したが将校は「半分いかれた」と笑っていた。
 苦力を供出させ、先に歩かせて地雷を踏ませた。20人中4、5人が地雷を踏み苦しんだ。
 女をその場で強姦し、その肉を中隊で食べた。人肉と知っても中尉は何も言わなかった。
 中国人民の苦しみ悲しみは想像を絶するもの。助けてくれといっても助けることなく、罪の
意識はなかった。中国での侵略をしゃべれない、しゃべらないという現実。

 中国で戦犯となった人々が、人間性を回復し、戦争犯罪を自覚していくなかで自らの行為を
語っていく。それは、人間の尊厳回復の劇的な過程であった。
 生存者が激減する一方、歴史の偽造が声高にすすみ、戦争法制の制定が狙われている。
 このようななかで完成したこの証言映画は、人間にとってなにが必要なのか、過去の戦争
において何が未解決なのかをしめし、歴史の教訓に満ちている。軍拡と侵略により殺人が
評価され人間性が剥奪されていった時代との格闘は決して過去のものではなく、現在の課
題である。
                                    2002年7月7日(竹内)



■制作・監督…松井  稔
■制作・撮影…小栗 謙一
■ナし−ション…久野綾希子
■音楽…佐藤良介 制作補 花井ひろみ
■制作協力…中国帰還者連絡会
        葫蘆島を記録する会
■制作…「日本鬼子」制作委員会

日中15年戦争・元皇軍兵士の告白
■ドキュメンタリー映画・16ミリ/2時間40分


■解説
14人の元皇軍兵士が次世代に伝えるほんとうの戦争
 試し切り 実的刺突 拷問 強姦 生体実験 強制連行 
 細菌化学兵器 人間地雷探知機 人肉事件

 聖戦の名のもとに侵略戦争の銃を握らされた私たちの祖父や父。
 彼らはそこで何をしたのか?
 戦争の被害については多くのことが語られてきたが、加害については沈黙、否定
 されてきた。
 被害の体験は語り易いが、加害の体験は語り難い。
 しかし加害体験こそが戦争の真実、人間の弱さと恐ろしさを明らかにし、再び過ち
 を繰り返さぬための歴史の教訓となる。

■監督のことば
 この映画を見て、「これでもか、これでもかの残虐な話に不快になった。今更自分
の国の過去の恥部を暴いて何になるんだ」と言う人がいた。
 しかし、この映画は歴史の、人間の真実である。私たちは未来のために、戦争の
実態、組織の歯車となった人間の狂気と弱さを知らなければならない。
 残虐な加害者たちは、戦争に行く前はごく普通の平凡な人たちであった。彼らは
私であり、貴方でもある。残虐だからといって、目をそむけたり隠したりする態度こそ
が不快であり、恐ろしいことなのだ。それは再び同じ過ちを繰り返すことにつながる。
 知らないこと、知ろうとしないことは罪悪である。
 私たちの未来のために、加害の証言を記録することを承諾してくださった14人の
方々の勇気に深く感謝いたします。

■私は若者に伝えたい。
「軍隊とは恐ろしいところです。考えることが許されない。上官の命令は天皇陛下の
命令として、反抗することも口答えすることも許さない。」
 こうして私は『鬼』にさせられ、満州で憲兵となり、731部隊に4人の中国人を送り
込みました。
 自分の罪深さを教えてくれたのは、撫順の戦犯管理所で《人》 としての扱いを受け、
十二分に考える時間を与えられたからでした。私と同じく撫順の地で《人》に生まれ
変わった、仲間の証言にじっくり耳を傾けてください。
「中国帰還者連絡会」岐阜支部会員 長沼節二さん(88歳)