『おとと、うたと、ことばと、からだと』2007・4・14の印象
谷川俊太郎の詩を彼自身ではなく他人が読むと、そこにある距離が生まれる。この距離感をとり方は、人それぞれ独自のものであって、そのとり方は水平な関係にある。それぞれが感じそれぞれに表現すればいいものであると思う。
時代の関係性のなかで自らの内面に組み込まれていくものを問う作業に意識を持たなければ、内面に掛けられた錠は見えないし、壁も見えない。どれほど支配的なメンタリティを自己のものとして行為することが多いことか。そのとき心は疎外されている。心はばたく、心ときめく、その力は関係性がつくるものである。思索の中で暗闇からの未知の力を求めたい。身体のしなやかさとの対話から生命力がうまれることを何度も繰り返して確認するしかない。
太陽と天使と対話する鈴木加奈子の身体表現が印象に残った。言葉の重さが歌ってしまうことで削がれていくこともあるように思う。構成において、詩の朗読と音とダンスのコラボを重視し、英語の歌を減らすことでより緊張感のある表現になるようにも思われた。コラボにおいてはそれぞれの朗読に主導性を持たせ、英詩のジャズを減らすこと、それによって終章の「明日」「希望」へのつながりが強まるように思われた。(T)