2005年2月に『パッチギ』という映画を観た。パッチギとは、「頭突き」や「突き破る」という意味のコリアンの言葉である。この映画は1960年代後半の京都を舞台にしている。日・朝の高校生のケンカと恋をテーマに、それぞれの生活や感情をあらわしながら、人間として民族を超えて結びついていくことを描いたものだ。映像にされたさまざまな部分は誇張されているところもあり、真実ではない場面もあるが、この時代の風景をたくみにとらえていた。
監督の井筒和幸はこの映画について、現状を見すえながら、「自分たちの物語だけを語っている場合ではない」、「いろんな壁が待ち受けているが、それを突き破る心意気で生きていって欲しい」、と語っている。
この映画のテーマソングが『イムジン河』だった。イムジン河は南北朝鮮を分断する河である。今年の春、私は韓国の江華島方面から、北緯38度線近くのイムジン河口を眺望した。その河口は海と一体となっていて、分断されたかなたに点在する家々が見えた。
この映画の設定をみると、分断の河は38度線のみならず、この国の中にも流れているということができる。そして、その河は相手の物語を理解しようとする試みから越えられていく。河を越えようとするならば、相手の心の武装を突き破ろうとするこころざしが必要だ。認めあえる関係をつくることは労苦がかかる作業である。
現在の世の中の社会や人間の関係をみてみると、関係の溝はいっそう深まっているようにみえる。離れることのできない関係のなかでは、隣人愛が欠かせない。対立させ敵対させていく文言が氾濫するなかで、それらに動じることなく生きることが求められていると思う。
国境や民族をこえて人と人とがであうには、歴史や文化を知ることがたいせつだ。つまらない風にあおられずに立っているには、それなりの知性や感性が必要だと思う。みずからを隷属させるような魂のありかたには別れを告げ、個人的な利害によるのではなく、広く一般に共有される普遍的な価値意識を追求することもたいせつだと思う。
この現実を突き破っていく意思のスタイルの持続、『パッチギ』を観ていてそんなことを考えた。
武器を捨てて あなたと出あう
イムジン河を越えて ひとつになる
これは、新たな出あいにむけて、このイムジン河を歌うときの、私的な歌詞3番の終わりの部分である。