ナカムラマサシ展(NON!FLY)20065

ナカムラマサシ展(NON!FLY)が、この5月にギャラリーCAVEでおこなわれている。

ナカムラは「ポイエーシス」という言葉に惹かれている。この言葉は古代ギリシャ語が源であり、創造や制作を意味する。それは、内面にある豊かなものを外化し、真理を開示することを意味する。現代のアートは、商品化され教養化されることで、その本質が疎外されていくことが多いのだが、ナカムラにとって制作(ポイエーシス)は本質を求めての旅としてある。

ナカムラは捨てられて漂流されたものに、新たな価値を読む。かれは海岸のごみの風景から現代生活の縮図を見つめる。ごみがうちあげられた海岸で、浜風、陽光、波音に触れ、人間としての存在の鼓動を感じ、そこで自身の蘇生をみつめる。その体験を踏まえて、流木を結合させ、再配置することで、流木のように浮遊を強いられている現代の人間存在を問う。流木の構成に他者を誘い、それをも表現行為として組み込んでいく。もともとポイエーシスとは真理の表出であり、それは関係の解放につながるものであり、所有関係にあるものではない。流木やごみによる表現の提示はナカムラの旅への誘いでもある。

ナカムラは、階級支配と国家権力による「文明」が疎外し、そのなかで少数民族が自然と共生する形で継承されてきた文化に「美」をみる。かれはそこに「ポイエーシス」の根をみる。そこには、美術を論じても、現実の環境破壊に無関心であり、思考が停止し劇場化された側の一員のままというアート状況への異議申し立てがあるといえるだろう。

流木、熊手、缶、懐中電灯、石鹸箱、歯ブラシ、ジョウロ、ホース、ライター、チューブ、テープ、スプレーなど漂流物は多様であり、国境を越える。それらのごみを見ようとせず、周辺化することで、諫早湾・長良川・二風谷などにみられるように公共の名によって自然が破壊されてきた。静岡空港もまた然りである。会場のオブジェがそのような現実を物語る。

ナカムラはこの空港建設地に自身の像を映した布のオブジェを置き、風になびかせた。オオタカの森に、今もかれの像が浮遊する。それは生態系を破壊する精神のありようを問う試みである。かれは、空港建設地で土地を守る農民を本当の表現者と語る。かれは表現を、戦争と環境破壊をすすめる「文明」の側ではなく、それに抗する側の希望と夢にみる。

かれは「ポイエーシス」、制作と創造の本質的な意味を見つめ、ハエ〔FLY〕を描く。廃物の粘土をちりばめ、黒く塗りたくられたキャンバスにある灰色の2つの目が来場者に問いかける。この時代の中で本当の言葉をきみは読んでいるのか、見るべき風景をきみは見ているのか、きみにとって表現とは何なのかと。

会場におかれた個展案内のチラシの文を読むと、そこに、二〇代のころ、芸術の可能性を信じ理想や真理を求め、美とは何か、表現とは何かを試行し続けていたことが記されている。また、今ここにあることの幸せについても記されている。本当に大切なのは何か、今も持続するこのかれの問いを「ポイエーシス」にむけて分かち合いたいと思う。

 2006513日〔竹内〕