亀も空を飛ぶ(2004年作品) 06・09
この映画は「酔っ払った馬の時間」(2000年)を撮ったクルド人監督ゴバティの作品であり、イラク北部トルコ国境のクルド人の小さな村が舞台である。イランイラク戦争や湾岸戦争などの戦争によって、村にはたくさんの地雷が埋められている。足を失う子どもも多い。村の子どもたちは地雷を掘り、それを業者に売って金銭を得ている。難民の子どもたちも地雷掘りをする。この仕事をまとめている少年が通称「サテライト」である。
ある日、ハラブジャから目の悪い小さな子を連れた少女が、両腕はないが予知能力を持つ兄と来る。映像はかの女が崖から飛び降りて自死するシーンから始まる。そこから自死までの物語が子どもたちの地雷掘りの生活を中心に続く。そのなかでかの女が両親を失いイラク兵らにレイプされて子どもを生んだ状況も示される。腕のない兄はその子の生命を救おうとするが、かの女は子を池に沈めて、崖から身を投げた。アメリカ好きなサテライトは子を救おうとして、アメリカ製地雷によって足を怪我することになる。
時代設定はアメリカ軍がイラクを攻撃しフセイン政権を倒す2003年春である。村にもアメリカ軍が「解放軍」としてやってくる。だが、片言の英語を語りアメリカに親近感を持っていたサテライトは、アメリカ軍には関心を示さず、無言のまま軍の進行方向とは逆の道を歩いていく。「アメリカ」が幻想であり、それが子どもたちの生活や福利には無縁の軍事マシンにすぎないことを暗示して映像は終わる。
「解放」の大義は言葉だけのものであり、それが戦場とされた村々を戦場から解放するものではなく、新たな戦場を形成するものであった。失われた足や手は戻らず、戦場が新たな被害を生んでいく。
幼い母によって子どもは池に沈められるが、その沈む姿とともに亀が浮上する。亀は死ぬことなく浮上していく魂の象徴としてある。とするならば、崖から跳んだ若い母親の体からも亀が抜け出し、空を飛んだということだ。また、亀の甲羅のような地雷収集用のかごを背負いながら、子どもたちが走り抜けていく。
侵攻するアメリカ軍ではなく、生きられなかった子どもたちの魂こそ今を生きる子どもたちの導きとなってほしいと思う。この世界が軍事力による関係ではなく、武器のない平和的な身体の関係性によって再構築されるまで、いくつもの亀が空を飛び続ける。そのような飛行する亀たちを捉え、池に還す行動を世界各地で積み重ねていくしかない。朝鮮半島にもある分断線と地雷の撤去とともに。