「巫女の国の物語」によせて 
         
2006・9

2006922日、ギャラリーCAVEで開催された村松正之展の会場で、ジャン・サスポータスの舞踏と斎藤徹のコントラバスの演奏があった。

村松正之の展示はモノトーンの鉛色とコンクリートの灰色を基調とするものだった。わたし自身がポーランドやドイツの戦争史跡を歩いたあとであったから、鉛色の板に描かれていた波線は死者の名前のように思われ、コンクリートで固められた上着は死を強いられた人々の無念を示す抜け殻のように思われた。そして、灰色のガーゼで覆われた石の群はいまだ解き放たれていない死者の魂であり、格子は今も私たち自身を拘束する檻のようだった。

その会場で、斎藤徹のベースとともに、ジャンは「旧東ドイツの秘密警察官」「待ち続ける少女」「ケセラセラ」「老女」などのイメージで踊った。

ジャンが村松の製作した鉛色の板のまえに立つと、その板は断絶を示す壁になり、波状の痕跡は死者の刻印のようだった。それは死者の壁でもある。斎藤のベースは伽耶琴の音色まで爪弾くから、そこは南北朝鮮の分断線にもなる。

ジャンは、天にまで届くような意思で爪立ち、ときにベース音に震えるように腕を伸ばす。また蘇生を示すように、跪き立ち上がる。蘇生しても交わらない夢と現実との乖離の中で、生の実存を確認するように、ジャンは踊った。そのときベース音は生を基点とする心音であり、生の哲学にむけての導入音であるように思われた。

この3者の作る空間から、今ある「壁」の中での表現の商品化ではなく、表現の根源を問う方向性をみたいと思った。               (T