「ガイアシンフォニー第6番」 2007・5
ガイアシンフォニー第6番は音をテーマにし、ラビシャンカールのシタール,ケリーヨストのピアノ、ロジャーペインのクジラの歌の3つを柱に、奈良裕之・ノブ・雲龍・長屋和哉らの即興演奏を組み込んで構成されている。
140億年前の宇宙のビックバンから数千億の銀河が生まれ、そのなかに地球が生まれ、その地球に生命が生まれて38億年の歴史を経て、現在がある。
クジラは哺乳類であり、6000年前に陸から海に入ったという。クジラが人間と同じように歌をつくり歌う。そのことは音楽の起源が人間やクジラより前にあることを物語る。インドの教えには「この世のすべてを生み出し動かしているのは耳に聞こえない音の波だ」とある。長屋和哉が岩から重低音の地鳴りのような音が聞こえるという。かれはその音の波に共振するのだろう。長屋和哉の演奏は音への精神的探求を感じさせる独創と共鳴であった。
地球がひとつの生命体であるから、人間も存在できる。生態系の中で生命が共存する。人間には聞こえてはこない音、見えてはこない光を知り、それらに謙虚に向かい合うとするならば、競争原理で他者を支配する現在のありようを越える世界観と関係性をつくっていけるだろう。そのような支配に対抗する音と光はアートの本質であり、心を動かし、慈悲と救済に向かうものがあるだろう。あえて言えば、映像では否定的な文脈におかれる、乱調や不協和音を肯定的に見る力も必要だ。
ところで「ごとびき岩」について「神武天皇」の解説が映画にあるのだが、そのような作為された王の神話的歴史を剥ぎ取ることで、その岩についての真実が語れるように思う。「虚空」の音とは王制という作為と支配を超える共存にあるのだから。王を神の化身とする偽りを撃つ視点を持たなければ、演奏者は神を仮装する王制への奉納奏者とされ、演奏者自身が簒奪され、映像そのものが疎外されると思う。 (竹)