洪成譚『靖国の迷妄』展2007・11
洪成譚『靖国の迷妄』展が東京の永代橋近くのギャラリーマキで開催されている(11・2〜22)。
洪成譚(ホンソンダム)は1955年に全羅南道で生まれた。1979年光州で光州自由美術人協会を結成するが、翌年の光州民衆抗争では市民軍の文化宣伝隊の責任者となって闘いに参加した。抗争の後、市民美術学校を開設し、学生や労働者と版画を制作して街頭に貼り付ける運動もおこなった。この時期の彼の作品が「光州抗争連作版画」であり、日本でも韓国民衆運動を紹介するチラシなどに利用されていた。
洪は民族民衆美術全国連合の共同代表となり、朝鮮民衆の解放運動史を示す作品を共同制作する。しかし、1989年国家保安法によって検挙され、拷問を受けた。かれは3年ほど投獄された。制作された作品になかには水中に沈む人間の像がある。それは多くの拷問被害者の現実とその被害からの蘇生を示すかのようであり、それは彼自身の姿であるのだろう。
民主化運動とそれによる軍政から民主政権の成立という転換のなかで、彼の創作活動は続いた。2003年にはニューヨークのクイーンズミュージアムで彼の軌跡を示す作品展が開かれ、2005年には沖縄の佐喜眞美術館で版画を中心とする個展が開かれている。クイーンズミュージアムの図録には彼の表現活動がよくまとめられている。
このような経歴をもつ洪成譚が今回「靖国」をテーマに作品を制作した。『靖国の迷妄』展では10数点が展示されている。会場はマンションの4階にある小さなスペースであるが、そこに展示されている作品群の内容は深い。そこには洪自身が「靖国」と対峙し、その「靖国」の虚偽を克服しようとする意思があり、そこに作家の内的な格闘と思考の過程が表現されているからである。
「靖国と刀」では刀の上に乗る白骨の兵士たちの姿が示される。「靖国」の信仰は天皇と国家のために自ら死ぬことを望んでいくという人間を作るものであるが、兵士は白骨となっても靖国のなかで刀の上を歩き続けていく。「靖国と軍慰安婦」では靖国の社の前に慰安婦とされた女性たちの姿が白い布のように並べられる。靖国の思考は、歴史を改竄し、名前を消しさり存在自体をも否定していく行為を支える。
「靖国と松井秀男伍長」は洪の力作だ。松井秀男の本名は印秀男、1924年生まれの20歳。1944年にレイテの戦場に送られて死んだ。わずかに服を残す秀男の白骨は死してもなお、靖国の鎖で縛られている。そこには、魂魄を幾重にも縛り上げる「靖国」の鎖の体系が描かれる。作品は、観るものにその呪縛を共に引きちぎること、その意思の共有を呼びかけるかのようである。
「靖国と朴正熙」には、靖国思想での教育体験を持つ朴正熙の政権のもとで、多くの民衆が倒れたという歴史への問いもあるようだ。コラージュされたブラックミラーには見るものの顔が映る。それは観るもの自身に、ファッショの権威主義や奴隷根性が植え込まれてはいないかと、問いかけるものであるのだろう。
他に「遊就館と軍慰安婦」「靖国と魂」「靖国の迷妄」「靖国と桜」「靖国と日の丸」などの作品が並んでいる。絵画にはピンクの桜が描かれる。花びらは多くの死者でもある。その背後には苦しみもがく黒く細い人間の手がある。求めるものは生命と「靖国」の体系からの解放だ。洪は「靖国」の思想を前に、日本人が遊園地の水準以下のイメージに欺かれていると記す。そのような現実はこの国の精神と道義の弱さを示すものである。
殺されていった者たち一人ひとりの歴史を確認し、かれらをそしてわたしたち自身を靖国の鎖から解放していくこと、それはこの地から、わたしたち自身のさまざまな表現によって始められなければならない。今回展示された作品群は、そのような意思を問うものであるように思う。 (竹内)