「あなたたちが死ぬのを待っている」

 

 ハンセン病とは、らい菌による慢性の細菌感染症で末梢神経と皮膚が侵される。感染力はきわめて弱く、遺伝しない。治療薬も1940年代に出来、発病しても通院で治り、後遺症も残らない。しかし国は1907年以来、「らい予防法」により患者の隔離や人工中絶を強制し、1943年の特効薬開発、1960年ごろには国際的にも隔離は不要とされたにもかかわらず、1996年「らい予防法」廃止直前まで隔離政策を続け「優生手術」(断種手術)や人工中絶を実施してきた。その数は断種1400件、中絶3170件にものぼり、中には嬰児殺害も含まれる。要するにナチスドイツが行なった国家の優生思想による絶滅政策と同じである。

こうした措置が人権侵害に当たるとの訴えに熊本地裁は、厚生省(当時)の責任と隔離規定の改変をしなかった国会の「立法上の不作為の違法性」を認め損害賠償の支払いを命じた。これに対し政府は控訴確実とみられていたが、523日予想外の小泉首相の「控訴断念」という政治決断が下された。

存在そのものが負の価値とされていた森首相のポストを受け継いだ小泉首相の人気は、何もしないうちに80%とマスコミが煽っていた。簡単な話だ。森前首相との差異を強調しさえすればよいのだから。その小泉首相が「男」をあげた。なにしろ、誰もが熊本地裁判決に対して国が控訴するだろうと読んでいたのだ。23日夕方の「控訴断念」の劇的発表は、その後2日間にわたりマスコミを席巻した。いわく、「官」の論理を崩した、政府・与党は評価一色、立派な政治判断、急転直下「情」を優先、長すぎた暗闇に光明、などなど。

しかし、冷静に考えてみよう。基本的人権を国が蹂躪したことに対して国が仕方なくあやまっただけの話だ。いかにこの国で「人間として当り前の事」が否定されてきたか、の裏返しにすぎない。

「控訴を断念したが、その決断の背景に、7月の参院選まで高支持率を維持して勝利しようとする首相の“短期決戦”シナリオが透けて見える」(5.24中日)という新聞の片隅の目立たない文が本質を突いているだろう。結果として人間味を演出することで自民党の本質をつらぬく茶番劇がうまく演じられたわけだ。

 不知火海岸から関西に移住した未認定者による水俣病関西訴訟で427日、大阪高裁は国と県の行政責任を認めた原告逆転勝訴の判決を言い渡したが、国と県は判決を不服として511日、上告した。ハンセン病患者たちが、控訴を匂わせる国に「私たちが死ぬのを待つつもりか」という怒りの声をあげたが、「水俣病」においてはきっと国は待つつもりなのだろう。

不況と両足痛により、仕事が見つからず、就労してもすぐに解雇され、所持金が底をつき、野宿に追い込まれた日雇い労働者の林勝義さんは福祉事務所に生活保護を求めたが、診断結果が「就労可能」だとして支給を認めず、医療扶助も廃止したため野宿を余儀なくされた。これを違憲だと訴えた「林生存権訴訟」においては名古屋地裁判決の原告全面勝訴を取消し、高裁でも、最高裁でも増えつづける失業者、野宿者の希望の灯を消してしまった。

元従軍慰安婦とその遺族が518日、衆議院議員会館で日本軍性暴力被害の実体を語り、一刻も早い解決を訴えた。集会にはこの問題の早期解決をはかる法律案を共同提出した民主、共産、社民各党の国会議員が参加したが、提出した法律案は手つかずのままだ。放っておけば問題は消滅する。つまり当事者が死ぬのを国は待っているわけだ。

さて、小泉首相の何がスゴいのか。「自衛隊が憲法違反では失礼」と憲法9条改憲を示唆、「集団的自衛権行使」を容認する考え、「有事法制」の検討、「護国神社公式参拝の方針」等の堂々の発言は、「新ガイドライン」以後において水を得た魚の如く勢いづいている自衛隊に何よりのプレゼントとなっている。しかし鹿児島県知覧町の特攻平和会館において流れ落ちる涙をぬぐおうとせず、ハンセン病患者の訴えにも涙を浮かべた小泉首相は「命の肯定」をポーズしながら、現実の政策においては上記の如く「命の否定」をめざしていることを忘れてはならない。戦前の、戦争に至る時期において、いかに「命」が語られたかを想えば、「情」の熱い首相のポーズの欺瞞性は明確になるだろう。

こうした危険な動きを察知することなく、マスコミの捏造した石原都知事の人気や小泉人気は「なんか、政治が身近になったみたい」とのたまう多くの日本人の「(中身はともかく)ハッキリとものを言う強い人ならなんかやってくれるだろう」などという、まるでドロボーに財布を預けてしまうような危うさを深めるばかりだ。

次々と既成事実化されてゆく軍国化の歯止めは、少なくとも「皆と同じ」に人気者の言動にたぶらかされることでなく、話題からはずれてしまった弱者や生存の危機に瀕している人間たちに、どれ程想像力で近づけるかが問われている。

ハンセン病患者に謝罪し補償するのは小泉首相の人気や裁量の範囲以前のあたり前の事だ。問題はハンセン病問題にかくれてさまざまな命の現場の声を圧殺することにある。                                2001.5.22

 

 

国道一号線における新型監視カメラについて

 

 私たちは日常の管理、監視をどれ程具体的に把握しているだろうか?ペット動物にインプラント(体内に埋め込む発信機)や徘徊老人用のGPS(衛星利用位置確認装置)、ICカードなどはすでに実用段階といわれている。

ジョージ・オーウェルの未来小説「1984年」に触発されたパラノイアと言われかねない程に日本社会のハイテク管理社会化が進んでいる。

情報公開法の目指す民主主義社会の実現に最も遠い分野が軍事および警察であるのは言うまでもない。昨今の「改憲」を求める声や20世紀の「アジア侵略の歴史」を無視した動きと平和を希求する市民とのせめぎ合いが続くが、秘密裏に進む管理社会構築の策動と私たち市民の注意力、想像力のゲームとも言えるだろう。

管理社会という抽象的な表現が、現在どの程度具体的に私たちの日常に忍び込んでいるかを検証してみたい。

現在、日本において人の移動手段は、その環境への負の作用が指摘されながらなお、車によるものが圧倒的である。公道を走るすべての車にはナンバープレートが義務付けられ、運転免許証とともに重要な管理システムとなっている。

カー用品店などで「Nシステム」対応型のレーダー探知器が売れている。従来の探知器は「オービス」などスピード違反計測器への対応が主だったが、ようやく一般的に認知されはじめた「Nシステム」対応にすることで市場確保するのがねらいだ。

カー雑誌やマニア向け無線関係誌等でも「全国Nシステムマップ」をはじめ、さまざまな警察の取締情報を特集したものも手に入るようになってきた。また、ナンバー・プレートが判読不能になるという謳い文句で色付きのプラスチック・カバーでナンバー・プレートを被うものも市販されている(後日、警察は禁止した)。管理強化をはかる警察に民間もあれこれと対抗手段の自衛策を考え出す(でも必ず管理する側が勝利するけれど)わけだが、オービスやNシステムが過剰にクローズアップされてはいないだろうか?非合法は可能だろうか?視点を変えて監視の実体がNシステムというの監視でなく、移動する「調査対象」のもしくはとしての把握だとしたら?

日本中に増殖し続ける監視カメラはその数とともに小型、高性能に進化してきた。マニア向け専門誌などによれば、直径1mmのピンホールがあれば鮮明画像が得られるという。こうして盗聴・盗撮の技術が民間用に著しく普及している現在、軍事および警察における技術レベルははるかに高度なものであると予想される。

公共の空間、特に道路に設置するカメラは耐候性、耐久性、メンテナンス性などが要求される。いわゆる監視カメラの一般的イメージである長い箱型のものは、さまざまなデザインが技術的に可能になった現在では、威嚇効果に比重を置くように思える。それでは次世代型は?

筆者の独断ではあるが、国一沿いに増設し続けている新型を紹介したい。外見は、サイレンもしくはモーターのようなかたちで監視カメラと気付く人は少ないだろう。よく見ると小さな四角いレンズ開口部があり、御丁寧にかわいいワイパーまでついている。直径50cm程の鉄柱の頂上部に設置されるのが普通で、たまに大型の道路標識板や通信施設の鉄塔などにも置かれる。道路からの距離を考えるとかなりの望遠機能をもつと思われる。

こうしたものが、例えば浜松から静岡の間に少なくとも30ヵ所以上設置されている。「日米新ガイドライン」を境に急増した事実が何を物語るかは明白だろう。設置場所からもその目的が読み取れる。大きな河川の両岸、トンネル入口と出口、バイパス入口・出口、支線入口・出口、つまり通行する誰もが必ず通らねばならない位置ということだ。しかもリモート・コントロールでカメラ全体が180°(もしくはそれ以上か?)回転するため、上り、下り、双方向、あるいは通過車両の前部方向、後部方向の任意の撮影が可能と思われる。顔認識技術はすでに確立している。

一基数千万円から一億円ともいわれるNシステムをたくさん設置するのは不可能ではないが非合理的だ。Nシステムに衆目を集めているあいだに、知られざる監視カメラ網を全国くまなく設置する方がはるかに合目的といえる。かくして雨後のタケノコの如く林立する監視カメラが私たちの日常に溶け込んでゆく。気がついた頃はプライバシーは消滅していた…もはや手後れに近いかもしれない。

私たちの想像力が試されている。あきらめるわけにはいかない。    2001.5.22

 

 

オオセイボウ

 

 青い色に特別に想い入れがあるわけではない。しかし青はいくたびか「非日常」を垣間見せてくれたような気がする。

かって初の有人宇宙飛行士としてガガーリンが「地球は青かった」と語り話題になったが、大気圏外という彼方に到ってはじめてその青を感じたということだろう。

私自身の記憶でも、78年程前、妻と二人で豪雪の八ヶ岳で胸までのラッセルに死ぬ思いをした時、気味悪い程の青い空があった。きっと死に最も近かったのだと思う。なにしろ初めてのルートでまったく踏み跡が無かった。遭難の条件がそろっていたのだ。

94年にエイズで亡くなった映画監督デレク・ジャーマンの遺作「ブルー」は75分間に及ぶ“イヴ・クライン・ブルー”の画面に彼の青に関する随想と詩、そしてエイズのことなどのナレーションが流れる。デレクに取り憑いたエイズのように観客は「青」から逃れられない時を過ごすわけだ。

東海村JCO臨界被爆事故で亡くなった大内さんたちの目にした“チェレンコフ光”も青い光だった。それを見る時は死を意味する。

日常の風景を構成する色彩、たとえばノートの白い紙、舗装道路の灰色、桜の幹の灰色、雨に濡れた段ボール箱の沈んだ茶色、シイの木の深い緑色の葉と黄色っぽい花、コンクリートのビルのくすんだベージュ…こうして挙げてみると、際立つ程の鮮やかな色は、熱帯でなく海中でもない土地に生きる私たちの日常にはあまり無いようだ。

多様なものや生物の存在は、書き尽くせぬ程の色彩にあふれているはずなのに、はっとする程の色というものは多くないということをあらためて最近の体験が教えてくれた。

524日早朝、ベランダのガラス戸を開けて、何種類かの植物たちの様子をながめていると、昨日までまったく無かった異様な「青い色」が小雨の中に光っている。

冬の終りに佐鳴湖岸の林の中で、枯れ木の枝に土で出来たピンポン玉くらいの奇妙な球体を見つけ、枝ごと持ち帰り実生の木(ベランダに来た鳥が勝手に植木鉢にクソをして中の種が芽を出して1m程の木になったもの)の植木鉢に差しておいた(室内に置くと文句を言われるので)。それがうまい具合に根づいて、芽が出てアジサイであることがわかった。土の球体はおそらく何かの巣にちがいないと思いながらそのまま放置しておいたわけだ。

その朝、球体上部に67mmの穴があいて枝の先端に見たこともない1720mmくらいの全身が鮮やかな金属的なブルーの蜂のような昆虫がじっと止まっている。大声で妻に知らせると寝不足で不機嫌そうな声で「銀蝿じゃないの」とかえってきた。無理矢理連れてきてみせると「何だろう」とやっとまともな反応だ。全身を微細な体毛がおおうがこれも濃いブルーで、触角、羽、体節などからきっと蜂の仲間にちがいないと思い、何冊かの図鑑で調べると「オオセイボウ」と判った。大きな青い蜂と書く。泥蜂類のスズバチに寄生する。実はスズバチも狩りバチで鱗翅目の小蛾の幼虫を狩る。オオセイボウの幼虫はスズバチの幼虫がそれらを食べてある程度発育するのを待って体外寄生する。オオセイボウは土でできた巣(独房)の外壁に大顎を使って小孔を穿ち、独房内に産卵するが、その小孔は閉塞しないままの状態だ。これではアリなどの外敵の攻撃の格好の目標にされるのだが、スズバチはいくつかの独房を一塊に造り、巣全体の後半期に入ると独房塊の全面をさらに土で上塗壁をおおってしまうため、オオセイボウの穿った小孔は完全に閉塞されてしまう。かくして初夏の頃、スズバチの土でできた巣からスズバチの幼虫を食べて成長したオオセイボウが新しい獲物を求めて飛び立ってゆく。よく考えると怖い話だ。

こうしたプロセスを人間と等身大に拡大して考えてみるとあのハンニバルも真っ青になるであろうストーリーが展開しているわけだ。

意識しなければ平凡な日常の風景は過剰で無意味な情報の集積に過ぎないのかもしれない。しかし時折のハッとする程の衝撃をともなった光景やニュース(非日常)の出現はそれまで連続していた日常からきわだって異質であることを強調する。それは非日常と日常の両方の意味を問うチャンスでもあるはずだ。

青い色は何気なく経過してゆく日常がスパッと切り裂かれた瞬間に見ることのできる、たとえば肉体に出来た傷口から流れる血のように思える。

うっとうしい梅雨が続くなかでオオセイボウの鮮やかなブルーはこれから生起するであろう得体の知れない何ものかの予兆もしくは警告のような気がしてならない。さまざまな人工にかこまれた中にあってなお自然であり続ける身体の本能的な感覚は、少なくともまだ信用に値するはずだ。

200167日航空自衛隊浜松基地から初めてグアム島で行なわれる日米共同軍事訓練参加のためAWACSが飛び立って行った。日米電子戦における指令塔の堂々の海外派兵である。一見何も起こらないかにみえる日常が、また一歩確実に非日常に近づいた。

そういえば以前、自衛隊の航空祭でアクロバット飛行中のジェット機が基地付近に墜落、市民に犠牲者や被害を出した事故があったが、チーム名が「ブルー・インパルス」であったことを想い出した。                      2001.6.8

 

 

C4ISR

 

 同じ時代、同じ社会に生きる立場にありながら、一部の者があらゆる情報を独占し、その他の者が情報から断たれてしまう、そんな不公平が、様々な悲劇を生んでいる。

大阪で一人の男が8人の児童を切り殺し、多数の負傷者を出すという事件が起こった。「命」を真剣に問う事のない社会で起きた事件だが、幼い子供の命にはストレートに感情移入できても、増加の一途をたどる必死に生きようとする失業者の餓死凍死という見殺しを、他人事と割り切る感覚には、加速する戦争体制の構築と、その先にある、幼い子供どころかあらゆる年令・職業を問わない殺戮への想像力は残念ながら欠落したままだ。こうした前提により容疑者のスケープゴート化や猟奇性の誇張を経て「保安処分」や「有事法制」に至るコースが姿を表わしてゆく。

自らは決して傷つかない立場の、情報を独占した少数の者と、何も知らされず、知らぬ間に加害者、そして被害者にされてゆく多くの人々という構図は、強要される貧しい想像力とセットになった目先の快楽によって固定される。

ところで軍事用語の「C4ISR」というものが現代戦においてよく使われる。これは(指揮・統制・通信・処理・情報・監視・偵察)の機能を意味する。現代情報戦においては兵器単体の性能の優劣よりも、効率的、有機的な戦力ネットワークを構築すること(司令部と個別兵器のデータリンクを確保すること)、が作戦において問われる。いかに遠距離から、早い時間で情報が入手できるか、ということでもある。

これはAWACSの機能そのものだ。情報の独占は反撃の手段を奪うことでもある。言い換えれば探知した時点ですでに勝負はついている。複雑化、ハイテク化した現代電子戦に要求されるAWACSは、出刃包丁のような身の毛のよだつ外見を見せないどころか、剥き出しの兵器や凶器の類いは身につけていないがあらゆる兵器の司令・管制という究極の攻撃性を秘めている。

C4ISR」は恐怖政治下の社会にも共有される。そのような監視社会、管理社会においては「命」を考えることが最も困難な行為になるだろう。J・オーウェル「1984年」の「戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である」という有名なことばはそのような時代にこそふさわしい。そこではあらゆる言いまわしにより「人権」がおとしめられ、放棄され、駆逐されてゆく。戦争は命を奪う事であり、人権はその対極にあるからだ。

死ぬべき人間と生き残る人間を決める社会、人間の平等、水平であることを否定する社会。上空にはAWACSの日常的飛行、さらに軍事衛星の監視。すべての情報が管理され統制された上下の階層社会を不問にすることは来るべき殺戮(戦争)の肯定でもある。

しかしエシュロンなどにより世界の情報と富を独占しようと画策する米国の論理のほころびが目立ちはじめたようだ。

口角泡を飛ばしてミサイル防衛構想の早期実現を説くブッシュがこのところ、稚拙さを露呈しはじめている。今まで狡猾に「人権」と「民主主義」を旗印に世界の警察官を自認してきた米国だが、国連人権委員会と国際麻薬統制委員会で議席を失ったのだ。対人地雷全面禁止条約や国際刑事裁判所設置条約にも署名しない。その上「京都議定書」からの離脱宣言などEUからもその身勝手さを批判されている。湾岸戦争などで、あれ程都合良く利用した国連の分担金も滞納している。

米国は最近、TMDNMDの一体化を示したが、技術的に実現不可能に近いうえ、一体化のおかげで日本の「集団的自衛権」に抵触するため、日本政府は14日「ミサイル防衛に協力はできない」との方針を固めた。選挙公約である大規模減税などもあり天文学的経費のかかるBMDに日本が協力出来なくなるのは子ブッシュには大きな痛手となるだろう。だから日米軍事同盟が今までに構築してきた軍拡路線が日本国憲法ごときで路線転換するのは許せないと日米保守勢力がやっきになって巻き返すはずだ。現に615日の朝日によれば、「有事法制」について今秋にも政府が基本的考え方をまとめ、早ければ臨時国会で示す方向で検討に入ったことを伝えている。合意されれば来年から法案化という。

前近代的で身勝手そのものである米国主導の、堂々たる戦争への道は簡単には閉ざされない。国家と国民、国益や公共などの言葉がこれからのトレンドになるだろう。しかし私たちはそれが命の否定であること、すなわち出刃包丁で切り裂かれてゆく子供たちと同じ意味であることを見出してゆかなければならない。たかだか数十年の、しかし一度限りの人生という貴重で代替のない個別の経験を、何者によっても妨害されたり奪われたりすることも、またその逆も望むものでないという私たちの具体的な意思表示が必要だ。                               2001.6.15

 

 

BMD(弾道ミサイル防衛構想)

 

そら見たことか。714日に行なわれた米国のBMD(ミサイル防衛構想)の迎撃実験は、ミサイルに見立てたICBM(大陸間弾道弾)から信号を発信して迎撃ミサイルを誘導していた事実を727日になって米国防省が発表した。やはりズルい小細工をしなければ、弾丸を弾丸で撃ち落すBMDは不可能だったわけだ。4回の実験で2回の成功は、ともにズルい成功だった。それにしても1回の実験が1億ドル(124億円)といわれる。そして実験が成功しても失敗してもMBDを推進するしかない程までに米政権は追い込まれている。それ程、冷戦崩壊で目的を失った米軍需産業の維持が至上命令というわけだ。

同盟国日本のBMDへの経済的、技術的「貢献」が死活的とさえ語る米国の、日本に対する期待はとてつもなく重い。小泉政権が「理解を示した」BMDには(三菱重工、川崎重工、石川島播磨、日産自動車、富士通、東芝)の六社が参加している。

専門家が口をそろえて「無理」というBMDになぜそれ程まで固執するのか?それは、不可能で荒唐無稽な程、高額な予算が組めるうえに(自国を戦場にしない事)、(自国の兵士を死なせない事)と関係があるだろう。その2つを具体化するには、圧倒的に有利な軍事力、先制攻撃などのアンフェアな選択しかない(もしかしたら、それを学習させたのは皮肉にもパールハーバーの日本軍だったのかもしれない…)。BMD(ミサイル防衛構想)とは、実は防衛でなく先制攻撃を可能にするためのものであって、アメリカは「決して負けない戦争」を続けてゆきたいわけだ。

マッハ12で飛行する戦闘機を迎撃することも難しいのに、ICBM(大陸間弾道弾)はマッハ20を超えるという。その上、大気中なら翼により方向転換が可能だが、ICBMの飛行する宇宙空間は真空で翼は役に立たず制御困難だ。

金もかかるし、技術的にも困難、その上、国内外から疑問や反発のあがるBMDを「誰が何と言おうとやるといったらやる」つもりの子ブッシュは、その戦略のアジア・シフトにより、大国中国を仮想敵にすることも、BMD推進によりアジアや世界に軍拡の連鎖をうむことも承知の上なのだ。事程左様に軍需産業の米国に占める地位が巨大ということだろう。

最近、耳にするユニラテラリズム(単独行動主義)を自他共に認める米国の姿は、聞く耳を持たない身勝手な悪ガキにしか思えない。

7月中旬、浜松のホンダ本社正門前を通りかかると、ホンダが誇る最大排気量(1500cc)のオートバイのオーナーズ・ミーティングと看板が出ており、たくさんのオートバイが次々と正門に入ってゆく光景に出くわした。もともとのデザインがアメリカン・スタイルのオートバイであり、さらにオーナーが自分なりに改造したものばかりだ。呆れた事に、信号待ちの数分の間に見かけたオートバイのうち、半数がアメリカのポリス仕様なのだ。ご丁寧に後部トランクに大きくPOLICEと描かれ、ブルーの警告灯を回転させながらヘルメットから制服、ブーツに至るまで、まったくアメリカの白バイ警察官の格好をしている。

年令は4060才くらいが多い。細部に至るまで本物にこだわっているのだから日本の道交法で禁止されている赤の回転灯以外はそのままアメリカのポリスなのだ。「かたち」が重視される文化だから彼らの頭の中はいわずとも知れている。

ところで最近、若者が大型のアメリカン・バイクに乗っている姿を良く見る。彼らはポリスとは正反対に、アメリカの60年代後半のヘルス・エンジェルの真似が多い。音だけやたら大きく運転の非常に楽なアメリカン・バイクはイージーな彼らのライフスタイルにうってつけの乗り物なのだ。1000ccを超えるバイクに乗る彼らのほとんどが、実は250cc程のオフロードバイクを乗りこなす技術は無い(それ程、アメリカンは楽なのだ)。モラルを守る側と、反モラルを気取る側、アメリカの警察官を気取る中年の日本人ライダーと、アメリカンバイクで街を流す、一見アウトローに見える若者、対極にあるかに見える彼らの共通点は、日本にとって「アメリカ」という国が何であるのかという疑問など、おそらくゴキブリのクソ程も無いということだろう。

半世紀以上の米国の属国であったという事実から、私たちの日常や意識にまで浸透したアメリカ文化を払拭するなど、無駄だし不可能だろう。しかし時代に逆行し世界から孤立してまで利己的にふるまう米国に、まるで思考停止した如く無批判になびく姿はやはり異常でしかない。たとえ、どこの国のものであれ思考停止のまま国旗を振る時代が良い時代であったためしがない。                   2001..30