草の根ファシズムに対抗して                            

 会報78号の渡辺健樹さんの話は時宜を得たもので、わかりやすくてよかったと思います。本当に、第2次朝鮮戦争になりかねない今の状況を何とかしないと。

 こういう状態を作ってしまったのは、結局私たち「大衆」自身ではないかとつくづく思います。イラク戦争が始まった頃、私の職場でこんなやり取りがありました。ある男性(60代)が、「戦後日本が発展したのはアメリカのおかげ、これからも日本を守ってくれるのはアメリカしかいない、だからアメリカのイラク攻撃も日本は支持しとけばいい」とまくしたてるのです。

「でもアメリカは日本に原爆を落としたじゃん」と私が指摘すると「そりゃあ死んだ人は気の毒だが、あれがあったもんで戦争が終わった、あんたら若い者にはわからんだろうが、アメリカに占領されたのでよかったんだ」と反論してきます。私は「じゃあおじさんの頭の上に原爆が落ちればよかったね」と言いそうになって、ぐっとこらえました。これが地元の顔なじみでなければ言っていたでしょう。

 この手の人はどこにでもいます。困るのは、こういう人が自分の戦中・戦後の体験談を語り、当時を知らない若い世代が納得してしまうことです。2年前、特攻隊を描いた映画「蛍」を見たときもそうでした。一緒に見に行ったおばあさん3人組は、いちようにこの映画を批判しました。朝鮮人の側から描いているのが不満なのです。おかげでおばあさんの娘まで「やっぱり戦争経験者でないと本当のことはわからないね」と変に同意する始末。私がいくら朝鮮民族への植民地政策のことを言っても、その頃生まれていない者の話はまともに聞いてもらえませんでした。こうして歴史はゆがめられて伝わり、同じ過ちが繰り返される基盤になります。

 過ちを正せない基盤をもうひとつ。これは菊川町に住む知人の話です。__隣組の班長が「菊川町と小笠町の合併実現を要望する」旨の署名を集めに来ました。夫は書いたのですが私とおばあさんはよくわからないので書きませんでした。すると今度は地元の町会議員が来てしつこく頼み、書くまで帰らないので、地元で波風を立てたくはなく、しぶしぶ書いたのです。あんなもの班長が集めに回っていいんでしょうかねえ。__これってファッショじゃないですか。

署名の発起人は自治会連合会会長とのこと。新聞社に言ったら「署名を書かされた本人が内容証明つきの郵便でも出して問題にすればうちでも取材できるんですが、主婦ならご主人が賛成しない限り無理でしょうねえ、議員が来たっていうのは確かに問題だから話のやり取りを録音した物でもあればいいんですが」との返答でした。結局被害を受けた本人が動かないと前へ進まない、でもしがらみがあって現実には何もできないでいるのです。

 静岡空港についても、個々に話せばあんなもの要らないと言う。でもほとんどの人が空港賛成派の知事や議員に投票します。地元だからというそれだけの理由で。そしてこういう人に限って投票にはきっちり行くのでなおさら始末が悪い。だから、4月の統一地方選で、収賄容疑で拘置所に収監中の前和歌山市長が市議にトップ当選するというようなことが平気で起こるのです。

 こうして見てくると、日本に本当の民主主義は存在していないような気がします。憲法にその権利が書いてあっても、一人一人が使っていなければないのと同じだからです。そしてマスコミは一方的な情報だけを垂れ流し、それに疑問を挟んでも相手にされないのがオチ。今の北朝鮮をめぐる状況はまさにこれです。この北朝鮮バッシングの効果はすごいもので、北朝鮮へ援助米を送っていた浜松の人のことを「今やればヒンシュクものよ。あんなとんでもない国へ」と言ってのけた知人の言葉に私はびっくりしました。環境問題など取り組んでいる彼女がそんなことを言うとは思わなかったのですが、そばに居た別の知人も同調し、逆に2人とも私が北朝鮮を非難しないのに変な顔をしていました。先日浜岡原発の見学会に参加したときも、「地震よりテロや北朝鮮のミサイルのほうが怖い」という人が多いのには驚きました。

 ファッショとは、いやいやであれ、無知・無関心であれ、結局こういう人々によって支えられるのでしょう。そしてこの「草の根ファシズム」とでも言うべきものと闘わない限り、圧倒的な軍事力を持って抑圧してくる勢力には対抗できないように思います。     

以前の私は、最初に書いた男性やおばあさんたちのような発言にいちいち噛み付いていました。でも今は彼らの気持ちが半分理解できます。それは無農薬の稲作りを始めてからです。稲作というものは共同作業の面があり、自分の田んぼだけ人と違うことはなかなかできません。江戸時代以来ずっとそうやって暮らしてきた大多数の日本人が、長いものにまかれろ式の思考回路から抜け出せないのも無理からぬことです。

ファシズムはこんなしぶといものを基盤にしているのですから、これに抗するにはそれを上回る力が必要です。辺見庸氏流に言えば「言葉に身体を伴った表現」が必要であるし、私の言葉でいえば「事実を正しく後世に伝えてくれる人たちには長生きしてもらい」「若い人や子供たちが事の善悪をちゃんと判断できるよう」「少しはマトモな大人たちの尻を叩いて」「生活の場から倦まずたゆまず発信し続けていく」となりましょうか。

 もうひとつ。草の根ファシズムに対抗できるのは草の根交流です。それも生活レベルで。女の人の多くがイラク戦争に反対だったのは、それが人の命を奪うという簡単な理由からです。命を産み、育てる女性は、本能的に戦争と相容れない、だから国境を越えて連帯できます。

また、生産労働も諸国民を結びつけ平和を作る力になります。ただし兵器の製造は生産労働とは言いません。人間の生活に必要ないから。田んぼで作業をしていると「イラクの人たちは国土のあちこちに爆弾をばらまかれ食糧を作ることもできない、どんなにつらいだろう」と思えてきます。同様に、北朝鮮への食糧支援を打ち切って政治的取り引きに使っている連中も許せません。人間食べなければ生きていけないのに。

北朝鮮は、テレビで流されるような、金正日と「喜び組」と行進する軍隊の国かもしれません。でも、そこにも同じように苗を植え、草を取り、天候に一喜一憂して収穫を願う普通の人たちがいるのです。体制がどうであれ働く人たちは同じ仲間。彼らの上に爆弾が落ちることも敵同士になることもさせてはなりません。第一そうなれば拉致問題だって解決しないでしょう。

 地べたを這って粘り強く、平和な世界を創っていきたいですね。   

   2003、6、25(藤)