イージス艦

 久し振りに(ここを強調したい)車の側面をブロック塀の角でこすってしまった。夕暮れの、暗くなりかけたせまい道路で、無灯火の自転車に乗った黒い学生服の高校生に飛び出され、反射的にハンドルを切ったためだ。そのまま逃げ去った高校生に腹が立ったが、後の祭りでしかない。日本中が「フェア」を忘れた今となってはほんの小さな、取るに足らないことだろう。でもこの不況下の数万円の修理代は私にとってはとても痛いものだ。 今年6月13日、Wカップサッカーに湧いていた頃、韓国ソウル近郊で2人の女子中学生が米軍の装甲車に轢き殺された。中学生は飛び出た訳でなく、装甲車がそれを避けた訳でも無かった。2台の装甲車はせまい道路にもかかわらず、すれ違いざまに大きくハンドルを切って中学生の上を乗り越えたのだ。2人の体は内臓が飛び出してペシャンコにつぶされた。即死である。在韓米軍司令部は米兵2人を過失致死罪で起訴した。韓国側が裁判権を主張したが、米軍は拒否。11月に米軍事法廷で米兵2人に無罪評決が下された。韓国全土で猛反発が起き、あらゆる職業(軍人まで)、学生などが意思表示を行い、歴史上はじめて100万人をこえる署名活動が繰り広げられた。全国民の怒りは韓米地位協定の即時改定を求めている。こうした動きに不安を覚えた米政府はブッシュが謝罪メッセージを送ったが、そんなものは焼け石に水でしかない。「アッテハナラナイコトデマコトニイカン」なのは個別の軍人による暴力ばかりでなく、それをうみだす基地そのものなのだ。

 12月4日沖縄県警は沖縄の米海兵隊キャンプ・コートニー所属の少佐マイケル・ブラウン容疑者の外国籍の女性に対する強姦未遂の疑いで米側に身柄引渡しを求めた。車の中で乱暴しようとし、さらに女性の携帯電話を取りあげて壊した疑いだ。

 米側は5日、身柄引渡しを拒否。外務省は米軍を思いやり、再要請を行わない方針という。軍人による暴力はいつも無罪放免だ。

 イタリアのロープウェイ切断事件、ハワイ沖のえひめ丸撃沈事件、そして数えられない程の沖縄における米軍人による暴力。軍隊は人間を守らない。軍は人間を殺すためだけにある。

 責任を取らないで済んだ犯罪者が再犯する可能性は否定出来ない。日本の歴史はまさにそのモデルケースといえよう。

 「日本がこれを機に大きく危険な方向に舵を切ることになる」自民党の野中広務元幹事長が、政府がインド洋にイージス艦派遣を決めた事について反対の立場から憂いをこめて語った。マスコミは一丸となってイージス艦の高性能を解説して、さらに石破防衛庁長官の「集団的自衛権に抵触するかしないかはデータ・リンクのとらえ方にある」というレトリックに手を貸そうとしている。その手に乗るか!もう一度考え直そう。憲法9条は健在だ。自衛隊がインド洋に出てゆく事、戦闘中の米軍、英軍などに補給する事自体が集団的自衛権の行使ではないか。もっとさかのぼってイージス艦を配備することが違憲ではないか。そしてAWACSについても同様だ。情報操作によりまるで除草剤をまいたように異論、反論を消しておいて、高性能の兵器を持つことをいつのまにか正当化しているではないか。国際的には戦争放棄の憲法9条は希有な存在であり、それ以上に9条とAWACSやイージス艦の保有は異常であることが忘れられている。イージス艦とは世界中で米国とスペインと日本にしかないものだ。日本に買わせておいて米国がその戦略に使おうとする以外のなにものでもない。イージス艦とAWACSは現代戦に不可欠の兵器だ。「専守防衛」などというイカサマ用語を並べる以前に、その存在自体が集団的自衛権の行使を目的とするものだ。ここまで国民をあざむき、姑息なやり方で戦争国家への道を深めてきたが「実戦までもうひと息」という意味でイージス艦の派遣を考えるべきではないか。野中の言葉の重さは当っているだけに恐ろしい。気付かずに無関心な人々もまた・・・。

 5月8日、インド洋に派遣され、活動中に死亡した海上自衛官は亡くなる前の一ヶ月間の残業時間が143時間でストレスによる心筋梗塞と断定された。護衛艦の甲板上は80℃、室内でも30℃という環境という。「目玉焼きができる程の作業現場を改善したい。イージス艦は冷房がよく効くから隊員のためにも出したい」と防衛庁が説明する。集団的自衛権の問題が「冷房」の話にすりかえられた。そうではない。行くから悪いのだ。

 過労死したり、場合によっては戦死の可能性だってあるインド洋に出かけなければいいのだ。

 アーミテージが来てから派遣する外圧だと騒がれるし、主体性の問題もある。イラク攻撃の前になんとかインド洋に、という政府の思惑は「出してしまえばこっちのもの」という日本流の姑息な方法だ。イラク攻撃の支援は法的に不可能で新法が必要なのに、そのときになったらなんとか、うまい言い分けを考えればいい、くらいに思っているのだろう。ところでaddicionは英語で、物事にふける事、熱中、(麻薬などの)常用癖をいう。ここに論理は不要なのだ。いっそmilitary addictionとでも言おうか・・・。

 口角泡を飛ばして大ウソをつきまくる好戦論者はともかく、直接リスクを負わされる20代の自衛多員は「米軍支援が期間延長を重ねていることには疑問もある。このままずるずるいけばきりがない。いつ終わらせるかはっきり決めるべきだ」と話す(02.12.5朝日)。

 曖昧、滑稽、場当たり、二枚舌etc、政府はそんな日本という国を愛することを強要しようとしている。鵺、あるいは魑魅魍魎、そして責任者不在の日本を一体どうすれば愛することが可能か?

2002.12.6高木


星条旗は永遠ではない

 何枚かの巨大な星条旗が暗闇の波に浮かび揺れ動いている。

 世界中の人々にとってさまざまな想いを想起させる米国を象徴するこの旗は、曲がりなりにも自らが培ってきた移民社会米国ならではの良質の部分をかなぐり捨てて、今では暴力のみを象徴する旗になり下がった。世界最強の軍事力を恣意的に行使して自己中心的にふるまう姿は、手のつけられない「ならず者」でしかない。特に米軍が駐留する基地を持つ土地において日常化する暴力のさまざまなかたちは、戦争以前の段階における軍の非民主的存在としての本質を露わにしている。沖縄・フィリピン、そして韓国など長期に及ぶ駐留米軍による事件、事故は枚挙にいとまがない。戦争に勝利するためにあらゆる暴力の行使を超法規的に許された集団の、オフタイム(休日など)においてさえ滲み出る暴力はそれ自体コントロール不能であることの証明だ。

 半世紀にもわたる基地による暴力に脅かされてきた沖縄の人たちの怒りや苦しさを日本人はどれほど自分の事として受けとめてきただろうか?日本人の想像力が問われている。都合の良い部分のみを受け入れる、という傲慢な異常な(想像力の貧困)に起因し、さらに差別と暴力を連鎖させてきた。

 埼玉県熊谷市で野宿者の男性が中学2年の14才の少年3人に暴行され死亡した。拘留中の少年は泣きながら母親に「ごめんなさい。死ぬなんて思ってなかったんだ」と話し、他の一人は男性の死を知る前に友人に「あのホームレスをやっつけてやった」と自慢していた。接見した弁護士は「最近の子は、ここまでやれば死んでしまうという想像力が欠けているのではないか」と首をかしげる。(02.12.14中日)記事には“執拗な暴力と、死を予測できない未熟な心”とある。

 軍による各地の暴力に、目と耳を塞ぎ他人事としてすませてきた結果が、半世紀も続く駐留米軍による暴力の常態化を許してきた。自らが痛い思いをしないかぎり、他者(弱者)への暴力を平気で許してきた社会に私たちは生きている。日本人の想像力の貧困と身勝手を象徴する出来事をもうひとつ。2人の日本人科学者がノーベル賞を受賞した。100人もの取材記者が現地に飛び、2人を追いまわしてひんしゅくを買った。なにしろ受賞した研究の内容などどうでもよく、2人の一挙手一投足を事細かに報道しつづけるのだ。いわく「○○さんが笑いました」「○○さんがびっくりしました」という具合に。すぐに思い起こしたのは皇室報道と拉致被害者報道だ。同じ感性の集団であることを強要され、個人を認めない日本社会で、体制に影響を与えない前提で好ましく理想的なモデルを捏造しようとする。モデルからの反論を求めず、一方的な賛美に終始するという意味においてそれは多摩川に現れたアゴビゲアザラシの「タマちゃん」と同型である。逸脱、個性、変化、創造などとは正反対の世界がここにある。本質的に反アートなのだ。日本のアート・シーンでは政治が前面に出るケースは稀である。アートという想像力そのものの作業と、日本人がもっとも想像力を排除してきた政治が切断されているのは、だから当然かもしれない。戦争の2000万人ともいわれる加害と被害の経験をまるで何事も無かったように無視する社会が、派兵することの意味を自覚できないのは、野宿者を暴行死させた中学生にも劣る貧困な想像力と言えないか。

 韓国では全土で在韓米軍による女子中学生2人の轢死事件と、その無罪評決に抗議する集会やデモが行われ、約7万人が参加した。ソウル中心分では約4万人が参加して、沖縄やフィリピンの市民団体も参加した。この海上を埋め尽くした民衆が頭上に掲げた巨大な星条旗が人々の怒りに揺らいでいる。そして旗にいくつもの小さな裂け目が穿たれ、みるみるうちにひろがってゆく。他の星条旗も同じように裂けて細かく散って消えてゆく。怒涛のような民衆が一体となって表現するパフォーマンスは圧巻だ。ここには想像力による激しく力強い連帯がある。最強を誇る米軍でさえ圧倒する意志の表現だ。自爆テロでなく、暴力では決してないが、強烈な表現が出現した。何万人もの人々が2人の少女の死を共有したのだ。ここにアートがある。そして完璧なアンガージュマンが。

 韓国では数えきれない程の人々が少女の死を自分のことのように受けとめ在韓米軍への怒りを表現したが、同じ頃、日本では多くの人が皇室とノーベル賞受賞と拉致被害者家族の問題をまるで自分のことのように感情移入してフィーバーした。そしてイージス艦が出航した。予想されるイラク攻撃支援のために。貧困な想像力に是非とも必要なデータがある。イラクでは湾岸戦争以来11年たつが、なお癌の発生が急増している。米軍が使用した劣化ウラン弾の影響しか考えられない。イラク南部では発生率が10倍をこえる。戦前(88年)10万人あたり11人だったものが、98年に75人、2001年には116人となった。癌の死者は88年34人、01年603人である。米軍はイラクのバスラ西部で劣化ウラン弾300トンを使用した。病院では障害をもって生まれる赤ちゃんが急増している。ほとんど数時間で息を引きとるという。湾岸戦争後も継続する国連経済制裁により癌の治療薬は手に入らない。(02.12.17毎日)

 何もしなくても死んでゆく他ない子供たちや、貧しいイラクの人々を徹底的に殺すために、そして米国の石油利権のためにイージス艦が出航していったことを実感出来ないでいる日本人が、小学生並の「わかりやすさ」に標準値を見出し、何事にも責任をとらず、「明日があるさ」などと口ずさむ時、この国の2極分化(超階級社会)は確実に機能しているということだろう。

2002.12.18 高木