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 2月15日、世界各地で「イラク攻撃反対」のデモや抗議行動があり60ヶ国1000万人が参加した。ロンドンでは200万人、バルセロナで130万人、ニューヨークやロサンゼルスでも数十万人という。「9.11」とその後の米国の行動に対する異議申立てというきわめて正常な反応である。私たちも浜松駅前で反戦を訴え、ビラ撒きをしたが、60万地方都市における10人に満たない参加者と、通行する10人のうち1人か2人だけがビラを手に取ってゆくという状況(これでもマシな方)が、いったい何を物語るのか考え込んでしまった。おそらくこの国の常識と人間の常識が異なるということだろう。
 改めて言うまでもないが、第一次湾岸戦争以来の日本における軍事的加速は驚異的であり、明確に改憲や有事法制を目指している。米軍によるイラク攻撃、北朝鮮攻撃、さらに新たな敵の創出という終り無き戦略に日本も積極的に参加してゆくという意志だ。この12年間に現代戦の最重要兵器ともいえるAWACSが4機も浜松基地に配備された。AWACSの機能を考えれば、反戦抗議行動の要といっても過言ではない。湾岸戦争以来、世界各地の侵略戦争において必ず戦闘管制の中枢機能を果たしてきたからだ。反戦の意義において重要なAWACSの浜松配備は、マスメディアの意図的ともいえる控えめな報道により、衆知には程遠く、現在に至って、しかも浜松在住であるにもかかわらず「何のこと?」という人が多い。上空を毎日AWACSが飛ぶという日常にあって、それが何であるか知らないという異常な街がここにある。この乖離が来るべき戦時体制を支えるわけだ。
 第一次湾岸戦争から2年後に浜松で「アウシュヴィッツ展」が催された。予想に反して大盛況だった。「ナチスドイツの残虐な歴史」は世界的にも日本においても正当な評価をされていたかに思えたが、しかしそれは誤りだった。(遠い過去の、遠いヨーロッパの、知っていることが当然とされる現代の教養として)人を集めたにすぎなかった。アウシュヴィッツと旧日本軍の侵略戦争の間に、沈黙する大衆によって築かれた「壁」はそれ程、強固で高かった。それゆえアウシュヴィッツ展以前も浜松の平和運動、反戦運動に変化は無かった。人間の悪の可能性としてのアウシュヴィッツの遺品を介して日本の戦争責任を自覚、反省し、正当な償いを目指すという、まともな反応が起こらず、軍事国家の、偽者の寛容をと担保するための通過儀礼という結果を招いたということかもしれない。さらに米国をはじめ先進国が行ってきたさまざまなジェノサイドが隠蔽されたままでそのことが「教養」にならなかったことが致命的だった。非対称の教養のままということだ。
 折りしもR/ポランスキイ監督の「戦場のピアニスト」が上映されている。「9.11」の翌年のカンヌで受賞という、なにやら胡散臭さを感じさせるその作品は、とりたてて興味深いものではない。むしろ、なぜこれが受賞したのか?と思える程に。「シンドラーのリスト」も後ろめたさをかくせなかった程の衝撃作である「ショアー」のクロード・ランズマンでさえ、「9.11」やイスラエルのパレスチナ侵攻に対して偏向した態度をとっていることは、人間という存在の闇の深さを痛感せざるを得ない。ホロコーストを過去の不動の価値にしてしまうことが、特にイスラエルの軍事侵攻の正当化に使われてきた。「あれ程の地獄はなかった。生き延びた我々に、相応の権利があるのは当然だ。結果としてパレスチナにどのような地獄が訪れようと」とでも言うかのように。
 加害の歴史を清算しない、という意味において日本も、アウシュヴィッツを利用している。だからアウシュヴィッツ展は盛況であっても、来るべき戦争の指令塔であるAWACSには無関心であり、日本の加害の歴史にも無関心なのだろう。
2003.2.18高木