戦闘地域

 

「『これでは生活出来ない。死んだほうがましだ』122日、沼津市役所社会福祉課で、同課を訪れた無職男性(39)がガソリン臭いことに職員が気付き110番。男性は沼津署員に取り押さえられ、事情聴取に、生活保護を受けられない事が不満、と話した」(04.12.3毎日)

この短かい報道では詳細は不明だが、少なくとも不況と福祉切り捨て政策が背景にあるだろうということは読める。社会から排除され、将来の希望も無くなり自暴自棄になる結果が犯罪とされる構図だが、現在の日本には、ひとつのケースからそれを生み出した構造を探り出して正当かつ合理的に対応するだけの許容量は無い。生物に喩えるなら免疫力を失った状態と言えるだろう。「景気回復」とは、リストラや給料カットで強引に擬装した見せかけにすぎない。それもごく一部の大企業のみだ。ドル安が進んでいる。これで頼みの輸出がだめになればお手上げだ。輸出を見込んだ増産が、捌け口のない在庫になってしまう。リストラは終った訳ではないのだ。失業が止まらない。

「定率減税の廃止・縮小について坂口前厚生労働相が、慎重に検討する必要がある、と言い出している。それだけ景気が危ういのである」(日刊ゲンダイ04123

来年から増税が決まっている。小泉改革とは、国内政治の破綻をすりかえて、「派兵」を強行するというペテンだった。イラク侵略戦争の破綻と国内政治の破綻に両方の足をとられ、責任回避に必死だが、「自衛隊の活動する地域が非戦闘地域」などと虚しく叫んでも、もともと派兵を合理的に説明する言説など存在しないのだ。日本の茶番国会でしか通用しない言葉など、世界に通じるはずがない。

たとえば、すでに10万人の虐殺があったイラクで、直接、イラクのひとびとに語る言葉を小泉首相は持っているだろうか?小泉首相に10万人の死者の家族の「心のケア」が可能だろうか?「サマワ滞在経験者のなかには『何のために派遣されたか、いまひとつ分らなかった』とこぼす若い隊員もいるという」(04.12.1毎日)

128日のニューズウイーク日本語版が「スクープ!自衛隊に下された戦闘命令」という記事をのせた。

自衛官が戦闘行為を含む治安維持活動への準備を秘密裏に進める疑惑が浮上。「895.56mm小銃の改造について」という通達書で、陸幕長から各方面総監、補給統制本部長、イラク復興支援群長各あてとなっている。

「小銃の切り換えレバーを改造し、左右いずれの据銃姿勢においても迅速に射撃実施できるように」「本改造は任務終了後、改造前の状態に復帰する」とされ、これは(物かげから撃ったり狭いところで撃てるようになること)だそうだ。

非戦闘地域ならば改造の必要は無い。しかし、北富士演習場にサマワ宿営地を再現した施設をつくり、沖縄海兵隊との合同演習ではイラクの検問所に類似した設備が使われた。オランダ軍撤退を視野に入れたものではないか、と現役自衛官が言う。そして今や、自衛官はサマワを戦闘地域とみなすのは当然、と言い、非戦闘地域と信じているのは政治家ぐらい、という。

現場主義によるリアリティの復権が必要だ。

思い起こせば、米軍による「ジェシカ・リンチ救出劇」というでっち上げを(スクープ)したニューズウィークが、民主党議員のインタビューにより、自衛隊の憲法違反疑惑を(スクープ)することの意味は、迂回した憲法改正に向けた布石と読むべきかもしれない。だが、検証可能な事実のある部分を強調することで我田引水を謀ったと見ることも自然だ。

ともかく「現場主義」の欠落が国内政治、外交に重大な影響を及ぼしていることがわかる。現場を知らない「遠隔操作」にリアリティがあるわけがない。何よりも操作出来ていると思い込んでいる者の現場との断絶により、「すべて他人事」の感覚しか持てないのだ。すなわち、人質が殺されようと自衛官が殺されようと、小泉首相の息子が殺されることではないのだ。ましてやイラク人10万人の虐殺にしても。

F-2(戦闘機)の開発が中止だそうだ。つまり研究開発費の税金1兆円をドブに捨てたわけだ。開発担当の三菱はトラック、乗用車から戦闘機まで巨大な利権に君臨してきたが、その企業理念は、実戦では使いものにならない(利権のためのフィクション)でしかなかった。なにしろ、戦闘機のいたるところが強度不足と誤作動だらけなのだから。それにしてもそんな馬鹿げたフィクションを可能にしてきた利権政治の責任は誰がとるのか?「トップダウン」で頂点にある政権に判断能力が無いということは、リスク(天災も人災も)は直接、下部構造を襲うことになる。すなわち庶民だ。

F-2の中止は、この国の利権政治が、現場を無視したものでしかない象徴に思えてならない。(それ以前に、戦闘機の開発など憲法違反でしかないが)

浜名湖舞阪は漁業の街だが、現在の状態が来年も続けば漁民の半分は死活問題という。潮流の変化、不漁、暖かすぎて海苔もダメ。花博は地元に何も残さなかったうえに石油の値上げが重なる。すでに油を売ってもらえない漁師が出ているという。不漁なら船の負債で一気に首をしめる世界なのだ。ましてや陸上の不況が陸に上がることも拒絶する。セイフネットの無くなった社会とは自暴自棄型の事故や犯罪が約束される社会だ。

政治は、天災も人災も含めて扱うものだ。社会的弱者を切り捨てるだけでは民主政治以前の問題だろう。本気で改革するなら弱者の生存権は必ず確保出来る。

ともかく、「朝鮮半島問題」をはじめとして他人事のようにとらえ、積極性と長期展望を欠落させたまま思考停止し、対米追従外交に終始してきた日本は、さまざまな問題を自分で解決する意志も能力もない。そんな主体性の抜けた発想こそが場当りな「部分への拘泥」と「全体を見る視線の欠落」を育んできた。現在が戦時下にあるという自覚のなさは大きなツケとなって帰ってくるだろう。

2004.12.3 高木

「テロ警戒中」

 

国道一号線、天竜川の橋を越せば浜松に入る。12月というものの、窓を開けて走れるのは、言うまでもなく暖冬だからだ。慢性渋滞の緩慢な流れに任せながら、沈みゆく夕陽の濃度が増してゆくのをながめる。まるで浜松、そして日本の象徴にさえ感じられる日没の進行に、冬の雲がよりいっそう焦燥感を煽る。さっきまで見えていたアクトタワーはすでに暗闇のなかに消えた。

出口無き不況、予定の立てられない現在を「希望格差社会」(山田昌弘)と呼ぶそうだ。ごく一部の富裕層と、大多数のそうでない者との格差が拡がるばかりだ。想い起こせば「9.11」の後、0110月にテロ対策特措法が成立。それからは、なだれを打ったように戦争への道が進んだ。多くの人は直接身に降りかからないかぎり声を挙げないのが日本だが、案の定、「年金崩壊」がささやかれると、さまざまな声らしきものも聞こえはじめたが、それでも社会がマヒするような動きにはならない。イラクでは10万人以上の虐殺が現在も進行中、占領軍側、多国籍軍の一員として派兵する日本は、実は理念も設計も無い場当りで、しかも台所は火の車だ。失業者が増加すること、増税ラッシュが控えていること以外、ほとんど予測が立たないとしたら、若者でなくとも希望なんぞ持てるはずがない。かって、JP・サルトルが、第2次大戦下のレジスタンスをふり返って、苦しくても希望もあり、生きがいもあったと語ったそうだが、現在の日本はどうだろう?政治家のバカな、そして無責任な発言が乱れ飛んでいる。

「迫撃砲を数十発撃たれれば別だが、数発撃たれても危険だと判断しない」(04.11.25中日)防衛庁大古運用局長、派兵された自衛官や家族が聞いたら何と思うだろう?

「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」(1110日小泉首相)?!

「皇国の興廃、この一戦にあり」(216日、玉沢元防衛庁長官)イラク派兵の護衛艦むらさめ出港のあいさつ。ここでは旧海軍の「軍艦マーチ」の演奏命令が下された。

「教科書から慰安婦という言葉が減ってよかった」(中山文部科学相)(1127日)

対米追随で参戦をはじめた日本の動きにアジア諸国は懸念している。もちろん中東・アラブ社会も米国の同盟国としての実態を表わし始めた日本を警戒する。

海外から見れば圧倒的に少ない日本の反戦運動だが、それでも意思表示を続けようとする人々は絶えない。先日の浜松の反戦デモは残念ながらカゼで参加出来なかったが、日本各地でさまざまな反戦行動が行われている。

1215日には、元防衛庁教育訓練局長、新潟県加茂市の小池清彦市長が、「日本はますます米国のポチになってゆく。平和憲法を守る長い闘いが始まる」と訴えた日比谷で、反派兵集会に3000人が参加したという。もっとも、反戦行動をマスコミがあまり報じなくなっているので多くの人はそれが行われたことさえ知らないことが多い。

こうした状況でも、注目された判決があった。

1216日、東京地裁八王子支部で、イラク派兵反対のビラを自衛隊官舎郵便受けに配り、住居侵入罪を問われた「立川自衛隊監視テント村」メンバー3人に対して「無罪」が言い渡された。司法が「政治的表現の自由」を認めたのだ。

被告の大西氏は「単なるビラ配りが公訴される異常さを実感した。判決で表現の自由に触れてもらえたのがよかった」と語るように、この事件は、自衛隊官舎の郵便受けに(イラク派兵反対、いっしょに考え、反対の声をあげよう)などと書かれたビラを入れただけで逮捕され75日も拘置されたものだ。

他にも公園のトイレに「反戦」と落書きしただけで懲役を求刑された事件もある。

一体、国民は憲法第9条下にある不戦国家が武装した軍隊を、占領により10万人以上が虐殺され、劣化ウランの粉塵が舞うきわめてリスクの高い戦闘中のイラクに派兵することを、詳細かつ明確に説明されたうえで納得しただろうか?多国籍軍に参加すること、派兵を1年延長することは、国会で討論されて決定しただろうか?挙げ句の果て、きわめて正当な非暴力の反戦行動であるビラまきまで逮捕とは、ここは北朝鮮だろうか?63日第2回公判では、弁護人「被害届けは出来ていて署名するだけになっていたのでは?」担当者「はい。中身は読みました」と、警察から頼まれて既に準備されていた被害届けを出したことを認めた。事件は反戦運動を封じるための公安主導のシナリオだった。

617日第3回公判では「届けは警察が持ってきた。それに印鑑を押した」と説明。捜査官は刑事でなく公安だった。(04.12.14朝日)

114日第7回公判で裁判長は「思想を裁くのではない。この裁判は表現の自由の解釈に関わる重大な論点がある。同じようなビラ入れへの影響も大きい」と語った。

国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは3月、「非暴力の表現活動」で逮捕された3人を日本で初の良心の囚人に認定した。国際的にこの国が民主的でないとされたわけである。そんな国が毎年、「人権週間」でさかんに人権を啓発する。

それにしても(現在の憲法下での)きわめてまっとうな判決だったわけだ。改憲により個人の表現の自由よりも国家意志が優先されたら、彼ら3人は非国民とされ懲役を喰らうことになるだろう。事ほど左様に、「平和憲法」によってしか人権は守られないわけだ。世界中の戦火の犠牲者たちがうらやむ「憲法第9条」の価値を(首の皮一枚の末期状態)のさなかであらためて思い知らされる事件だった。しかし、多くの日本人の関心は拉致被害者の「骨」にあるようだ。北朝鮮から返された骨は拉致被害者のものではないというDNA鑑定結果が公表され、北朝鮮が反発している。北が嘘をついた可能性も、日本側が嘘をついた可能性もある。なにしろ国民にはどちらも検証しょうが無いから、だ。

ウクライナ野党大統領候補ユーシェンコ元首相が6000倍の濃度のダイオキシンも盛られ容貌が激変したニュースが伝えられた。旧KGB関与説や、元首相夫人の「キスで薬の味がした」のは、においも味もないダイオキシンでは疑問、彼女が米国生まれ、米情報局との関連も指摘され真相はわからない。しかし「どちらが正しい?」という問題をこえてウクライナが熱気を感じさせるのは、連日数十万人の不正選挙抗議デモ参加の市民が「私たちはヨーロッパ人として生きてゆく」「立派な市民社会を築きあげたい」という声をあげていることだ。厳冬をものともしない希望がうかがわれるとは思い入れすぎだろうか?

やっと車が天竜川を渡り終えて浜松に入った。あたりはほとんど暗くなっている。最初の歩道橋に2m以上ある青地に赤い色で「テロ警戒中」という看板が目につく。ほとんどの人は気づかないかもしれない。しかしこの言葉こそがこの街を、そして日本を支配しているのが現実だ。監視・管理・統制が優先する社会を意味し、「ビラまき」を立派な犯罪とする独裁の全体主義社会を宣言する言葉だ。

2004.12.17 高 木

「ニュースの天才」と肉のはなし

 

何故、スキャンダルやゴシップが好まれるのだろう?面白いこと、興味を持たれることがそのまま事実であるとは限らない。なかには捏造されたものさえありうる。若者ばかりでなく大人でも、ニュースに興味が無く、新聞も本も読まない人は決して少なくない。おそらく現実を知りたくないのだろう。言いかえれば、知りたくもない現実があるということだ。(不安のモラトリアム)とでも表現できそうだ。不安が具体化・実現化することへの恐れが、現実を直視することを避ける。そうすることで自らが傷つく可能性があるからだ。それでも事実を求めるか、それとも仮想現実におぼれるか…。

今の日本で、ありのままの現実を受け入れるのはしんどい。だから変化しないもの、変化できないものよりも、変化したものや変化の可能性を見る方が救われる気がする。すなわち「保守性」が、自分と無関係のスキャンダルやゴシップを求めるのだろう。それを知ることによって変わらない自分を確認するかのように。

別の表現をすると、思考停止した者が現実を嫌うということだ。世界で何が起きているのか、自分が誰なのかを知りたくない人が増えている。その人々を中心に、いとも簡単に情報操作やプロパガンダが可能な社会が出現している。

「誰かが体験した事実は、誰かに伝えられる時点で、すでに事実じゃない。その誰かの目と耳を通した情報だ。興味の持ち方は人それぞれだ。興味の持ち方が違えば視点も変わる。視点が変われば情報だって変わる」(『いのちの食べ方』森 達也 理論社2004

映画「ニュースの天才」は、ビリー・レイ監督の作品だ。政治雑誌「THE NEW REPUBLIC」の人気ジャーナリスト、スティーブン・グラスが書いたスクープ記事41編のうち27編が捏造だった、というもので、現実にあった事件をベースにしている。政財界のゴシップを次々とスクープして人気絶頂の記者スティーブンは、少年ハッカーがコンピュータソフト会社を脅して、巨額の報酬の支払いに応じたことを「ハッカー天国」という記事で発表。大反響を呼ぶ。

あるネット・マガジン編集部が自分たちの専門領域を出し抜かれたことで疑問を持ち、調査を始める。するとソフト会社も少年ハッカーも実在する痕跡がない。そこでTHE NEW REPUBULICの編集長チャックとスティーブンに疑問をぶつける。スティーブンの狼狽を感じ取ったチャックは、厳しくも慎重に追求する。その過程で高まる捏造疑惑と、名門ジャーナリズムとしての責任が浮かびあがり、チャックは葛藤する。

ついに暴かれた捏造。スター記者の失墜をTHE NEW REPUBLICはどう処理するのか、という大問題だ。チャックは苦渋の末、事実をすべて公表することを決断、編集スタッフも全員同意する。

一介の主人公が、さまざまな試練や困難を乗り越えてヒーローになるのが通例なら、この映画はまったく逆だ。スター記者が大嘘つきに墜ちてゆく様態を描く。だが、同時に捏造のジャーナリズムが傷だらけになりながら再生する過程でもある。これを描くのが、そして現実のネタが米国にあることが興味深い。

「ジェシカ・リンチ」事件はおろか、その舞台であるイラク侵略戦争、アフガン侵略戦争、そしてそれらの大量虐殺を懐胎させた「9.11」まで含めて、世界は米国の捏造を知りつつも、その力の一極支配に同調してしまった。事実を検証するよりも、事実を捏造するスピードの方が勝っていたわけだ。いまや醜態をものともせずに米国の「嘘」が世界を席巻している。そしてそのパワーに目が眩み、(フィクションであろうとノンフィクションであろうと)忠誠を誓う日本がある。くり返すが、米国の「嘘」を検証しない日本こそが重要だ。平和憲法下の戦闘地域への派兵を堂々と強行し、たかが反戦ビラのポスティングを逮捕・拘留してしまう国家意志がなぜ可能なのか?

「だますものとだまされるものがそろわなければ戦争は起こらないとなると、戦争の責任もまた、当然両方にあると考えるほかない。(中略)あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的盲従に自己をゆだねるようになってしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」(『だまされることの責任』映画監督 伊丹万作 高文研)

今、この国で事実の持つ価値はあまりにも低い。その結果が政治腐敗であり、それが生み出す政治不信だ。金持ちと貧乏人の格差が拡大するばかりの現在、何にオルタナティブを求めるのか?もちろん金や力でないことは自明だ。論理力による事実の復権、検証能力とその意志こそが求められているのではないだろうか。そう、現在もっともダサイと思われているものだ。

引用した森達也「いのちの食べ方」は、魚を食べるまでの過程はみんなが知っているのに、肉はどうやって殺され、解体されるか、誰も知らない空白になっていることに注目。「知らない」ことで身勝手なおいしさが当り前になっている現実を突き付ける。

精密な「と場」(屠殺場)の描写でみんなの空白が埋められてゆく。そして(知らないこと)が差別やいじめにつながり、人間の(忘れっぽさ)が思考停止を招くと警告する。何かから目をそむけるうちに、それを忘れ、目をそむけたことさえ忘れてしまう、とも。そして大切なことは「知ること」、人は皆同じ、いのちはかけがえのない存在だということを確認する。

厳冬期に限らず、一年中各地で野宿者襲撃が止まない。特に中学生、高校生の若者によるものが目立つ。多くの場合、複数以上のグループにより弱い者を狙う。なぜか米軍の行動に酷似するのは深刻だ。米兵が訓練中に相手を人間と認知しないことで殺人可能な心理を維持することと同じことが、日本の公園で、しかも訓練を受けていない子供たちの自発的行動として表現されているからだ。遠隔地であろうと近い場所であろうと、戦争が行なわれるならば、殺される側、被害者・弱者の叫びや痛みこそを共有すべきであり、そこからしか戦争を終結させる道はないはずだ。ところが野宿者を襲撃する子どもたちは侵略者・加害者側の意識だけを共有しているのだ。なぜか?彼らは野宿者がどのようにして野宿に至ったかを知らず、何よりも野宿者が自分たちと同じ人間であるという事実を「知らない」からだ。そしてそれ以前に、何にムカつき、何にキレるのかを自覚できないからだ。それは現実、事実をそのまま主体的に受け入れて主権者として行動することをやめてしまった大人たちの姿を自らとダブらせているからだろう。大人たちが仮想現実に流され、現実を放棄していることに幻滅しているはずだ。そして(正しいか、まちがっているか)よりも(力があり金持ちである)米国こそが一番に決まっていると、何よりも大人たちが認めていることを冷笑しているのだ。

国会議員の8割が改憲を志向し、イラク派兵が何のゆらぎも抵抗もないまま延長され、次々と米国の戦争の大義が嘘であることが暴かれているにもかかわらず、参戦への疑問も示さず、導かれるままに、やれ万博だ、クリスマスだ、経済制裁だと口角沫を飛ばす国とはいったい何だろう?

2004.12.24 高 木