隣組創設65

 

煽動されるまま、自分たちが何処から来て何処へ向かうのか自覚しない社会で、流れから逸脱し、抵抗することはかなりしんどいものだ。最初からそうなのか、そういう結果を招くのかはともかく、最終的には、私とは何であるか、ということになりそうだ。もとより少数者であることには何のためらいもないが、たがが外れたように加速する情況の変化にはただ呆れるばかりだ。ところで政権の広報機関にすぎないことが誰の目にも明らかでありながら、なおかつ「公共」という虚構に胸を張るNHKが、戦時下にふさわしい番組をたれ流している。「ご近所の底力」という番組は、日本社会が戦争からまったく何も学んでいないのを承知の上で戦前・戦中の「隣組」を堂々と復活(継続と表現すべきか)させている。

「隣組」は1940年全国に設置された国民統制組織の末端機構で、約10戸を単位とし、連帯責任のもとに戦時生活の統制を目的としたものだ。

番組は毎回、テーマを設定し、個別の対応で壁に当たって悩んでいたものが隣近所が連帯することで難問を解決するという視聴者参加番組だ。たとえば「悪質セールス撃退について」。よくあるケースをパターン化し、やはり「連帯」をキーワードに解決法を指南する。もちろんこんなものを毎回見ることはないのだが、あまりに呆れたので書いておく。まず個別の、悪質セールスへの対応が説かれ、やはり連帯が強調されてゆく。最終的には街からしめ出すというわけだ。そこで最終兵器(ちょっと大げさか?)の登場。「青パト」である。「対テロ戦争」が身近であることを煽りながら法定上のものでもないにもかかわらず、威嚇的に青色灯を回転させながらパトロールカーを登場させることで危機感を喚起させるわけだ。防犯、防災はもちろん戦時下の認識を目指す。ほとんどの悪質セールスはこれで退散、めでたしめでたしという具合。「現場」は不審者によって出現する。つまり日常的に隣近所が(あやしい者、変わった行動)に目を光らせる監視社会の奨励だ。全国各地で自警団が活発化している。なんと警察手帳そっくりの手帳まで作ったところまであるという。各地で見かける「青パト」のメンバーの自信と使命感に満ちた表情は、この国がどれ程戦時下にあるかという指標だろう。「イエイ、ブラザー、決まってるぜい」と兄ちゃんが燃費の悪いアメ車でヒップホップの低音を響かせようとも、である。。

監視社会は実際の事件そのものと、次の事件の不安をエネルギーにしてエスカレートする。「対テロ戦争」と共通するのは、終わりが無いことだ。そこで煽動される不安や恐怖は管理する側にまことに都合がいい。逆説的には、あえて「事件」を仕掛ければますますコントロールしやすいということだ。予測不能であっても何も起きない日常に社会が慣れてしまったら、たまに思い出させてやればいい。そんな、常に敵の存在が必要な体制が米国であり、それを模倣する日本ということだろう。本来なら歯止めはメディアと民意の双方が形成するはずだが、今はすっかり無くなっている。

「オウムに対してこれほど無茶苦茶な弾圧を国家が重ねているという情報を提示すれば、視聴率や部数は下がるし、(悪のオウムの肩を持つのか)式の抗議の対応で大変なことになる。だから、主体はメディアではない。ところがメディアに刺激され同時にメディアをコントロールする世相にも、実は主体はない。つまり互いに従属しながら主体を喪失している」(「ご臨終メディア−質問しないマスコミと一人で考えない日本人」森達也、森巣博 集英社新書2005

「小泉首相はこの4年間で国の借金を250兆円も増やした。テレビはその責任を追及するどころか増税やむなしの世論づくりに加担している始末だ」(金子勝「日刊ゲンダイ」2005112)居直るがごとく風俗産業系のスポンサーでかろうじて「否」を報じる日刊ゲンダイは大手マスコミに比べればファシズムの危機を警告するがやはり少数派である。大手メディアは翼賛化するばかりで、自分で考えようとしない日本人がその情況を何とも思わないまま、日本の特異性が増してゆく。

前出の「ご臨終メディア」でSBS(オーストラリアの公営放送局)が、日本人の3人がイラクで人質にとられたときの自己責任論についての番組を紹介している。日本の産経新聞の編集委員(もしくは論説委員)がSBSにインタビューされ「どうしてこれが自己責任になるのだ」と問い詰められる。「あなたの考える自己責任とはいったいどんなものか?」と。なんと産経新聞の委員は「ノーコメント」と答えたという。オーストラリア在住の森巣博は「この人はバカじゃないか」と思ったと笑う。「産経新聞の赤っ恥を晒した自己責任はどこにある?」と思いつつ。マスコミ総動員で政府による情報操作にのせられるまま「人質バッシング」を大合唱した日本社会を海外メディアは正確に見抜いていたわけだ。日本で生活しながら日本の特異性を自覚し抵抗することがますます重要になってくる。いくら「ごまめの歯ぎしり」などと揶揄されようとも止めるわけにいかない。メディア危機を克服するには誰かが、そして誰もが発信するしかない。そのためには当然(自分で考える)しかないのだ。

都合良く編集され無害化されて戦争が報じられている。叫び声も死体も消され、BGMまで付加されて。大本営発表を額面通り受け取れば「殺人」など起きていないことになる。だから数値化した死者をどうやって(インスタントラーメンみたいに)生々しい人間の死体に戻せるか、ということだ。

「メディアが発達することで、戦争は逆にリアルさを失い、矮小化されてゆく。受け取る僕らは他者への想像力を失い、当事国以外にも戦争の麻痺が大規模に感染してゆく。これが現況のメディアです」(ご臨終メディア)

ところで浜松の古くからあった書店が次々と姿を消していった。映画館もまた然りである。残された書店に並ぶ本は、乱暴な表現をするなら、夥しい現状肯定だ。語り口が否定を装っていても内容はほぼ同じようなもの。当然かもしれないが書店の風景はこの国の言論情況そのものとなっている。もちろん過激な右傾は、まるごと全体の軸を歪めているから、ちっとも過激という形容がふさわしくないのだ。

雑誌の多さが目につく。文字をきらい、形(表面)から入る、ということだろうが、ネット社会が加速させる何でもあり状態のなかで何を選択するかの指標をそれぞれ主張しても常にバラバラだ。だから決して流れに変化は生まれない。アナーキーは若者の特権であっても、釈迦の手のひらを鼻息荒く飛んだところで管理されているのは変わりない。規格を破壊する程の逸脱が無いのだ.。そんな政権の暴走を許す日常がサマワの宿営地にこもる一日で税金1億円を使う自衛隊を支えることになっている。「人道復興支援って何だ?」などと声に出して言わないことによって。

ともあれ、好きなものが手に入る状態が良い結果を生むはずがない.さまざまなプロセスが消滅してゆく。リモコンでTVチャンネルを次々と変えて好きなものだけ観る事がいかに思考を奪っているかを考えよう。その習慣は、せいぜい人間が死んでもリセットできると本気で考えている小学生から大学生たちを育むのがおちだろう。すでに大人たちも日本という幻想の内部でしか生きられなくなっている。(外部、他者、敵)表現が何であろうとそれをつくり出さずにいられないヒトと社会が出来つつある。

2005.11.4 高木

雰囲気で何でもOK

 

日本人は便所の監視カメラも不快に思わないほど脳天気である。そんなもの誰が許したかって?以前から無かったわけではないが、堂々と認知したのは、もちろん「オウム」がきっかけだ。たとえば国道150号線がオウム信者監視を口実に(広報しなくても雰囲気や不安を醸成すれば何でも可能な社会だから)設置、富士山周辺からオウムが消えて何年も経つのに、約100kmの区間に100台以上が稼動し続けている。不安をあおり、監視を合法化し、対象が消えても監視だけが残るということだ。Nシステムがよく話題にされるが、Nを点とするなら、すでに面という意味で監視カメラが増殖している。すなわち対象者の移動過程が、まるでカーナビの如く捕捉可能となっている。国民とはそれほどバカにされているということだ。レンズの向こう側の高笑いが聞こえないか?

論理よりも雰囲気が優先する社会は管理しやすい。圧倒的な米兵とイラク人の死者の差からしても侵略以外の何ものでもないのに「国際貢献」や「人道復興支援」と言い換えることでいつのまにか自衛隊が参戦しているが「普通」に生活する人々は「関係無い」と思っている。週刊ポストが「アルカイダが日本人女性と連絡…」などとスクープもどきの記事を載せたが、「テロとの戦い」の演出に欠かせないBGMだ。管理社会では、他人の不幸は蜜の味だから、女子高校生による母親の毒殺未遂事件などは、できるだけセンセーショナルに報道される。セットになるのは、この時機、米軍再編や増税などだろう。片方を控えたければ、もう一方を大きく扱うという具合に。

2004年、在日バングラデシュ人のイスラム・モハメド・ヒムさんが、突然逮捕され、「日本に潜伏していたアルカイダ幹部」「急成長年収8億、資産調達係」「米軍基地前で会社経営、情報収集に利用か」などと新聞に大きく報道され43日も拘留された。全くの冤罪で、アルカイダと無関係と分かり釈放されたが、仕事が完全にダメになり、銀行、クレジットカードも止まった。

センセーショナルに報じられ、その後、冤罪であることが証明されてもマスコミは訂正しない。警察発表をそのまま報道するメディアがこうして社会不安をあおり続け、犠牲となる人権が回復されない。人々には「大文字の見出し」が刷り込まれたままだ。こうして「日本もアルカイダと無関係じゃない」「テロが起きても不思議じゃないかも」という雰囲気が定着する。

ヒムさんは105日、日本テレビと共同通信社にそれぞれ1,100万円の慰謝料の支払いと謝罪広告掲載を求める名誉毀損訴訟を起こした。

毎日新聞(051110)によれば、国民の48%が「治安が悪化している」と感じている。実際には96年から7年連続して戦後最多を更新したが、この3年簡、刑法犯は漸減傾向にある。しかし、メディアの恣意的かつ、センセーショナルな報道により、何の根拠も裏付けもないまま多くのひとが「治安が悪い雰囲気」に陥っているわけだ。もちろん、(見えない意思)の作戦どおりに、である。「何となく…」に象徴されるグレーゾーンが最も利用され易いということだ。本当は米軍再編や小泉独裁のこの国の行く末こそが不安の筆頭であるはずなのに…

米国には「ゲーテッドコミュニティ」が2万ヵ所もあるという。完全に塀で囲まれた閉鎖空間で、出入口は厳重な警備でチェックされる住宅街のことだ。ようするに極端な格差社会が必然的に生み出した金持ちだけの領域で、すでに日本にも10ヵ所出現したという。不審者とその予備軍である貧乏人を完全に排除して安全な生活を送るわけである。不安定で予測不能な要素を排し、監視カメラやガードマンで全体を管理する発想は、日本そのもののマトリョーシカ(入れ子)といえる。当り前の常在菌まで殺菌して無菌豚でもつくるつもりか?弱者、敗者を生み出し限りなく犯罪の動機をつくっている社会構造を問うことなく、対話もせずに排除するやりかただ。

現在、全国で防犯ボランティアや防犯パトロールに80万人も参加するらしい。「治安悪化」の雰囲気が煽られてその気になる真面目な国民が「不審者はゆるさない」と凛々しく夜の街を睨む様子が想像できる。警察庁は自主的な防犯パトロールの急増を受けて専門のホームページを立ち上げた。活発なグループや防犯グッズの紹介もするという。

実際、防犯パトロールのステッカーを貼った車をよく見かけるようになった。戦時体制の末端組織などと意識させずに機能させるには、建て前として防犯、防災意識で安心安全を目指す活動をルーティン化すればいい。「上意下達」はこの国の御家芸みたいなもの。人権や民主主義なんて難いことよりも、考えなくても身体がすんなり受け入れるように出来ている。

本当の不安である米軍再編を考えよう。小泉自民党の選挙圧勝を受けて、国民が小泉路線を支持したとされ、機が熟したとばかりに米軍再編の詳細が見えてきた。常時戦争状態を作り出すことで国家が機能するというまさにテロ国家米国の世界戦略における日本の役割について、日米両政府が本音で語れる情況になってきた。米国が作り出す世界中の戦場に自衛隊を活用するということだ。米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移転案がでている。戦闘部隊司令部が日本に設置されることの意味は大きい。日米安保が極東から世界に拡大する。米軍と自衛隊の一体化だ。(北朝鮮の脅威から日本を守ってもらう)などと多くの日本人が勝手に思っているが、擬装された雰囲気にすぎず、現実は米国のグローバル戦略に組み込まれ世界中に派兵するしくみにほかならない。米軍再編「中間報告」で指定された各自治体は反発している。何事も直接自分にふりかからなければ「他人事」で済ませる日本人は、全土沖縄化により、沖縄の60年間の苦悩を大きなツケとともに味わうはめになった。世界でもっとも米軍を優遇してきた日本は在日米軍のために年間2,300億円も負担している。もちろん世界でも異常に突出する。そんな居心地の良さを米国が自ら手放すわけがない。米政権中枢のラムズフェルドが米軍再編について「日本政府が示した案だ。日本政府がどうするか見守りたい」と語った。ブッシュ政権の低落傾向に悩む米国が「テロとの戦い」に無条件で従属する日本だけは絶対思いどうりにしてみせると強い自信をうかがわせるものだ。

日本中の橋や工事現場に「テロ警戒中」の大きな表示がみられるようになった。雰囲気づくりである。国民は小泉マジックにころっと騙されるほど愚鈍だから、メディアを使って「テロとの戦い」をアピールし、「なんとなく治安が悪い」と思わせながら「隣組」として自治会、町内会、防犯パトロールなど(戦時体制)末端組織を機能させようということだ。言換えればそこまで国民が舐められているわけだ。

119日の中日新聞によれば、伊国営放送RAI8日、米軍がイラク、ファルージャで無差別に化学兵器を使用したと非難するドキュメンタリー番組を放映した。英BBCも放映後に伝えた。「ファルージャ−隠された虐殺」によれば、昨年11月、白リン弾と新型ナパーム弾が使われたと指摘。化学兵器使用の証拠として、服は燃えてないのに身体だけが焼け爛れて変形した死体の写真を紹介した。元米兵の証言もある。イタリアはイラクに3,000人派兵しているが、長引く派兵に撤退を求める声が強まっている。

以前も指摘したように、ファルージャの虐殺は沖縄米海兵隊が関わっている。イラクのひとびとからすれば、日本はまぎれもなく侵略者ではないか。天文学的な財政赤字と政治能力の貧困を「テロとの戦い」というでっち上げによって強行突破する意図が日米両国で共有される。そもそも「テロ」が曖昧で恣意的であるために独裁政治にとってまことに都合が良い。終わりが無いうえに政権が名指す者がテロリストとなるのだから。

無料で食用油や洗剤を配り、会場に勧誘して面白おかしく話が進み一ヵ所しかない出口で払いきれないほど高額のローンを組まされ、布団などを売りつける催眠商法がある。無知で世間知らずの年寄りが被害にあう事が多い。

日本人は小泉政権とその親会社(米国)の催眠商法にまんまとはまった。以前から沖縄が発してきた声を本土が理解すべき時が来た。「クーリングオフ(解約)」の大合唱で再編阻止だ。そして脱軍事社会を指向すること。                   2005.1111 高木

NO PLACE TO HIDE

 

NO PLACE TO HIDE」(邦訳書名「プロファイリングビジネス」ロバート・オハロー 日経BP2005)が出版された。辛口でならすニューヨークタイムズ紙の書評が絶賛する。ブッシュ一族にも食い込んで急成長した個人情報産業のCEOの前歴が麻薬の運び屋、傭兵の手配師だったことなども暴露している。「隠れる場所はどこにもない」ほどプライバシーが侵害されている実態、個人情報が商品であるという視点、さらに国家が安全保障のために個人情報を管理するが、情報の管理、守秘義務の手抜かりからID窃盗や詐欺、漏洩によって殺人犯に仕立てられたり、投票権を剥奪されたり、企業を解雇されたりする実態がある。さらに個人情報産業と政府との連携、癒着の構造。かって産軍複合体が自由と民主主義を危機にさらすと予言、警告されたが、今では個人情報(治安)産業と政府の複合体を懸念する声が出てきた。管理の技術も実態も急激に進化するが、個人情報の漏洩に対してあまりにも無関心無防備な社会の実態がある。ここでも自分の番が来るまで「他人事」なのだろう。

1954年製の使い古されたアルミニウムの弁当箱が今日届いた。フライパンにもなる取っ手のついたフタを開けると数枚の絵葉書、パンフレット、2種類のビスケット、新聞の切り抜き、どこにでもあるような石ころなどが出てきた。仏の妹が85日に送ったものだ。包装紙には5cm×2.5cmほどの白いステッカーが貼ってある。「この郵便物は税関検査の為開封しましたので再包装しました」と記載されている。いつもは航空便を使うのに間違って船便にされてしまったらしく、3ヶ月以上というとんでもない時間がかかったらしい。「テロ警戒中」の日本国税関が、あやしげな(本当はノミの市でみつけたただの弁当箱だけど)金属の箱を見逃すわけがない。しかも宛名は市民運動関係者で「反戦」などと口にする非国民。内容物は、X線検査をはじめ、プロテクターで身を固め緊張した係官たちの見守る中、ひとつずつ念入りにチェックされたにちがいない。たとえばパンフレットは、フランス人は耳垢が湿っぽいので昔から民間療法でをまるめて耳穴に差込み上端に火をつけて下降する暖かい煙で耳垢をころりとだすもので、プロポリスを使用したその商品の説明だった。「そんなもの日本にないでしょ」ということで面白いからいれただけのこと。だが当局にとっては、たとえば光に透かすとアラビア語で極秘文書が見えたり、薬品に浸すとハングル文字と設計図が浮かび上がったりする可能性も考えられるわけだ。なにしろ「テロ警戒中」だから。ノルマンディーで拾った石ころだって爆発する可能性を否定できない。ビスケットの2種類を砕いて混ぜ、水を加えると眠らせておいた殺人ウイルスが活性化するかもしれない。どんな薬品も効かないやつ。失敗は許されない。なにしろ国家の命運が懸かっているのだ。何の変哲もない絵葉書の文字に暗号が隠されてないといったい誰が断定できるのだ?

包装紙をもう一度見ると消えかかってやっと判読できるスタンプに気づいた。

MISSENT TO BEIJING」何と北京まで行ってたわけか。これは立派な「不審物」ではないか。

「物」であれ「人」であれ国境を越えるということは、国家の有り様が露わになる瞬間だ。もちろん見えない「声」も例外ではない。小包みの到着を電話で知らせると妹はびっくりしていた。行方不明であきらめていたからだ。ところで今年の夏、高校一年生の甥が2週間も来日していたのだがスケヂュールが合わず会えなかった。仏人の父親と日本人の母親をもつ甥は小さい頃から剣道を続けている。練習のための来日で東京と長野で合宿練習に明け暮れたのだが、ホームステイ先のおばあさんが話し相手だったそうで、自分がよくデモにゆくことや政治のことばかり質問したらしく、おばあさんは自分の高校生の孫とあまりの違いに驚いたらしい。すっかり懇意になり帰国の日は涙を流したという。甥の部屋には私が湾岸戦争のとき抗議で作り何回もデモで使った反戦の旗が壁に貼ってあるそうだ。妹との電話で、仏の暴動の話になったころから回線がおかしくなった。気のせいか特定の単語、たとえばテロや暴動、アラブなどと話す時声が途絶えてしまう。「今なんて言った?聞こえない」という具合だ。エシュロンの辞書機能をセットすれば簡単な妨害が可能だが、始めの20分くらいまで普通に会話出来たから、機械的トラブルでないかぎり日本側で意図的にマニュアル操作しているのかもしれない。反戦チラシをポストにいれたり、便所の壁に反戦と落書きしただけで逮捕拘留される国である。電話の向こうで義弟が「パラノイアだ」と横槍を入れるがフランス人にはこの国を理解するのは難しい。

「正戦のドクトリンや対テロリズム戦争を国内に向けて掲げるのは、完全に近い社会統制を目指す政府である。(中略)これは、市民の自由がどんどん制限され投獄件数の増加するある意味では恒常的な社会戦争の発現した社会である」(「マルチチュード」上巻A・ネグり、M・ハート著NHKブックス2005

世界は「9.11」以前と以後において完全に変質した。まるで被曝という言葉さえ当てはまるかのように…。日本中に200万台以上と言われる監視カメラを危具する声はあまりに少なく、すでに日常風景の一部と化している。そのカメラが顔認証データと連動して、住所、電話番号、家族構成、職歴、学歴、病歴、犯罪歴、住宅、給与、預金、借金、宗教、思想信条、車、趣味、愛読書、旅行、友人、食べ物の趣向、服用薬、何を買ったかなどが個人情報として露呈することを多くのひとが知らない。もしくは知っても諦めたり、気にしない可能性もある。

管理が高度に進んでいる。それは「異なる視点」を排除することでもある。想像をはるかに越えたハイテクにより、一つの価値観を強要する社会が出現する。異論を排除した政治の暴走が現実となっているが、それでも異論の主張にしか暴走の歯止めも未来もないだろう。多様性を失った社会という生態系は、それがどんなに高度に管理されても持続不能であることを既に20世紀に学んだはずだ。様々な文化、人種を受け入れ、表現の自由が完全とは言えないにしても、少なくとも日本よりは寛容な仏でさえ暴動が起きている。90年代以降の民主主義空洞化やポピュリズムを指摘する声もある。今回の暴動を1968年の「5月革命」になぞらえる見方もあるが、500万人の移民を受け入れた国のエスプリが試練を受けているのは事実だ。もちろんグローバリゼーションも避けては通れない。世界は軍事(ナイフ)と経済(フォーク)でシャッフルされている。一握りの支配層と圧倒的な貧困を生み出しながら。

ともあれ、仏よりはるかに深刻な民主的危機を抱えながらも暴動さえ起きない日本で、世界のさまざまな民主主義実現のための行動と言説にはよりいっそうの関心を持たざるをえない。いつか鳥のように国境という概念が消滅して世界大の自由が実現することを夢想しながら(その前にH51だったりしたら恐怖だが)。世界のクレオール化を提唱するE・グリッサンの言葉に「アイデンティティは他者との交流で変わるということに慣れなければならない」とある。開放系にこそ未来が待っているというのに、なんと日本は逆噴射ではないか!安心、安全はまず個人にこそ確立されるべきであり、その上で監視の対象が国家や政治にむけられるのが民主主義ではないか。

20051117高木

耐震強度偽造列島

 

視覚障害者(全盲者)が、3倍速(もしくはそれ以上)のスピードで再生する録音テープの認識が可能であることが実験により確認された。一つの感覚の欠落を他の感覚で補完しようとする機能と考えられている。実験で健常者はまったく認識不能だったが、女性被験者は「これがわからないということがわからない」と笑っていた。剥き出しの脳と言える「目」に入る視覚情報を選択的に大量に浴び続ける私たちは、許容をはるかに超えた情報を整理、認識する機能が追いつかず、さながら情報中毒患者のごとく意味不明なままひたすら受け入れるばかりだ。ここにおいて健常者とは不感症と不能(税金と新鮮な臓器の資源でもあるが)の言い換えにすぎないことになる。せいぜい、漠然とした望みが「勝ち組」になる程度の。たとえば書店を覗けば多くの人の欲望が何であるか納得させられるだろう。「大人の○○」「頭のいい人の○○」何だ、こりゃ?つまり子供並みの頭の悪い現実をどう克服するかというハウツーものではないか。総じてこの国の危機を迂回するものばかりだ。

平和憲法下の派兵、30,000人以上の自殺者、大量の失業者、借金してでも黒字にしないと銀行が見放す現実を「景気回復」などと報じるマスコミ、増税、福祉切り捨てなどの暴政を、被害者であり、当事者であるはずの国民が圧倒的に支持してしまう国。時折、手放しで喜ぶのはアザラシ○○ちゃんが見えた,見えないの世界ではやっぱり難しいことは考えられないのかもしれない。ましてや、野宿者を追い出してアザラシに住民票交付など本末転倒だ。公園の野宿者を蹴り殺した少年(当時)は「人間の一生を終わらせてやるのは気持ちいい」と話していたという。全体の感性と個々の感性がなんと見事に相関することか。

10万人以上の罪のないイラク人を虐殺したイラク侵略において日本が加害者である事実を再確認したい。

「痺れを切らした米高官が『陸自はいやいやながら(reluctant)なんだな』と言った。その言葉を(陸自)高級幹部は忘れられない。臆病者と言われているように聞こえたのだ」(051117毎日)その結果、米軍と距離感を置く戦術として、南部サマワ派兵に決定したという。同じイラクの米英軍との違いについて防衛庁幹部は、他国軍は治安維持、こちらは人道復興支援と強調するが、10回以上の自衛隊への攻撃は自衛隊と米英軍を同一視することは言うまでもない。日本政府の肝煎で建てられた友好のシンボルがはやばやと爆破されたのを思い出そう。

熊本日日新聞(1022日)は、「サマワ自衛隊に自爆攻撃」という見出しで、シーア派、サドル師派代表ムハンナド・ガラウイ師が21日金曜礼拝で「友好と称してイラク人と関係を持とうとする日本人には、私自身が自爆攻撃する」と強い口調で語ったと報じた。

繰り返すが、「人道復興支援」は、日本国内の、国際情勢に無知無関心な人々に向けたレトリックにすぎない。それはどんなに強調しても国内でしか通用しないものだ。

イラク侵略戦争は、その収束を待たずして国際法的に戦争犯罪として扱われてゆくだろう。でっち上げによる侵略でありジェノサイドであったことを認めようとしないのはすでに米英の一部と日本の反戦勢力以外の(意外にも多くの)人々だけだろう。つまり、イラクで現実に何が起きているか知らない人々だ。たとえばファルージャ大虐殺のような惨事を。

1000万人以上の反戦行動とそれを支持した人々を押し切って強行した嘘っぱちがこれから暴かれてゆく。イラクの泥沼に加え、ハリケーン、カトリーナの死者がまだ増え続け6,000人以上と言われはじめた。堤防の構造が根本的に欠陥で土台の土砂が流出してまるごと崩壊したという。「防災」なんかより「対テロ戦争」を重視した政策は、結局テロよりも多くの国民を犠牲にした。ブッシュ政権の支持率は37%で過去最低だ。おまけにイラク戦争における情報操作が暴露された。CIA工作員身元漏洩事件は、チェイニー副大統領など政権中枢を巻き込み、さらに追求が続く。共和党内部からもイラク撤退論が出始めた。そして「ベトナム従軍歴を持ち、民主党員ながらイラク戦争を支持してきたJ・マーサ下院議員が17日、記者会見で涙乍らに『イラクでの米軍の任務は終った。我々の存在が暴力を呼び起こしている』と呼びかけた姿が社会に大きな波紋を呼び起こしている」(051119毎日)

環境問題など知ったことか、と京都議定書を無視した最大の環境破壊大国が、巨大化したハリケーンの直撃にうろたえ、最大の目標に掲げた「テロとの戦い」によって9.11以降確実にテロが増えるという正反対の効果を達成する皮肉だ。裏目がさらに連鎖する。1124日朝日新聞によれば、英デイリーミラー紙が、20044月米英首脳会談でブッシュが「アルジャジーラ本部を攻撃する」と言い、ブレアが制止したという極秘メモの存在をスクープした。

 落ち目のブッシュ政権が、それでもちぎれんばかりに尻尾振ってやまない小泉政権を重視するのは当然だ。なにしろ世界の嫌われものとアジアの嫌われもののコンビだ。そして日本は米国以上に異論反論を排除する全体主義社会。なにしろ論理より情緒が優先するからきわめてコントロールしやすい。中身より「うわべ」が極端に大切な社会でもある。典型的な例が耐震強度偽造マンションだ。公的基準が民間に移譲され安全よりも利益優先の市場原理が暴走しただけの話。綺麗に見えるマンションに何十年ものローンを組んで入居したお父さんが「子供がこの家壊れちゃうんだね、と言うんです」とTVカメラの前で泣いて訴える。深刻な話にちがいないが、、実はこの国はそんな原理で動いてきたわけだ。談合は日本の文化、とまで外国人に揶揄される始末。欠陥建築も、今回暴露されたものは氷山の一角にすぎないはずだ。そもそも「悪いものだけを世界に」という悪徳業者が「良いものだけを世界から」と謳う高級車ばかり乗っている現実がある。20年も前に指摘された原発立地のためのボーリング・コア改ざん、建造物の安全性、なによりも原発という発想の安全性(危険性)などに思考停止してきたのが日本人だったではないか。「この国だめんなっちゃうんだねえ」とみんなで泣くべきだろう。地震のたびにモラトリアムに甘えてきたわけだ。インフラやハードの欠陥ばかりではない。平和憲法下の派兵に無自覚すぎる。イラク駐留米軍によって9月以降だけで700人も殺され、1,500人が拘束され、おそらく拷問されている。そのうち一人でもいいからNHKハイビジョンで殺害の一部始終を中継すべきだ。なにしろイラクのことなど考えたこともない多くの日本人によってそれが支持されているのだから。そして忘れてならないのは、殺害されたイラク人の家族を訪問直撃インタビューすることだ。軽薄を教養と勘違いしている日本のアナウンサーが「今、どんな御気持ちですか?」とやればいい。もちろん命の保障などあるものか。

 ところで鳥インフルエンザが喧しい。ほとんど唯一の特効薬のように言われるタミフルの政府による備蓄奨励がすすむが、タミフルを開発しライセンスを持つ米ギリアド・サイエンシズ社(現在、製造はスイス、ロシュ社)の元会長で大株主のラムズフェルドは、タミフルで大儲けしたという。きっとおもわず口をすべらしたにちがいない。「オー、ワンダフル、タミフル、カネガフル」

 危機を煽ってパニックを利用してまんまと儲けるネオコンの手法はあらゆる富みの独占を目指す。だが、強引な手法がいつまでも続く保障はない。落ち目のブッシュ政権の矛先が日本に向けられたと指摘したが、「米軍再編」はその重要な展開のひとつだ。米国内でのイラク駐留米軍削減案の浮上が日本政府に対する「金」と「兵」の要求にリンクすることは言うまでもない。「自衛隊は、イラク南部の寒村でボーイスカウトのような活動をしているだけだ」と厳しい口調でラムズフェルドが恫喝するが、韓国のように反戦行動がさかんな地域と違い、日本は異議申立てや抗議が少ないという傲慢な見方となんでも言うことを聞くポチ政権を叱咤激励しながら内心(おまえらだけがたよりだ)という案外、せっぱつまった意味を読む必要があるだろう。

20051125高木