知られざる核拡散

 

「モロー博士の島」や「ジュラシックパーク」は、孤島で展開する物語であり、隔絶された世界が、極端で非現実的な設定を可能にしている。P1P4実験施設のように閉鎖系は、実験からノイズを排除する上で欠かせない。特定の要素の相互作用や変化から可能なかぎり純粋な答えを導く上で必要な条件であり、何よりも観察者(実験者)や外部環境の保全のためだ。しかしマイケル・クライトンは、閉鎖系という発想の破綻、つまり隔絶された空間の非現実性を考慮することで、人工の限界と複雑性の優位を描いた。人間の発想には、いつも陥穽が潜んでいることを。

太平洋戦争敗戦後の日本列島は、占領国による実験室だったと表現できる。太平洋上の約38万平方kmの島に12000万人が生活している。これを利用して政治、経済、医学、心理学などあらゆるジャンルの長期実験が行われている。初期は、実験者と被実験者が明確に別れていたが、時が経つとその境界が曖昧になった。複雑に絡み合い相互依存する状態で、主従の区別がつけがたい場面さえ出てきた。同時に、いつのまにか実験が行われていることさえ忘れられてゆく。しかしその事自体が実験なのだ。もっともわかり易いのが、放射線被曝だろう。為政者の好む「世界で唯一の被爆国」という言いまわしは、広島、長崎以外の被曝者を否定する虚妄だ。表向きには、2都市が原爆による攻撃の最初で最後のものとされるが、それ以外の膨大な被曝者の存在を世界は知らないままだ。被曝者を生み出す必然性を持つ文明の隠された側面でもある。

毎日新聞(06.8.2)によれば、2001年に沖縄米空軍嘉手納基地に91年湾岸戦争で米軍が使用した劣化ウラン弾(DU)の約半分の量(40万発)が保管されていたことがわかった。他にもDEPLETED URANIUM(劣化ウラン弾)の被害がさまざまな場所で明らかになってきた。湾岸戦争、旧ユーゴ・ボスニア、コソボ、アフガニスタンそしてイラクの被曝者が世界に知られていないことは、現在も使われるDUが核兵器であることが理解されていないことに起因する。劣化ウランは、核兵器製造工程や原発核燃料製造工程で生じる放射性廃棄物から作られる。天然ウラン(235.238.234)のうち核分裂するのはU−235のみで、235を集める濃縮の際に副産物として劣化ウランが生まれる。つまり核のゴミの兵器利用だ。ウランは自然界でもっとも重い金属で鉛の1.7倍。重くて硬い劣化ウラン弾は戦車の装甲をも貫く。非常に燃えやすく、戦車を貫通すると同時にエアロゾルとなって燃焼して戦車内の砲弾が誘爆することになる。この際、微粒子となった劣化ウランが飛散し、天然ウランの60%程度の放射線が45億年のあいだ発せられることになる。微粉末は1ナノメートル(100万分の1ミリ)から5マイクロメートル(1000分の5ミリ)であり、人間に容易に吸引される。DUは核分裂を起こさないため身体の外から被曝するリスクは低く、劣化ウランのアルファ線は身体の外なら皮膚で止まる程度の範囲(40マイクロメートル)しか届かないが、体内にある場合、ごく狭い範囲に集中するため、遺伝子や染色体を損傷し、内部被曝として癌や先天性障害をもたらす。微粒子となったDUは空気、地上、地中を汚染、呼吸、水、食物を通じて人体に入る。理論的には、たった1粒のDU粒子が体内に入っただけでも、癌や先天性障害を発症する。しかしその1粒を検知するのは科学的に不可能で立証出来ない。まさにその立証困難さこそがDUの使用を継続させているわけだ。そんなDUを米軍は、湾岸戦争400トン、アフガニスタン1000トン、イラク戦争2000トンも使用し、NATO軍も旧ユーゴで10トン使用した。劣化ウランの影響は10年後くらいから目立つようになるという。核兵器の特徴は、戦後も人を殺し続けるということだ。戦争が突然無辜の人々を襲い、肉親や友人を奪い、生活を破壊し無一物にして絶望だけを残してゆく。時が経ちやっと生きようとするその頃、ふたたび見えない恐怖が身体を襲う。本人ばかりか唯一の希望として産まれてきた子供さえも....。(「ヒバクシャになったイラク帰還兵」佐藤真紀編著大月書店2006)や(「真実を聞いてくれ」デニス・カイン著 日本評論社2006)などが相次いで出版された。DU被害暴露の勢いを増す好資料となるだろう。もちろんサマワの放射能汚染に言及しているからだけではない。

放射能に関する情報は、虚偽、歪曲、隠蔽により、職業として放射線に関わる人々でさえ正確に把握することが困難だ。(「内部被曝の脅威」肥田、鎌仲 ちくま新書2005)の出版はそれゆえ衝撃的だった。しかしその歪曲した知識や情報、無知こそが世界一の地震多発地帯である日本列島に55基もの原発を稼動させ、被曝者の公式認定を渋り、原爆被害の長期人体実験を可能にし、あろうことか被爆国の軍隊が核兵器DUを使用する戦争に参加する事態に至っている。

84日、NHKスペシャル「劣化ウラン弾」が放映された。米国で10年前から帰還兵によるDU被害の訴えで議論が始まっている。DUが自国兵士に明白な被害として表面化し、米国が政治的にDU使用の限界を察知しはじめたことがNHKの企画を可能にしたとも読める。戦闘勝利が最優先の米国にとってDU弾は、悪いと知りつつ止められない麻薬やギャンブルのようなものだ。手段を選ばぬ戦闘勝利が要求するモラトリウムはすでにDU被害にまともに対応すれば米国の破滅を招くほど深く大きい。この異常を招いた米国民主主義がどのようなものか自明だ。さまざまな質問を否定してきた米軍だが、軍関係者(元少佐)が、米軍の行なったDUの実験データのままではDU使用が政治的に不可能になるので無視したことをビデオ作製して告発している。また、イラク帰還兵にも損害賠償を求める兵士が出始めている。国連もDU被害について非人道的と結論している。NHKらしくソツがなくまとめられたドキュメンタリーだが、物足りない。「米軍再編」下における日本国営放送が米軍を否定するのは不可能としても、日本人が知るべきことは「品の良いドキュメンタリー」でなく、NHKアーカイブスの質を高めることでもない。「被曝の実態を隠したまま使われているDUが具体的にどれほどおぞましい被害を生むか」に尽きる。茶の間で教養を高める類いの話ではないのだ。世界で最も放射能について語る資格を持ちながらその義務を果していない日本人は、現在も使われているDUの真実を明らかにし、被害に苦しむ人々を国策として治療、救済すべきではないか。60年以上、空文化し続けてきた「平和」を抽象の領域から奪還して具体的に実現しなければならない。はっきり言おう。セレモニーは不要なのだ。最近の調査で広島の小、中学生の半数が原爆投下を知らないという。「唯一の被爆国」が聞いて呆れる。いかに平和教育が嘘っぱちであったか判るというものだ。原爆投下の最悪の被曝実験から始まり、さまざまな被曝、化学物質汚染、アスベスト被害等の長期生体実験により膨大なデータの蓄積が可能になった。なによりも民主主義幻想による反民主的閉鎖社会の実験が実を結びつつある。すなわち原爆投下で少なくとも一度は戦争を絶対悪とみなした人々が、いかにしてふたたび参戦したり、核武装容認にいたるか、そして戦争による平和が可能と考えるに至るか、だ。別の視点なら、この国の「人権」を考えればいい。

815日前後、メディアは小泉靖国参拝に集約した。だが、着実に進む武力攻撃事態法、国民保護法という戦争協力法についての言及は皆無だ。米軍と一体化の上侵略を容認する沈黙の同意が愚民化政策の仕上げとして進行する。日の丸を振れば振るほど星条旗の重みが増してゆく。これはどう考えてもナショナリズムの風景ではない。ひょっとして被曝の影響か?それともBSE?ともあれ敗戦後の日本列島という実験は、貴重なデータを蓄積し続けている。しかし見えない放射能をこの地域に閉じ込めるのは失敗した。反生命と言えるその被害は惑星規模で拡散しつつある。45億年という時間は人類のコントロールをはるかに超える。セレモニーが隠蔽してきた被曝の実態を世界が共有することなしに被害者の人権は回復することはないだろう。2006.8.18高木

松代大本営地下壕

 

敗戦から61年目の夏、ある衝撃が世界中に走った。もっとも、興味の無い人にとっては「だから何だ?」程度のニュースだが。小説「ブリキの太鼓」などで有名な戦後ドイツの代表的作家で、ノーベル文学賞受賞作家ギュンター・グラス(78)がドイツのSS(親衛隊)に所属していた過去を明らかにした。ナチスの責任と、ナチスに協力した小市民を描き、一貫して左派の反戦文学者として生きて来た人物が、である。信濃毎日新聞(06.8.13)によれば「当時は恥とは思わなかったが、後に重荷になった。書かなければならない時が来た」と語り、9月に出版する自伝で経歴を書いたという。おそらくノーベル賞返還要求も出てくるにちがいない。左派反戦文学者として評価していた人々から「裏切り」として、批判の矢面に立たされることは間違いない。しかし善人の仮面をかぶる悪人というのは単純すぎる見方だ。人間の価値とは、人間であることそのものにあり、そこには善や悪ばかりでなく、あらゆる可能性が潜む。ことわっておくが、G・グラスを擁護するつもりはない。むしろ今回の自白で、「人間という魑魅魍魎」が露になったことにより、表現の可能性や自由度が再確認できた気がする。その上で「ブリキの太鼓」は今回のニュースを聞いた後もすばらしい作品として認めるだけだ。人間の評価は流動的だが、G・グラスが「ブリキの太鼓」の作者であることは不変だ。もし敗戦当時にSSであることが判明して処刑されていたら、世界の人々は「ブリキの太鼓」を知らないまま、ということだ。G・グラスの内面において片時も離れることが無かったであろう戦争の記憶への思惟や葛藤の深さは、皮肉にもSSだった過去が要求するものであり、戦争に向き合うこと無く無自覚に進行する戦時体制構築期における日本人の精神の軽さとは対極であるはずだ。815日加藤紘一自民党元幹事長の実家および事務所が放火され全焼した。割腹自殺をはかり重傷を負って現場にいた男は右翼構成員であり、政治テロだった可能性が高まっている。820日毎日新聞によれば、「小泉純一郎首相は16日から24日まで首相公邸で、安倍氏は16日から20日まで山梨県の別荘でそれぞれ夏休みを過ごしており、事件について一切論評していない」。間違っても「よくやった」なんて言えないだろうが、首相の靖国参拝を批判する自民党元幹事長が狙われた政治テロに議論も批判も起こらない国とは、一体何だろう?気がつくと、深まる危機を認識出来ない風景が拡がっている。「はとバスで行く自衛隊基地見学ツアー」が民間(はとバス)により企画された。「陸自朝霞駐屯地内を初めてはとバスが走行。ほぼ満席。/東部方面隊関係者は、これまで旅行会社に広報センターをツアーコースにこちらから頼んでも、そんな所には行けないと断られてきたんですけどね。/25才の女性は、迷彩服を借りて記念写真を撮っちゃいました、と屈託ない。/自衛隊の仕事は国防だということを本当にわかっているのか疑問(作家・浅田次郎)」(2006.7.25毎日)

男女や年令を問わず、カモフラージュ・パターンのパンツやTシャツをよく見るようになった。衣料品メーカーが仕掛けるのだろうが、選ぶ側が、戦闘服の迷彩模様であることがわかっているとは思えない。進行中とされる「対テロ・ゲリラ・コマンドウ」の制服で、最も「血染め」の可能性に近い軍用品だ。世界で話題になった「ベネトン」の血染めの戦闘服のポスターを理解した日本人は少ないにちがいない。世界各地で地雷により手足を切断する子供たちやイラクでは戦闘で負傷する子供たちが連日絶えないが、日本では話題にもならず、シュレッダーで日本人の子供が指9本切断すると日本の世論は大騒ぎだ。口を揃えて「痛ましい」「取り返しがつかない」などとヒューマニストが続出する。それなら北朝鮮の子供の指だったらどうだろう?歴史についての認識を欠いたままなぜかここ数年、戦争映画(邦画)が多い。戦争を正確に把握することなく「かわいい」「かっこいい」「イケてる」程度の反応で日常に取り込んでゆく社会。さまざまなストレスを抱えることで、ひたすら動物的に「爆発」や「殺人」に共鳴してゆく社会は、今のところ「死体を知らない」ままだ。もちろん「腐臭」も。だからこそ身勝手な幻想にひたっていられるわけだが。

戦争経験者の減少と新しい戦争の実現という反比例は、既知と未知の対応であり必然的に想像力を要求する。見えないものを見出す能力だ。それは実際の戦争の跡に触れることで充電される。というわけで今年の夏は、無理(経済的に)をして長野市に向かった。松代大本営工事跡を見るためだ。松代象山地下壕は、太平洋戦争末期、軍部が本土決戦最後の拠点として大本営、政府各省等を松代に移す計画で着工(昭和191111日)、翌20815日まで9ヵ月間、述べ300万人の住民および、朝鮮人が強制動員され、13交替徹夜で工事が進められ、苛酷な作業で多くの犠牲者を出した。松代地下壕は舞鶴山、皆神山、象山の3ヵ所に碁盤の目のように岩盤を掘り抜き、延長10km余。75%の工事で終戦となり中止された。

現在では、日本列島は世界有数の地震多発域であることが常識だが、戦争当時、多くの日本人にそのような知識が共有されていたとは思えない。ましてや「軍事」が「科学」の上位にある時代だ。長野市や松代のある長野盆地は、ほとんどが第四紀層という新しい地質だ。盆地の西側は隆起し、東側は沈降している。その昔、フォッサマグナの海であったり、陸となって大平原になったり、断層によって陥没するなど大きな変動ののち現在の地形になった。隆起と沈降によるひずみは地震によって解消される。江戸時代後期の善光寺地震(逆断層による)、1965年からの松代群発地震が有名だ。前者では死者12000人、23mの断層は今も残る。

松代群発地震は、17ヵ月も続いた。皆神山地下壕のある皆神山と象山地下壕のある象山の間は、この地震で21cmも縮んだ。皆神山とその北3kmにある可候峠の間は1年間で116cmも伸びた。皆神山北端は多くの地割れが走っている。松代地震は最大震度5だが、6万回もゆれつづけ民家がおしつぶされたり広域の被害が出た。(資料:『信州・大地のおいたち』長野県地学教育研究会編著 信教出版部 1989

当時の軍部が、切羽詰まって固い岩盤なら安全と素人考えを実行してしまうに至ったとしても、この国は不動の大地など持たない。たとえ壕が完成しても、せいぜい集団自決が待っているだけだ。つまり、日本列島は要塞に不向きで、地下壕という発想は笑止千万ということだ。荒唐無稽な軍国主義が閉鎖社会で純粋培養されたあげく洞窟に閉じこもって最後を迎えるなど、北朝鮮と大して変りないではないか。象山地下壕に入って行くと30℃以上の外気温の約半分しかない。内部と外部の空気が混じり合うあたりに冷却により霧が発生して遠くの照明がボンヤリしている。暗順応するまで湿った足許がおぼつかない。年間を通して一定の温度は地下壕について真剣に思考するには最適だ。歴史の記憶が冷気となって全身を包み込もうとまとわりつく。時折闇を裂くキクガシラコウモリは、未だ歴史に向き合おうとしない日本と、誤認や歪曲で逆に存在感を増す過去を自由に往来するトリックスターだ。フィクションとノンフィクションの相関を彼らは知っている。歩いて進めるこの空間が労働者の辛苦によって穿たれたことを考えずにいられない。この暗い空間の1mの距離がいったい何人の命を飲み込んだだろう。目が慣れてくると進行方向と直角に規則正しい間隔で横穴が掘られているのがわかる。図面では20本の縦方向に対して6本の横方向の壕が碁盤の目のように交差している。気が遠くなる規模だ。戦争の狂気は、このような常軌を逸した光景を幻出させた。総延長6kmに及ぶ地下壕のうち見学可能なのは500m。その最深部にはまだ先に続く地下壕に鉄柵がほどこされて闇を封じている。彼方に息づくであろう怨念と、現在を生きる私たちを断絶するその鉄柵には「この場所で集会等を禁止します。祈願の千羽鶴などを飾らないで下さい」となにやら政教分離を思わせる注意書きが掲げられているが、それを公然と無視するように、いくつもの千羽鶴がかかっていた。歴史の現場を都合良く解釈する意志を感じたのは私だけだろうか。戦争の歴史がナショナリズムを超えて日本人に共有されないかぎり、戦争跡が、悔恨や反省の場よりも、ひたすら慰霊の空間であり続けるにちがいない。それが新たな戦争と親和するのは必至だ。松代大本営地下壕をはじめ各地の戦争跡の研究は終わっていない。松代地下壕に関しても、その苛酷な労働のために「慰安所」が設けられ、朝鮮人女性が働かされていたそうだが全容の解明に至っていない。歴史に正面から向き合う事無く、再び戦争への道を歩み始めた国で、憲法改正を掲げる次期首相候補2世議員が圧倒的な支持を得ている。地下壕を出ると一気に襲いかかる30℃以上の熱波に眩暈がしそうだ。暗い空間に慣れた目がまぶしい風景に翻弄される。喧燥が,戻った。

安倍晋三次期首相の臨時ニュースが日本列島を大混乱に陥れる。「実は、私はかって左翼闘争に参加していました」なあんてわけないか。どうやら暑さが呼び水になった白昼夢みたいだ。それにしても、夏は人間の狂気を実現させる季節のように思えてならない。                     2006.8.18高木