1999年6月 すすむ訓練強化と

民間動員・米軍東富士実弾演習

富士を撃つな! 東富士6月行動東富士で米軍104移転訓練

 99年6月14日から23日にかけて米海兵隊の沖縄県道104号線越え実弾訓練の移転訓練が東富士でおこなわれた。沖縄から米海兵隊140人が移駐し、155ミリりゅう弾砲4門が使われ、市民団体の調査によれば589発が撃たれた(うち夜間は57発)。最初の4日間は12時間をこえる訓練であった。98年2月の東富士での移転訓練では571発(うち夜間190発)が撃たれている。

 東富士では1980年代からガイドラインによる日米共同訓練がおこなわれてきた。90年代に入ると米軍の実弾訓練の量が増え、1994年には沖縄での射撃数の倍にあたる6800発が撃たれるようになっていた。自衛隊の訓練では年間約1万発が撃たれているから、東富士では年に日米で計1万5千発以上の実弾射撃がおこなわれていることになる。これらの訓練は新ガイドラインのもとでアジアの民衆を撃つことにつながる訓練である。

すすむ米軍実弾訓練強化と民間動員

 この本土分散移転によって米軍が兵士武器輸送や医療協力要請などによって民間を動員し、自治体の管理する空港や港湾を使用するケースがみられるようになった。また移転による年間実弾射撃数は4000発をこえ、射程距離は延長され、夜間訓練も新たに導入され、自衛隊員が処理・警備に動員されている。新ガイドラインのもとで、訓練は質量ともに強化され、自衛隊・自治体・民間が動員され、米軍による日本列島の訓練基地化がすすんできている。

 富士での移転訓練における民間動員をみてみれば、全日空機・富士急バスの使用(977.北富士)、国際興業バス・日通トラック・トレーラー・民間船ひだかの使用(982.東富士)、富士急バス・日通トラック・トレーラー・ひだかの使用(984.北富士)、羽田空港利用・日通トラック・東部観光バスの使用などがある(996.東富士)。防衛施設庁が日通と一括契約して輸送させている。揚陸は横浜港でおこない、東名高速を使って富士へ運ばれている。民間輸送船には日米地位協定第5条が適用され、米軍船扱いで入港がおこなわれている。自治体の港湾管理権を奪う形での入港なのである。

 98年1月、日航機(関西行)に米軍2人が貨物付添人の形で搭乗し弾薬小火器4箱を運ぼうとして、機長に拒否された事件は東富士での第1回の訓練の1ヶ月前のことだった。それは米軍が日航機を使って武器弾薬を運んでいくための調査訓練であったとみるべきだろう。今回の東富士での訓練では、先発隊20人が私服で民間定期便を使って羽田空港に降りて移動した(残りの120人は横田を使用)。周辺事態を想定しての羽田空港の使用がおこなわれたといえるだろう。東富士での訓練日については米軍が移動する日から約2週間前の5月25日になってやっと明らかにされた。

富士を撃つな!

 富士が沖縄からの訓練移転候補となるなか、東富士では市民レベルの反対運動が旧来の地権者農民の動きをこえて形成されてきた。市民が生活・環境・平和的生存権の視点から声をあげていった(その経過については、月刊『むすぶ』98年2月号、No.326、ロシナンテ社)。

 今回の米軍の東富士での実弾訓練に対しても県内の市民団体の抗議行動がとりくまれた。以下順にみていけば、6・4「米軍は東富士に来るな出ていけ県民の会」の県への申し入れ、6・6同会のデモ、「米海兵隊の東富士移転に反対する御殿場市民の会」等による集会(120人)、6・10米海兵隊到着抗議行動(県民の会等20人)、「平和のための市民行動」による県への申し入れ、6・13民主リベラル県労組会議社民党県本部等による県民集会とデモ(750人)、6・14県民の会・市民の会による監視活動の開始、6・14市民団体デモ、6・15「平和のための市民行動」によるキャンプ富士への申し入れ、静岡市内での反対集会(40人)、6・16日本山妙法寺や不戦兵士の会会員による平和アピール、6・20静岡県労働組合共闘会議と市民行動による集会とデモ(100人)、キャンプ富士申入(30人)、などがある。

6・15、6・20行動報告

 この間、新ガイドラインに反対してきた静岡、浜松、三島の市民運動メンバーは6・15、6・20の平和市民行動に取り組んだ。6・15行動では県内のメンバーが韓国や山梨、東京、京都、のメンバーと共にキャンプ富士へと申し入れをおこなった。

 警察は集会場所の三島駅から監視し、御殿場市内各所で尾行した。キャンプ富士正門は、道路工事のため演習場内に移動していた。それを利用して警察は演習場入口で検問をおこない、車検証まで提示を求めた。全員が車から降りることになった。自衛隊はキャンプ富士正門前への立入り人数を制限、シュプレヒコールや横断幕の持ち込みまで規制した。自衛隊、施設庁、警察の監視と規制下、申し入れは6人ずつ2波にわかれておこなわれた。受け取りに出てきたキャンプ富士の渉外担当者(日本人)は自らを「従業員」と語り、職名を明らかにせず、申し入れ文の読み上げをも規制した。受け取った申し入れ文は憲兵隊にわたすという。2波めの申し入れに対してはゲートを閉ざし受け取りを拒否した。

 抗議団は正門前に再結集し「富士を撃つな! アジア侵略訓練の中止を!」と横断幕をかかげピースアピールをおこない、米軍が警察・施設庁・自衛隊を使って抗議をおしつぶしていくことへの怒りを示した。

 6・15の夜には李寿甲氏を招いて静岡市内で反対集会がもたれた。李氏は「米国と日本の韓半島戦争策動および経済侵略粉砕と祖国の自主平和統一のための非常対策委(準)」共同準備委員長として平和運動をすすめている。集会では日米の戦争策動に反対する意志が共有されていった。

 6・20には県労組共闘会議や市民行動のメンバーが呼び掛けての集会とデモが取り組まれた。集会では御殿場のメンバーが実弾訓練をめぐる動きと厳戒体制について述べ、北富士(忍草母の会)、東京(派兵チェック)、三島(国労)、浜松(NO! AWACS)、富士(新社会党)などから連帯のアピールをうけ、韓国から連帯メッセージが紹介された。決議文採択ののち市街をデモ。その後、約30人がキャンプ富士へと申し入れに向かった。規制と監視のなか10人の代表団が正門に向かったが、基地側は受け取りを拒否。これに対し申し入れ団全員で、富士を撃つな! 実弾訓練を中止しろ! 新ガイドライン反対! のコールをあげて抗議した。

 今回の行動には不十分な点が多い。それらを克服しながら県内での平和への取り組みを強め、新ガイドラインへの抵抗をすすめていくことがもとめられる。

 東、北富士あわせて約1万3500ヘクタールの本州最大の演習場に対し、富士を撃つな!軍事利用にNO! 平和利用を! の声をつよめよう。東京から富士まで約100キロ、県境を超えた平和の鎖をつくっていこう。