紹介
チェルノブイリ原発事故から20年
           講演とコンサートの集い

 2006年4月18日火曜18時 掛川市生涯学習センター
  1 現地報告
   科学技術文明への警告 ユーリーシチェルバク
   被災者の現状とその社会的問題
               ボロジミールティーヒー
  2 ミニコンサート  グレイスゴスペルクワイヤー
  3 18日15時から19日21時まで同会場で展示
 
                            主催実行委員会


ユーリーシチェルバクさん(右)                ティーヒーさんスライド


グレイスゴスペルクワイヤーの歌   子どもの絵・被曝の悲しみを語る

「チェルノブイリ原発事故20年・何が起きたのか何が続いているのか」                                      現地報告集会

 2006年4月18日、掛川市内で「チェルノブイリ原発事故20年・何が起きたのか何が続いているのか」現地報告集会が持たれ、650人が参加した。

 集会ではユーリ・シチェルバクさんとボロジミール・ティーヒーさんが現地の状況を講演した。二人ともウクライナで緑の運動を担ってきた経歴を持つ。

ユーリ・シチェルバクさんは『チェルノブイリからの証言』の著者であり、現在はウクライナの特別全権大使をつとめている。シチェルバクさんは次のように言った。チェルノブイリ四号機は軍事用のプルトニウム抽出のために作られたものだった。事故は想定を超えた未曾有のものだった。原因は運転員のミスではなく原子炉自体の欠陥だった。事故によって何百万人もの人々が生活を破壊された。事故は地域や国を丸ごと消滅させるモデルとなった。がんや白血病による死者は3万人から四万人にのぼる。甲状腺がんの発症率はウクライナで8から10倍、ベラルーシで20倍になった。免疫力が低下し現地ではチェルノブイリエイズと呼ばれている。IAEAの報告は過小評価である。放射能汚染の後遺症は長く続き、人々の希望を失わせる。市民社会は行政の決定に影響力を持つ必要がある。

ボロジミール・ティーヒーさんはウクライナの科学アカデミーサイバネテック研究所の研究者である。ティーヒーさんはチェルノブイリ被災者を取り巻く社会問題についてつぎのように発言した。ソ連全土から60万人が汚染対策のために動員された。『リクビダートル』と呼ばれている。ウクライナでは13万5000人が強制移住し、170万人以上が汚染地域にいた。リクビダートルや住民の健康が悪化し、被害者には政府が補償をしている。額は小額だが、ウクライナの総予算を圧迫し、国家はこの支出を担えなくなっている。被害者はリハビリの休暇を他所で過ごす。被害者の雇用・健康が社会的問題となっている。事故は多くの教訓を残した。被害者と汚染地域の社会的自立に向けての条件を作っていくことが課題である。

集会での発言は、軍事的プルトニウム利用が事故の根源であったこと、事故がソ連社会を崩壊させたことを示していた。この汚染は世界に及んだ。この事故は20世紀の歴史的事件だった。今も事故の影響は過小評価され、原子力推進がすすめられている。日本ではプルトニウムを抽出する再処理をし、それを燃やしていこうとしている。他方で朝鮮の核を批判するキャンペーンがこのプルトニウム計画を隠すようにおこなわれている。核は処理できない廃棄物を出し循環不能である。そのような核の放棄が全世界ですすめられるべきだろう。

翌日2人は掛川市に立ち寄り、浜岡原発に関連して、地質学者の指摘で軟弱地盤での原発立地の計画が中止された事例を示したという。この地震国には、54もの原発が住民の声を金と権力で抑えて建設されてきた。いつになったら目覚めるのだろう。

溶解したチェルノブイリ4号機の核燃料、事故処理に使われ棄てられた装甲車やヘリの群、変異を起こした動植物、リグビダートルの墓碑、北半球の汚染地図、これらのチェルノブイリオブジェから学び続けるしかない。   

                                                (竹内)