イラク反戦日記 1 
バグダッド大空爆


3月20日

 アメリカのイラク攻撃が始まった。現地時間では19日のこと、日本では昼前にこの報道があった。この日の朝の新聞にワシントン発共同の記事が出ていた。その内容は、米軍が日本のAWACSの朝鮮監視に向けての派遣を要請しているというものだった。
 20日の開戦を受け、政府防衛庁は日本(浜松)のAWACSを派遣していくことをきめた。この日浜松駅前で、30人ほどが集まってNO!WAR・NO!AWACS反戦アピールが取り組まれた。
この間のアメリカの戦争は「ブッシュ戦争」として歴史に記されるだろう。それは歴史的蛮行とされ、ブッシュは愚行の代名詞になる。

3月21日

 新聞記事を見るとアメリカの攻撃がフセインの暗殺を狙ったものであることがわかる。犯罪行為に対しては司法的処罰が必要なのだが、公然とバンカーバスターやトマホークといった殺戮爆弾を落としても、平気なのがアメリカだ。この行為自身が犯罪である。戦争が暗殺攻撃から始まったこと、そこにこの戦争の犯罪性がよく示されている。また、トマホークの第一撃が横須賀を母港とする巡洋艦カウペンズも加わったことも記しておかなければならない。
 野球をつづけることが戦意に関わると大リーグヤンキースの監督はいう.空爆が始まっても野球にアメリカン熱中だった。いつも勝つことばかり考えている。価値はほかにもあるのに、勝ちにあわせて仕組みを作り上げるのはナショナリストの特徴。
 20日の浜松での抗議行動が各紙に掲載されていた。特に中日新聞が大きく取り上げていた。浜松駅前に1945年の空爆で生き残ったプラタナスがある。この木は戦争と空爆の誤りを語り続ける史跡である。ここは、空爆によって死んでいった人々の一人一人の死に方、叫びを追想することができる場でもある。 
 浜松では3500人が米軍の無差別空爆で殺された。その空襲以前に、浜松から派兵された陸軍航空爆撃部隊によって、中国、シンガポール、マレー、インドネシア、フィリピンほか各地で、人々が殺されている。

3月22日

 3月22日に入り本格的な大空襲「バグダッド大空爆」が行われるようになった。大量の誘導弾が落とされた。いつ終わるかは未定だが、この大空爆は米軍の犯罪である。もともと空から爆弾を落とすこと自体が犯罪なのだ。あまりにも多くその犯罪がおこなわれてきたから、罪の意識がうすれているにすぎない。 
中日新聞の社説・コラム・記事とも「反戦デモ世界でうねり」という見出しに見られるように、反戦の立場がよく示されている。
 アメリカはイラクの対外資産の凍結から没収に進んだ。これは略奪だ。イラクでおさえたところは油井。映像では、イラク兵の投降、はがされるフセインの肖像画、振られる星条旗などが幾度となく示される。快進撃が伝えられ、人々を死がどのように襲っているのかについてはまったく示されない。強力なマインドコントロールだ。
 この戦争によってアメリカが失ったもの、それは信用だ。アメリカは国内外で背中にテロルを感じて生きることになる。

3月23日

 戦争の時代にはその時代の矛盾・問題点が集約されて示される。流される情報は数多いけれども何が問題なのかは忘れないようにしたい。大切なのは解釈することではなく体験としてみずからの問題として自覚することだろう。

 「自衛としての先制攻撃論」それは侵略・独善そのものである。軍産複合体の意思によるネオコングループの石油利権支配のための覇権主義。それを日本政府は支持した。イラク戦争は日本の周辺事態法の発動につながる。22日付の中日の社説は歌声を絶やさず、23日付は反戦で各国政府を突き上げることを求めていた。

 ブッシュの戦争はイスラムとの戦争になりかねないことが報道されているが、今回の戦争は、1945年以後の国際秩序の崩壊のみならず、人間、人間の正義、その尊厳に対する国家の攻撃であるともいえるだろう。世界的な反戦のうねりは、この人間性への攻撃への類的な抵抗運動といえるだろう。マレーシア政府マハティールの発言がさえている。今回の戦争は「歴史の暗黒」だといいきる。ブッシュ政権ネオコンのユニラテリズムが人間存在の関係性を、暗黒に突き落とすことをこの表現はとらえている。
 イラクへの戦争は「イラクの自由」、大空爆は「衝撃と恐怖」作戦だという。ゴルバチョフが「ミサイルや爆弾で民主主義は植えつけれない」「武器では勝っているが、道徳的に負けている」といっていた。そのとおりだ。戦費は12兆円だという。アメリカ企業のビッグビジネスだ。
この日、浜松市で120人のデモ。3月14日のデモは60人だったから倍増した。浜松在住の外国人も多かった。反戦の国際的なうねりを感じる。少し前スペインからの連帯メールも入った。

3月24日

 石破防衛庁長官、北朝鮮への先制攻撃を語る。小泉・石破ら、日本のネオコンは戦争がおきて悲しむどころか、はしゃいでいるかのようだ。AWACS・イージス艦・P3Cそして軍事衛星と防衛の名による軍事挑発はすでに始まっている。
 イラクでの戦争をとめること、朝鮮で戦争を起こさせないこと、日本からの派兵をとめることはリンクせざるを得ない。アジア民衆の死を防ぐのみならず、派兵される兵士の、人間性の回復のためにも。

3月25日

 アラブの民衆は言う「アメリカの爆撃はアラブの未来への爆撃だ」。韓国の民衆は言う「イラクの戦争を止めることは朝鮮での戦争をとめること、われわれの生存の課題だ」。韓国民衆の力はこの日、国会での派兵案の採決を見送らせた。
 アカデミー賞の式では「ブッシュよ!恥を知れ」との声がとんだ。アメリカの戦争映画そのものの画像がTVで流れる。アメリカ映画の結末は悪党が身体もろとも抹殺されるというものが多い。しかし今回の戦争で抹殺される民衆の「恨」は幾世代にもうけつがれるだろう。
 アラブの歴史を見ればそのような「恨」にみちている。バグダッドはかつてイギリスが占領していた。しかしアラブ人の万余の死体が重ねられる中で、イギリスは追い出された。祖父や曽祖父の血と涙はその大地の記憶としてある。それは消えることなく鼓動のように同伴している。

3月26日

 イラクの人間がごみのように死んでいく。死者の報道にイラク市民の死者の数が見えない。数千発のミサイルが打ち込まれたという。ミサイルの下には必ず人がいる。ミサイルによって飛び散り、数にさえ入れられない人間も多いだろう。TV画面には米英軍の死者数のみが示される。幾度となくイラク兵の捕虜が写されている。米兵の捕虜がイラク側に写されたらアメリカはそれを「戦争犯罪」と叫んでいる。
 戦争は殲滅の思想。その人間の肉体的存在を許さない。野蛮そのものだ。その上に民主主義は立ち得ない。殲滅という野蛮の克服の上にしか民主はない。反戦と戦争とが相克している。戦争ではなく反戦が正義となる時代が必要だ。
 オンエアーの戦争という。しかし肝心のところは見えていない。権力の情報を流すものが多い。殺された側からの表現はほとんどない
 交通事故の啓発映画には死体や血だらけのけが人がたくさん出てくる。それを見ると事故はいやだと人は思う。戦争報道ではもっと死体とけが人を映すといい。オンエアーの価値はそこにある。死体を写さないことを条件とした「従軍」報道などしないほうがいい。「従軍」という言葉にジャーナリスト精神の死を見るべきだ。大会社の記者は従軍してミサイルの側、フリーの記者はミサイルを撃たれる側にいる。
 日本ジャーナリストクラブの、平和のためにペンとカメラを、このことばはいい表現だ。
 1歳の子を持つ母親が、最近は子供に振り回されているとしながら「この子を戦争にとられてしまうような気がする。だから戦争に反対」と語っていた。ブッシュや小泉に戦死してから「英雄」といわれたくはないだろう。最近の君が代強制や愛国心の強要は、戦争に「積極的服従」する人間作りだ。

3月28日
 
 アメリカはゲリラの民兵を「戦争犯罪として処罰」といっている。米兵の年収は186万円、戦争手当ては月150ドルという。一人2万円弱だが、これが20万人派兵すれば巨額だ。ブッシュはイラクの解放のための戦争と盛んに言っている。死を懸けさせた兵士にたいする手当てはこんなものだ。
 「人道支援」という物資がおくられはじめた。人道は戦争の停止にある。この日防衛官僚はトマホークの導入まで口走っている。

3月29日  
 
 文明の発祥地のひとつ、チグリス・ユーフラテスの大地を爆撃すること、劣化ウラン弾など将来にわたって汚染をつづける兵器の使用、バグダッドへの大空爆、自国の兵士の死のみをカウントする志向、自国の戦争を賛美するジャーナリズム、新型殺人兵器を開発して微笑みを浮かべる男、戦争をつづけて人道支援を語る軍隊、憎悪と殺意、軍事の勝利と倫理の敗北、・・・こんな風景を見せつけられる日々が続く.美しい映像がながされるたびに、隠された真実を想像せざるをえない。この日までに675発のトマホークが発射されたという。

3月30日

 「反戦デビュー」という言葉がある。反戦運動が一つのファッションになることはいいことだ。名古屋の街をピースデモがいく。先頭には飛び入りで参加したバンドの鶏冠頭の男が踊っている。デモにさまざまな人たちが入ってくる。行く人々と、デモの人々に違和感がない。手作りのさまざまな表現が一つの流れをつくっている。クラクションを鳴らしてデモに割り込んで車で参加する人もいる。戦争とその支持への怒りが巷に渦巻いていることがわかる。
 「この子たちも殺された」と書かれたゼッケンがあった。そこには昨年の6月に韓国で米軍装甲車両にひき殺された2人の中学生の顔がある。ひいた米兵は無罪だった。事故であろうと戦争であろうと米軍は殺しても無罪である。無法といってもいい。この米軍による、イラクへの戦争を止めることと朝鮮での戦争を止めることとは一体の関係にある。日本での朝鮮人排外主義の克服もまた、課題だ。

3月31日

  「優しい言葉と銃」による攻撃。フランクス司令はいう「イラク国民はサダムの盾」と。とするなら米兵は「ブッシュの石油利権の盾」にすぎない。ブッシュはいう、「我らは解放軍」、死者は「英雄」と。だが死を「名誉」としてはならない。英雄になるな、国へ帰ろう。自爆をすすめる行動にも道義はない。戦場でのストレスの解消は戦闘行為と記事にあったが、人を殺してスヵっとはならない。終生、悪夢としてついてまわることになるだろう。
 アメリカのアンケート調査は米兵の死者が500人、5000人なら支持か不支持かを問うものだった。自国の兵士の死者数によって戦争支持をきめることには倫理の死があるといえるだろう。
 他国民はどうなろうと関係ないのだろうか。他国にも人間は住んでいる。星条旗を持とうと持たまいと人間は人間だ。「誤爆」という言葉も爆撃自体を認める表現だ。
 サウジのリース企業がトラックの77億円に及ぶ契約を取り消した。汚い戦争に加担できないとして。戦争非協力が戦争を止める。戦闘を拒否した兵士たちはどうなっただろう。

4月1日
 ネットで詩が流れてきた。アラビヤ語で「アマル」は希望の意味。
 31日「イラクの友人たちへの手紙」というドキュメンタリーをみた。カメラのまえに集まる子ども、その笑顔、結婚式や学校、売店の風景、そこには人間がいて夢や希望がある。生きるまなざしがあり、愛があり暮らしがある。それを戦争が壊す。劣化ウランによって病んだこどもたち、こどもたちの墓碑。イラクに住む人間の生存の地平からみれば、空爆が「解放」ではないことは自明だ。
 フセインは倒れても、放射能は残り、人々の「アマル」を破壊しつづける。破壊と恐怖が敵意と復讐に転化する。

4月2日

 フセインを倒すことを「人狩り」とまで語ったブッシュ。フランスでの評価に、かれを、「残酷で思考能力のない動物」とするものがあった。最近TVに出てくるブッシュは周囲に米国人を配置し盛んに追従の拍手をさせて脚色している。しかし、神のご加護を語るその顔には知性や寛容が感じられない。 
 ネオコンが操る組織に「イラク解放委員会」がある。このグループの暗躍が放映されていた。また、米軍はハンガリー内に「キャンプフリーダム」を持ち、イラク人に軍事訓練をおこなっていることも。アメリカがイラク攻撃を民主化のための解放戦争にしたてあげようとしていることがよくわかる。
 2日に米軍は新型クラスター爆弾と気化爆弾を使ったようだ。デイジーカッターと呼ばれる気化爆弾のクレーターの中にはたくさんの死体が散らばっているだろう。その記述はない。すでに劣化ウラン弾の使用も認めている。米軍は安全と公言している。
 柏崎原発の警備にはサブマシンガンまで配備されたという。原発は対朝鮮戦争の最前線として位置づけけられてしまった。2日韓国政府は市民の反戦の想いを踏みにじり派兵案を可決した。日本はイージス艦の交代をねらっている。
 この日中日新聞の評論「ヨーロッパ展望台」に熊田亨が「軽い血重い血」という文を書いている。熊田はこの間ずっとよい文を記している。数少ない良識派だ。

4月3日  

 NHKをみていると、みているものが米兵の視線で思考するようになっていくようだ。解説で出てくる江畑は戦争を否定する意見を述べない。米反戦団体ANSWARの呼びかけの中に「世界中がわたしたちが死ぬのを注視している」という表現があった。死体のない戦争報道のひとつ、NHK報道は戦争をスペクタクルにし、人々を評論家にしているかのようだ。
 エジプトへの米の経済援助は年2400億円(20億ドル)さらにイラク戦争で3億ドルがだされる。イラクのルメイラ油田の消化再生事業はすでにあのチェイニーのハリーバートンが請け負っている。「民主化」「解放」の名の下に、石油の利権を獲得し、金権で牛耳るやりくちがみえみえだ。戦争が始まった頃NBCのキャスターが「バグダッドの都市機能は破壊しない、我々の所有物になるから」といっていたという。だが占領しての米国統治がいつまで持つのか。テロルは絶えないだろう。
 3.31のNBC報告の一つに、イラク兵が爆弾つきのトラックでつっこんでくるが、米軍はそれに発砲しまくり吹き飛ばし、イラク兵の死体があふれる地獄の風景をしめすものがあった。爆弾で吹き飛ばされた頭のない子どもの死体は映されない。
 映されていないものをみること,それが平和への希望と夢につながる。殺されたひとりひとりの人間の痛み、死体の形とその色、体温への想像力。注視や評論ではなく、反戦の行動のつみかさねがこの国の民衆の生存につながっている。

4月4日
 
 155ミリ砲がTVに映される。東富士でも実弾訓練が行われているが、そこで使われているものと同じ形をしている。日本各地での米軍の訓練がアジアへの侵攻のためのものであることがわかる。
 国境なき医師団の報告(2日)によれば、壁で顔をつぶされた女性、爆撃で肝臓を傷つけた子など被害者が続出という。
 赤十字のヒッラーからの報告にも、「爆発で手足の切断数百人」とある。「身の毛もよだつ惨状」という。

4月5日

 戦死した2人の米兵の記事があった。ブッシュ政権は2人にアメリカの市民権を与えるという。その理由は大統領令をだし、テロと闘う米兵となれば市民権を与えるといって兵士をあつめてきたからだ。2人とも移民であり、一人は早くして両親を失い街頭で生きてきたなかで移民している。彼の遺体は本国へ帰るという。ネオコンの政権によって使い捨てられていく民衆の姿がここにもある。戦死者の米兵の中には移民やアフリカンもおおいだろう。
 アメリカ内の戦争支持派はいう。「USA!USA!」「我が国の兵士が闘っているのだから支持は当然」と。撃たれるものも同じ人間だ。国が違えば人間ではないのか。撃たれて死んでいく人々のことは眼中にないようだ。ナショナリズムとその偏狭を自制できないまま人生を終えることは残念なことだ。

4月6日
 
 AWACSに配備が浜松市に通告されたのは、1994年の夏のことだった。その後1998年99年と2機ずつ配備され、飛行訓練の後、2000年4月には実戦配備された。
 この年の夏には、日米共同訓練に投入され、日米共同作戦におけるAWACSの位置が明らかにされた。01年にはグアムで米軍と訓練をおこない、AWACSに米軍が同乗して共同訓練をおこなった。02年のグアムでの訓練は浜松のAWACSが米軍機を管制指揮する状況も生まれている。03年にはイラク戦争に対応し、米軍からの依頼により米軍への情報提供と監視のために朝鮮への監視飛行へと出ていこうとしている。浜松の派兵拠点化がいっそう進むことになる状況である。
 「同じ世代のこどもたちが、爆撃で死んでいく。それがとてもつらい」と出会った中学生は語っていた。ハイテク兵器の映像ははその向こうにある死者の傷みを感じさせない。砕け飛び散る肉体の痛みを見せない。この攻撃は米軍AWACSの管制指揮のもとでおこなわれている。
 ネオコンは「新世紀の戦争」という。では戦争政権と彼らのつくる戦争マシンに未来があるのか。アメリカの血ではなくイラク人の血が流れている。その血の歴史は、イギリスの植民地支配以来100年以上の歴史がある。その歴史の清算とは全く逆の行為をイギリスはしている。希望は新世紀の反戦にある。

4月7日
 
米軍がバグダッドの大統領宮殿を占拠した。TV映像は実況といいつつ同じような映像を垂れ流す。独立系ジャーナリストが書きつづったイラク民衆の死のレポートから学び、少しでもそのリアルな状況を語ってほしいと思う。病院は空爆によって死傷者だらけという。
 戦死した米兵の中に女性兵士が一人いた。かの女の名はロリーピエストワ、先住民族ホピの出身。平和をそのシンボルとする民の出身の女性兵士が侵略の尖兵とされていく。2人の子を持つ単婚家庭の母という。アメリカ社会はかの女を、兵士として生きることへと追い込んでいった。大リーグ報道は毎日のようにあるが、先住民の単婚の母の歴史は示されない。死んでいくイラクのこどもたちの声もほとんど出てこない。
 浜松郊外の書店で「劣化ウラン」の書籍を偶然みた。劣化ウラン弾による被爆によって体を侵され血を吐いて死んでいくこどもたち。進撃する米軍戦車が幾度となく放映されているが、「わたしは死んでしまう」と悲しみ、「痛い、苦しい、助けて」と泣いているそのこどもたちの姿を何度も放映してほしいと思う。

4月8日

 7日付のロイターの記事に赤十字の報告とともに12歳の両腕を失った少年の写真がある。
 病院の12歳の少年は唇をかみ、涙をこらえている.ガーゼの手が彼の頬に添えられている。頭におおきな包帯が当てられ、空爆で失ってわずかに残った両腕には包帯がぐるぐると巻かれている。胸には赤く被爆した跡が残り、胸から腹部さらに大腿部にかけて、薬が白く塗られ、腹部全体が黒ずんでいる。
 ブッシュはブレアとの共同記者会見でいう。「我々の安全を守りイラクを解放する」イラク政権の残忍な性質が明らかになった」「イラクの文化を尊敬する」「イラクは自由になる」と。空爆で腕を失った少年のまなざしは、このブッシュの発言の欺瞞を撃ってやまない。
 バグダッド上空を飛ぶ米軍のA10の姿が映される。韓国梅香里で攻撃訓練を盛んに行っている攻撃機だ。A10からは劣化ウラン弾も撃たれる。今後の被害の拡大が予想される。
 この日はメディアへの攻撃が行われた。アラブ系のアルジャジーラ、アブダビ、そしてパレスティナホテルのロイターが狙われた。アラブの民衆に視点をおいて報道を続けてきたジャーナリストたちだ。彼らは米軍の攻撃が強まっても、「バグダッドは危険だが、ここにいる。なぜなら、真実を記録するためだ。」と報道を続けてきた。米軍の攻撃は真実と良心への攻撃といえる。
 7日の中日の記事に、対北朝鮮を巡りAWACSをつかって日米共同戦線がつくられている実態が記されている。「自衛隊が米軍を補完することになる」と見られたとおりになっていると。

4月9日

 バグダッド陥落のニュースが流れる。米系の報道は、バグダッドの「喜び」「暴動」を流す。現地からのレポートでは、米軍に冷たい視線が注がれているという。米軍の放った部隊による「やらせ」の映像もあるだろう。軍政下の傀儡政権と復興がアラブ民衆の支持を得るとは思われない。失われた命は復興しない。
 バグダッドのフセイン支配は終わった。4月7日のバグダッドのマンスール地区への攻撃を米軍は「首切り攻撃」とよぶ。この攻撃はAWACSの管制のもとで行われていた。野蛮で犯罪的な攻撃が続いている。
 アメリカの無法行為が正当化されていく。先制攻撃が正義とされ、反戦がまちがいとされる。その様な殺人の正当化とのたたかいにおわりはない。

4月10日

 米政府は「復興人道支援室」を軍政下に置くという。米軍によって派遣されたイラク人部隊の活動内容は明らかではない。フセイン像が倒された。倒したのは米軍の装甲車だが、イラク人が主導しての行為として描かれている。フセインの像の顔をたたく子供の姿が何度となく流される。アメリカの旗をもって喜ぶクルド人とともに。誰がこの旗を渡したのか、演出は不明だ。「映画のシーンのようだ」という。戦争が終わったかのようなイメージ操作も行われている。だが、電気も薬もないなかで、空爆の傷によって苦しむ人々の苦痛に終わりはない。
 ラムズフェルドはフセインをヒトラーに続く悪党とする。だがブッシュは戦争犯罪人として記録されることになるだろう。バグダッドで少女の頭をなでる武装米兵の姿が紙上を飾る。言葉を失った少女の顔。
 日本はこの日、米軍支援のためにイージス艦「こんごう」を佐世保からインド洋に送った。

4月11日

 首都の無法化、略奪が続くという。略奪が米の工作による煽動によって始まったように思われてならない。この混乱が占領の口実となる。

4月12日

 ティクリットへの空爆は続いている。海兵隊員は「こどもおんなを盾にする卑怯者は俺たちがやっつけてやる」と答えていた。55人の手配カードまで作られた。裁判も法もない。「西部劇」の野蛮の延長を恥じないものたちの「解放」の進撃。
 日本は「復興人道支援室」に文民を派遣するという。明確な軍事占領統治への参加だ。憲法の精神などまったく無視される。アラブ民衆からの憎悪のまなざしがさらに増すだろう。軍事占領への加担は、この無法な犯罪、戦争への支援行為であり、違憲そのものである。
 無法行為に無法の連鎖が続く。新たな戦争をとめる民衆の側の抵抗線が求められる。
 決して戦争は終わってはいない。

4月13日
 
 メソポタミアの歴史的遺品が略奪されたという。組織的行為とみられるという。このイラクは人類文明の発祥地のひとつだ。ここを空爆すること、それ自体が歴史文化への陵辱だ。アメリカの戦争責任は重い。空爆被害者個人一人一人への賠償、破壊された文化回復の全責任がアメリカにある。