野宿者襲撃

 

「ささしま」No70名古屋市笹島日雇労働組合発行機関誌)が届いた。「野宿労働者差別糾弾!」として野宿者襲撃事件が続発していることを訴えている。自転車や石を投げつけられる、エアガンで撃たれる、棒状のもので殴られ意識不明に、肋骨を2本折られ入院、火炎びん20本以上投げられる…等々。多くの人々が会話で何気なく「日本」という言葉を使うとき、このような異常な光景を想定していない。それどころかこの国でそんなことが起きていることさえ知らないままだ。メディアは都合の良い「モデル」を描こうとするため、綺麗事を選び、そうでないものを排除するからだ。そのために普通の人が、結果として排除を認知、正当化する社会がある。

日本で最も野宿者が多い釜ヶ崎に20年間関わってきた支援者、生田武志さんが(「(野宿者襲撃)論」人文書院)を著した。労作である。おそらく日本で最も困難な問題として「野宿者問題」がある。それを扱ったたくさんの論考が様々な人により発表されてきた。しかし、この国で「野宿者問題」が陽の目を見ることが難しいように、それらの著作は一般社会で認知されて来なかった。どう考えても「命の問題」であるというのに。だがそれは逆説として「野宿者問題」こそが日本社会を解読するキーワードであることを示している。現在、日本は「改憲」を目指して突き進んでいる。その向こうに何があるか、言うまでもなく「戦争可能な国」だ。平和憲法下でこのような動きがなぜ可能なのか?それはこの国が「命の問題」をリアルに捉えて来なかったこと、むしろ積極的に遠ざけてきたことによる。「戦争」が何であるか、「60年前の戦争」がどのように行われたか、ことごとく教育から遠ざけられた戦後生まれがほとんどだ。うわべの「民主主義」や「人権」は、だからこそリアルを獲得しなかった。あろうことか人権派などと揶揄冷笑される始末だ。「平和憲法」をあざわらう社会がここにある。「戦争さえ越えた(超極限状態=非日常)が少年たちの日常に存在している」(生田)とされながら多くの人たちが知らない野宿者の現実はこの国が敗戦後の過程において必然的に生み出したものだ。

「寝ているところをエアガンで撃つ、花火を打ち込む、体にガソリン類をかけて火を放つ、投石する、消化器を噴霧状態で投げ込む、眼球をナイフで刺す、ダンボールハウスへの放火、殴る蹴るの暴行といった襲撃が日常的に行われている。/奇妙なことに、野宿者襲撃を行う者はほとんどが若い男性なのだ」と実態を示し、殺人にまで至った襲撃事件に対して社会が示す典型的反応「いのちの大切さを訴えること」の欺瞞を指摘する。大人たちは「いのちの大切さ」などと抽象的美辞麗句で説得を試みるが決して成功しない。「いのちを大切にしない社会」をつくったのは大人たちだということを少年たちが知っているからだ。「社会的マジョリティが傍観にまかせて、あるいは公園整備とか、町内の環境保全とか、理由をつけて野宿者を駆除し、掃除しているところを、若者たちは直接暴力に訴えて駆除し、掃除しているだけ」(生田)襲撃する少年たちと大人たちは、排除の価値観を共有するが、その表現が異なるだけなのだ。言葉を変えれば、間接殺人と直接殺人であり、どちらも殺人であることに変わりはない。野宿者が、大阪だけでも年間200人以上路上死(餓死、凍死、病死)してゆく状況は、世界中で活躍する「国境なき医師団」により「日本の野宿者の置かれている医療状況は、難民キャンプのかなり悪い状況に相当する」と指摘されている。「先進国」の内部に「国内難民」が増加しつつあり、しかも放置され、多くの人々が知らないか、無視しているわけだ。「地球全体に拡大した近代の帝国主義的地理的変容と世界市場の実現が、第一世界のなかに第三世界が頻繁に見出される状態を生産し続けている」(生田)

「こんなことで逮捕されるの?」「骨が折れる時、ボキッと音がした。それを聴くと胸がスカッとした」「奴等は抵抗しないから、ケンカの訓練にもってこいだ」「コンクリートの塊を1メートルくらい上から頭の上に落とした奴がまだ生きているのを見て、アッタマにきてさー、また殴ってやった」「走ってベンチに飛び上がって胸とか腹にドンと乗るの」「靴の先がブシュって沈んだから、あ、骨もみんなグシャグシャになっているなって思った」

メディアが報じる「バーチャルと現実との区別がつかなくなった」という言説を否定し、「彼らはゲームと現実の違いを知っているからこそ襲撃したと言うべき」(生田)と反論する。大人たちが制度や偏見、差別を駆使して巧妙に野宿者を殺しているくせに「いのち」などときれいごとを口にする社会は「リアルの欠落」によって可能だからこそ、その構造を理解したうえで彼ら自身のリアルを求めたということだろう。

「野宿者は自業自得だ、と言う人は、憲法(生存権)や生活保護法(社会保障)についての知識をもっていないのだろうか?おそらくそうではなく、知識としては知っているが、それをもはや一種の(建て前)としか感じられず、特に野宿者についてその(最低限度の生活保障)に納得することができないのではないだろうか」(生田)

ポスト冷戦期、そして「9.11」以後、米国主導で日本が追従するソーシャル=(近代的公共空間)の崩壊により国家が生命や生活を保証しない領域が拡大する。「自己責任」が強調される一方で「国旗国歌法」「周辺事態法」「盗聴法」など政府による個人の自由への大幅な介入という、矛盾するかに見える流れが起きている。

社会人の若手エリートが、「『強い』『正しい』『稼ぐ』『有名になる』ことをあまりに屈託なく肯定しているのに驚かされる。彼らは『弱い』『正しくない』『稼がない』『無名のまま』が大きらいで、そういう状態の人を心底、軽蔑している。そういう人も自分と同じ人間だという意識が欠落している」(生田)

良い成績を取って、良い会社に入るというレールがゆらいでいる。労働者の全生活を拘束(24時間の忠誠)を強いる日本独特の会社文化、と会社人間が若者に見捨てられる。しかし親は学校は旧来の競争のレールに固執するという二極分化が進む。選択肢のほとんどない、そしてストレスに満ちた人生が「自分が駆除されるのではないか」という不安をつのらせる。

「いじめ、野宿者襲撃は、他者への攻撃による(生の実感)=(自己の存在確認)と、攻撃での一体的な(連帯)=(仲間関係への過剰適応)が対となって働く行為」(生田)

高度管理社会が自由を奪い多様性を奪うなかで、ストレスを充満させた人間が「野宿者に向かって自分の願望を投影した上で攻撃するというねじれた状況」(生田)は(攻撃する側)のナイーブすぎる姿をあらわにする。(居場所がない若者が居場所のない野宿者を襲う)という絶望的な世直しである野宿者襲撃は「1968年以来の世界的な社会変動の中で、『国家・家族・学校・社会』の空洞化が凝縮される二つのホームレスの最悪の出会いとして現れた」(生田)

バブル末期の199010月「釜ヶ崎暴動」は多くの人の記憶から消えかかっているが、そこに少年たちが自然に参加し「これは自分の問題だと思った」という事実に着目し、寄せ場・野宿者の運動を越えた可能性を見出す。野宿者襲撃が、日雇い労働者・野宿者と若者という二つのホームレス問題を凝縮する(ネガ)であり、1990年暴動は二つのホームレス問題の(ポジ)である、と語る。

20年の野宿者支援という経験と鋭い観察眼が、若者たちが野宿問題を理解する「ことば」を育んだ。そして高校で「野宿者問題の授業」により、生徒たちの(ショック)をうみ出した。ある女子高生は、世界で貧困に苦しむ人々に関心があったが、「今、考えると自分が恥ずかしい。とても多くの野宿者が横たわったり、絶望したように歩いていました。私はその悲惨な状況を見る機会がいっぱいあったのに、その人たちについて生田さんに会うまで何も考えていませんでした。/自分が何も知らず、社会がどれほど問題をもっているかにショックを受けました」

「自分の隣人としてある野宿者問題を発見することにより、(この社会の中での自分の存在とは何か)という問いが突きささるのである」(生田)

20059月、愛知県蒲郡市は野宿者強制排除を目的とした市条例を可決した。「野宿者は公共施設利用者ではない」と「公共」の概念を恣意的に決めたのだ。路上死が制度化されたとも言える。「福祉切り捨て」はこれからも激しくなるだろう。そしてそんな国で「国際貢献」「人道復興支援」などという大嘘が強調されてゆく。多くの人々が隣人の存在に一刻も早く気づくべきではないか。

2005.12.23 高木