空自浜松基地人権裁判への支援を! 第2回口頭弁論報告
2008年8月18日、空自浜松基地人権裁判の第2回口頭弁論が浜松地裁で開かれた。地裁に支援者40人がつめかけ、傍聴席は一杯になった。
この裁判は、航空自衛隊浜松基地の隊員であるAさんが隊内での人権侵害が理由で2005年に自宅で自殺したことに対して、損害賠償を求めるものである。今年の4月に提訴し、6月に第1回口頭弁論が開かれている。
Aさんは1976年生まれ、父は自衛隊員であり、親族にも自衛隊員がいた。Aさんは明るく、サッカーの好きな青年だった。1995年、高校卒業とともに航空自衛隊に入隊した。防府南基地の空曹補士過程を経て、浜松基地第1術科学校入校して初級動力器材整備を学び、整備部第2整備課・動力器材班に配属された。動力器材班は航空機の飛行と整備の動力機器の整備を担当する職場である。2000年には3等空曹になり、2004年4月から7月までイラク特措法によりクウェートに派遣された。自殺したのは、結婚してこどもが生まれた5ヵ月後のことである。
自殺の理由は、隊内での人権侵害である。Aさんが動力器材班に配属されて以来、先輩のBは、「バカ」などの暴言やコンクリート上での正座などの暴行、パワハラを繰り返した。Aさんがイラク派遣の候補になるとパワハラはいっそうひどくなった。それは、昼休み中に仕事を命じる、仕事が忙しいのになぜイラクに行くのかなどと非難・叱責を繰り返す、整備日誌の印が曲がっていると怒鳴りつける、限度を超えて予習・復習や持ち帰り仕事を命令する、外出を禁止し身分証明書を取り上げるなどというものであった。
2004年7月にクウェートから帰ると、さらにきつい仕事をさせて休暇を短縮させ、公的な宴席や自宅での飲酒も禁止した。2005年3月ころには徹夜で反省文を書かせ、5月頃からは、叩く・殴るなどの暴行、「死ね、辞めろ」の暴言を繰り返し、業務時間を超える仕事を強要した。このなかで、6月下旬からAさんに不眠や食欲不振などの症状が現れ、9月には「うつ」となり、11月13日、午前に職場に行き、その後自宅のアパートで自殺した。29歳の若さだった。
このような職場での人権侵害・パワハラによる自殺という経過から、遺族が自衛隊とBに対して連帯しての損害賠償を求めたものが、今回の裁判である。
8月18日の口頭弁論では、国側は故意による違法行為はないとして、責任を全面的に否定し、この件で停職5日の処分を受けたBについても、指導の延長であり故意ではないとし、違法性を否認した。これに対し、原告側は、基地側が作成した2006年8月7日付けの事件の調査報告書の存在を明らかにし、裁判での開示を求めた。また、パワハラをしたBの側の答弁書の提出を求めた。裁判長もこれらの書類の提出について国に求めた。
口頭弁論のあとの集会では、遺族が、10年余のいじめの末の自殺であり、「その無念を晴らしたい」、「幸せな生活を返してほしい」と語った。「1年経って遺骨をお墓に入れようとしたら、息子が暗くて怖いから入れないでと言った」という話は参加者の胸を打った。
次回の弁論は10月27日10時から、浜松地裁でおこなわれる。おおくの市民の支援と傍聴を呼びかける。 (T)