嵐、渦中へ。

 

十五.決  戦

 

 決戦って、戦争じゃないんだから…。ああ、でも喧嘩か。売られたんだわ、私。

 そういうことで、三月十日である。実は体調が悪い。最悪。頭なんか貧血状態でくらく

らだ。休みを取ってあって、出かけるのが昼からで、朝ゆっくり休めたのは不幸中の幸い

か。

悩んでいたファッションはちょっと決めていくことにした。『いつもと違うぞ、あの岡

元が。』と会社に思ってもらえればオーケー。感情が平板だという割にはやる気がある。そ

ういうことをするんならイジメてやる、と思っている。女は(別に女でなくとも)怒らせ

ると怖いなあ。…あ、怒っているんだ。

午後一時、ユニオン事務所へ。

委員長、書記長、副委員長と三人が揃っていてくれる。副委員長には初めてお会いする。

よろしくおねがいします。

それにしても、皆さん、初めて会ってから十日程度、何回も顔を合わせていない人間の

ために一生懸命取り組んで下さって、いくら頭を下げても下げ足りない。他にもいろいろ

案件を抱えているようなのに。

副委員長はスーツだ。委員長と書記長はいつものラフなかっこう。

「今日はスーツじゃん。」

と書記長に言われて、副委員長は

「だって、市と関係の深いところだっていうからさ。」

それで改まったかっこうをして来てくれたのだ。うちの会社は実はそれほどのものじゃな

いけれど、でも、ありがとうございます。私がカジュアルでなくてよかった。

昨夜の打ち合わせを確認する。

まずは交渉の流れから。

始めに委員長に挨拶をしてもらい、穏便に話し合いましょうと提案する。次に解雇に至

る経過を会社に説明してもらう。こちらは今回の雇い止めを「整理解雇」と理解している

ことを会社に通告しておく。そして整理解雇の「四要件」についてざっと確認していく。

それから今回の雇い止め(解雇)を、何とか考え直すことはできませんか、と持っていく

わけだ。

正直に言って、交渉がどう展開していくか予想がつかない。会社がどういう覚悟で交渉

の場に立つのか、弁護士は同席するのか、どんなアドバイスを受けたのか、二月二十一日

に副主幹が上げてくれた文書を読んで何を考えたのか。何も見えてこないのだ。

風の噂では、『解雇の撤回はしない』『配置転換はあり得ない』と言い切る、というのが

会社の基本コンセプトらしいのだが、撤回はともかく、配置転換は散々した例があるのだ

から何の意味もないんでないかい?

どちらにしても会社は解雇の撤回はしないつもりでいると思っておけば間違いない。

 「でも、会社も怖いんだよ。」

そうですか?

「どんなヤクザが来るんだろうって、ビクビクしてる。」

ヤクザ、ね。普通のおじさんなんだけど。まあ、顔を見ていないしね。

    

午後三時半頃、事務所を出発。ゆっくり歩いても会社まで十五分とかからない。

暖かい日で歩いていても気持ちがいい。お天気がいいのも、こんな時にはありがたい。

それだけでも気持ちがリラックスする。

時間調整をして会社に入った。いやー、さすがにどきどきする。午後四時というこの時

間、事務所内にいる人いない人、いろいろだけど、眼を合わせるのは少し気後れがする。

しかし悪いことをしに行くわけじゃないのだから、にっこり笑って向かわねば。不当な解

雇に抗議をしに行く、私にとって重要な場面なのだ。

一応案内を乞うて中に入る。室内にはあまり人はいなかった。男性陣はいつものことで、

ほとんど外に出ているし、女性陣も二人休みの予定が入っていたからこんなものか。皆に

見ておいてほしいとも思っているのだが。

会社側の出席者は、理事長、1部の部長、次長、総務の俊原の四人だった。会社の顧問

弁護士はいない。ちょっと意外。理事長が出席するとは思わなかった。確かに職員の任免

権は理事長が持っているのだが、人事を実質決めているのは部長、次長あたりだ。まして

や今春で彼は定年退職するのだから、部長、次長に任せて、ある意味トラブルである今回

の件の表へ出てくることはあるまいと踏んでいたが。そういえば二月二十八日の週は出張

とやらで三・四日不在だったから、余計そんなふうに思ってしまったかな。

ちなみに理事長の定年退職は二度目です。

ユニオンの執行委員長、副委員長、書記長と会社側のメンバーが名刺を交わした後、席

に落ち着いた。会社会議室である。

部屋の奥、西側に会社側四人が座る。理事長、部長、次長、俊原の順だ。東側に、理事

長に相対する位置で委員長、それから書記長、副委員長、私という順番で座った。

この部屋は西側の壁の高いところに細長い窓があるだけで少し息苦しく感じられるの

が難点だな。

 

交渉が始まった。

委員長の挨拶から始まって、私の解雇に触れる。

 「岡元から聞いて驚きました。解雇(雇い止め)の件について、話し合いで穏便に解決

したいと思いますので、よろしくお願いします。」

書記長がさっそく本題に入った。

「岡元は解雇ということですか。」

「解雇です。」

部長がいつものぼそぼそとした口調で答える。歌を歌わせると、渋い、とても魅力のある

低音の声の人なのだが。

「岡元さんには臨時職員として都市整備課で仕事をしてもらって来た。契約は有期雇用

の一年契約で、これまで契約更新してきたが、二〇〇四年二月に退職していただく予定だ

った。向が丘と南平の二つの事業が終わらなかったので契約を一年延長したわけですが、

今年度三月で二つの事業ともにだいたい終了するので、残務整理は中の職員が引き継ぎ、

処理をしていく。二事業の終了に伴い、過員が発生するわけです。岡元さんはこの事業を

担当していたので、三月末を以って雇い止めとすると三十日前の二月二十八日に通告し

た。」

この『中』という言葉は二〇〇二年十二月の通告の時にも使われたが、まったくしゃく

に障る言葉遣いだ。いかにも正社員だけが社の人間であって、それ以外はいつでも切り捨

てていい《外部の人間》という認識を物語っている。

会社は二〇〇二年二月に事務所移転をし、名称を変更してその組織も改変している。正

職員には身分や労働条件について何度か説明があったが、臨時職員はその都度電話番だっ

た。私が臨時職員の扱いについて耳にしたのは当時の事務局長から酒の席で『悪いように

はしないからね。』と聞いた一言のみだった。

「二月二十八日の、岡元に対する水木次長の話は退職勧奨と感じられますが、解雇の通

告(雇い止めの通告)をしたんですか?ユニオンは整理解雇と考えています。必要ならば

文書を求めます。二月二十八日、岡元に言ったことをもう一度言ってください。」

「向が丘と南平の仕事が終わるので、契約通り終わってもらいたいと言いました。」

水木次長が答える。

「向が丘と南平の二事業が終わって仕事がなくなるので、岡元さんには申し訳ないけど上

がってほしいといわれました。」

私が正確に言い直す。大分違うだろう。

「上がってほしいとは、どういう意味です?」

と書記長が問い質す。

「一年契約なので終わってほしいということです。岡元さんはユニオンに頼んであるので、

と言ってそれで話はおわりました。」

「解雇の通告ということですか?」

「解雇通告です。」

部長が答えた。

 二月十四日にも係長が『会社都合解雇』と言っていた。ということは、『更新を繰り返し

て来ているので、実質上期間の定めのない契約と異ならない状態』と会社は認識している

はず。単に期間満了による雇い止めとは言えないと判断はできている。

 「臨時職員の任免は理事長ですね。」

「はい。」

「法的には今回の岡元の解雇は整理解雇と認識しています。社会的に相当な理由があって、

初めて雇用を打ち切ることができるものです。生活に係わることですからね。簡単には打

ち切ることはできません。」

 整理解雇は経営者の経営施策の失敗を労働者に転嫁して、労働者の犠牲によって会社を

再生する性格を持つ。労働者に非はなく、経営者に非がある場合が多いと座右の書に書か

れていた。

「向が丘と南平の二事業は今年度中に終わらないと聞いていますが。」

「今年の三月一杯で終了する予定で進めている。」

今日は三月十日よ、部長。今年の一月には今年度での終了解散は無理と、内容説明された

でしょう?

「大勢の理事の方がいらっしゃいますが、理事の方は有給ですか、無給ですか?」

「無給は三人いる。」

ほか十人は有給なのね。

「理事の方は業務の指揮を執るのですか?」

「いや、そういうことはない。」

「職員の採用計画についてお聞きしたいのですが。」

「うちの会社は委託事業がないとやっていけないので…。土地の値段も下がっており、今

までに五十ヶ所の事業に携わってきたが、この先事業が立ち上がる見通しはゼロです。向

が丘と南平、和田と三ヶ所の事業が終わり、ひとつ残っている北都が終わるまでに新たな

事業がないと会社の解散もあり得ます。」

 この先事業が立ち上がる見通しがゼロというのは正しくない。少なくともひとつ、小さ

なところではあるが、立ち上がる予定がある。また、部長が口にしたのは市内の事業につ

いてのみの話で、周辺市町村の事業も委託されている。その中には平成十五年に立ち上が

ったばかりの、それなりの規模のものもある。おまけに近々周辺市町村との合併を控えて

いるから、今は市外の事業といっても合併後市内の事業となるものも多い。

ユニオンの役員さんたちには分からないと思ってごまかそうとしている、かな?

 「昭和五十四年度には会社の前身法人が解散に追い込まれた。事業の見通しが立たない

ので新しい職員の採用はできないし、育てていくことができない。給料を払える見通しが

立たない。反面、事業を期限内に終わらせなければならないので、業務多忙もあり、臨時

職員の方に一年契約でお願いしてきました。」

 法人登記事項証明書には法人設立の日が一九六二年四月四日と記載されているけ

どなあ。社の四十周年を祝ったとか何とか、そんな話もあったしなあ。いつ、解散したん

ですって?

 「臨時職員は北浜への出向者を加えると九名ですね。」

「えー…。」

おいおい、そこで詰まる?

「確か…。」

「資料を持参します。」

総務の俊原氏が立ち上がり、急ぎ部屋を出て行った。

 ちょっと待ってくださいよ。指で数えても両手で足りる数ですよ?資料を見なくちゃ分

からないような、そんな数じゃないのよ?それで臨時職員の私がこういう話をしに来てい

るのだから、当然把握しておくべき最低限のデータじゃないの?ユニオンが団体交渉を申

し入れてから何日あったの?

 「お待たせしました。そうです、九名です。」

「北浜の出向者も仕事がなくなってきたので、この三月一杯で辞めてもらいます。」

と次長。

「二〇〇四年四月には臨時職員一名が採用されていますね。」

「はい。」

「残業はけっこうあるでしょう。」

書記長がひらりと質問を変えた。

「少ない人数で乗り切っていくしかないので、残業はやっていただいている。残業の負担

についてはできる限りプロパーにお願いしている。」

「残業は年に何時間くらいですか。」

「三六協定時間は年五百時間です。」

「平均してどのくらいになります?」

「えー…、今年度はまだ正確に出ていませんが。」

答えたのは俊原氏。

「大体のところでいいですよ。」

「じゃあ…、二〇〇四年度二月現在で、技術職の方で平均四百時間です。」

ちなみに総務の私の場合は残業ゼロです、と俊原氏は付け加えた。はいはい、平成十五年

度に職掌変更と称し、総務が担当していたほとんどの仕事を他の二つの係に放り投げて総

務課には人員は増やした、その成果ね。

 「年休についてうかがいます。年次有給休暇については市に準ずる扱いで年に二十日で

すね。」

「そうです。」

「次年度に持ち越す分を含めるとだいたい四十日くらいあるわけですね。」

「年休以外に特別休暇が年八日あります。」

「年休の取得状況は平均で年何日くらいですか。」

「全部取る人はいません。特別休暇はほぼ全員が消化していますので、その八日間を含め

て平均で年十日から十五日くらいだと思います。」

ろくに年休も取れない職場ってことなのだから、威張れないのだよ、俊原君…。残業の

多い、過密長時間労働ってことだし。一部プロパー(プロパーという呼称も私は好きでは

ないぞ。日本語で十分だわ。)は休日出勤も余儀なくされているし、裁量労働まがいもして

いるし。

 「勤続も長く、業務にも精通していて使い勝手がいいので、他の職場への応援も多いの

ではないですか、岡元は。」

「人数が少ないので作業内容によってはいろいろ協力していただいている。頻繁ではな

い。」

「この間も三日間、北浜へ応援に行かされたばかりですけど。」

これは私の発言。ちょっとした手が要る時はちょこちょこ使われていたけどなあ。

「そんなにたくさんではない。」

 もっとも、借りたいときには頼んでももらえないことがありましたね、部長。頼むどこ

ろか、《黙殺》でしたっけ。(少し恨み節が入りました。)

「整理解雇の対象者は何人いるんですか。」

「北浜への出向者一名についても辞めてもらいます。」

「元市の職員で年配の方ですね。」

私が補足する。

「ここで働いている臨時職員八名の中で対象者は岡元だけですか。」

「はい。」

「八名の中から岡元を選んだ理由は何ですか。」

「業務の中でどのような事をしているのかを考慮した。向が丘、南平の二事業が一区切り

ついたので、岡元さんに辞めてもらうことにした。」

二〇〇二年十二月には同じ理由で三人を対象に解雇を予告したのに、今回他の二人は契

約を継続するというのはどういうものでしょう?そして二〇〇四年四月に新規採用された

人が私の属する係に配属されているということは?

先ほどもちょっと触れたが、社は二〇〇三年度に職掌を変更し、総務がそれまで担当し

ていた証明発行などの事務や、事業ごとの予算決算などが第1係と第2係に振り分けられ

た。そのため、総務の二人の臨時職員の仕事は少なくともひとり分減っている。仕事がな

くなることが解雇する指針というなら、なぜその時は総務所属の臨時職員に辞めてもらう

とは言わなかったのだろう。

 「雇用契約には向が丘、南平の二事業に従事すると明記されているんですか。」

「二〇〇四年三月の雇い入れ通知書には仕事の内容について、業務の補助及び各種事務文

書作成ならびに電話受記録、来客の応対等を行う、とある。」

「つまり、業務全般をやるということですね。」

「そうです。」

「岡元の例はたまたま担当していた仕事が終わろうとしているというわけですね。」

「たまたまということではない。十五年度に終わる予定が一年延びて、契約を延長したの

であって…。」

 向が丘の事業が最後のピークを迎えたのが二〇〇三年度。それなりのボリュームの事務

をこなしていたのは実質一人半程度の人数。南平の事業は向が丘の四倍近いボリューム。

工事も終わっていなかったが、こんな手数で二つの事業がこなせるわけもない。二〇〇四

年度に南平の事業がずれ込まざるを得ないのは二〇〇二年度には明々白々だった。ここで

二〇〇三年度に終わる予定だったなんて、口にするのは一応経営を預かる者として恥ずか

し過ぎますよ、部長…。おまけにそんな人数しか手がなかったために向が丘は二〇〇四年

度中に解散まで行きつけなかったんですからね。業務委託料をいただくのも恥ずかしいと

いうもの。

 「それは指名解雇だろう!」

委員長が突然叫ぶように言った。

「単なる整理解雇ではない。」

指名解雇、ですか?

「会社としての経営努力についての説明をしていただきたい。例えば理事や職員の賃下げ

をしたんですか。対象者全員に希望退職の有無を聞いてみたんですか。整理解雇の決定に

あたって、どのような基準で対象者の中から人選をしたんですか。なぜ岡元に決めたのか

の説明がないではないですか。全て一般的な説明に過ぎない。」

「えー、その…岡元さんについては来客・電話等の応対が十分でなかったこともあり…、」

「そんな程度のことは理由になりませんよ。その事で何か注意したことがあったんです

か。」

「課長に注意させました。」

と、俊原氏。その言い方は何様?

 ついでに言うなら、当時も注意される謂われはまったくなかった。うだうだうるさいと、

業務を優先させて抗議もしなかっただけだ。南平の、送付した通知に対してその翌日から

のあまりにも多数の問い合わせにもほぼ一人で対応したり(これは後日他の建設コンサル

タント会社から二人応援を呼んでもらい、三人で一ヶ月間対応しました。無論、私は他の

仕事も抱えつつ、ですが。)、手続きをしに日に十人からやってくる客に対応し、平行して

リミットのある仕事もこなしていて、どれほどその他の来客や電話に対応できるというの

か。そういうことは最初から無視ですかい。

愚口ってすみませんけど、こいうこともよくありました。

 二つ三つ仕事を抱えていて、まずは一番優先されたものを仕上げて上司に持っていくと、

『あっちの仕事はまだできないのか?』

一日に仕事時間は(基本的に)八時間で頭はひとつで手は二本だ!

今仕事を完了させたことはリセットされて直ちになかったことになるんだものなあ。あ

あ、思い返しても腹が立つ。

 「会社側が解雇の回避努力をした様子が見当たりません。解雇の理由、環境の整備等の

説明もされていません。委員長も言いましたが、できることなら紛争はせず、穏便に解決

したいんです。しかしこのままだと地位保全の仮処分ないしは本裁判ということになりか

ねません。おそらく会社は勝てないと思いますよ。前向きに検討してもらえませんか。」

「弁護士と相談する。今ここで返事はできない。」

黙って交渉を見ていた理事長が口を開いた。

「経営状態も大分余裕があるようですね。」

書記長が追いかけて言う。

「昨年の七月頃にはパソコンを十数台入れ替えていますし、秋には備品購入希望を申請し

てくれと言われました。今年の初めには仕事を外注に出してもいいので、設計書を上げる

よう周知されています。」と私。

「経営が切迫しているとは思えませんね。会社側が解雇の回避努力をしたとは思えない。

できるなら紛争は避けたいんです。勝った負けたということではありません。穏便に解決

したいんです。」

先ほどとは打って変わって静かな声の委員長だ。

「解雇の通告はなかったということでもいいんです。」

「前向きに検討すると一言言っていただければ我々は引き上げます。」

書記長が言葉を継ぐ。

「相談をするので一旦休憩としたい。」

と理事長。

「それでは、今四時五十分ですね。十分間休憩として、五時再開ということでお願いしま

す。我々はここをお借りしていていいですか。」

「どうぞ。」

理事長以下、三人が退室した。

 ううっ、疲れる…。座りっきりだし。

 「去年二月に辞めてもらうつもりだったと言ってたね。」

隣に座っていた副委員長が振り向いた。

「二〇〇二年の十二月にね、二〇〇三年度で雇い止めとしたいと言われたんです。でも、

それは私の他にも二人が言われていたんですけどね。」

「三人に言っていた?ふーん、それはそれは。で、二〇〇四年四月には新しく採用してい

るわけか。」

 五時になって理事長・部長・次長が部屋に戻って来た。

「では再開します。相談の結果はいかがでしょう。」

書記長が切り出す。

「前向きに検討します。」

理事長が答えた。

「よろしくお願いします。」

前向き、という言葉が出た。

 ふーむ、どういう種類の前向きだろう。いまひとつ意向が分からないが、とりあえずは

前を向いたということで良しとするか。

と言ってる傍から「あのねえ、」と舌打ちしたくなるような会話が始まった。

 「ついては次回の交渉ですが、」

と書記長が具体的に日を提示していく。ユニオンでは他にも案件を抱えているので忙しい。

都合の良い日を端的に上げていくのだが、十八日でどうでしょうと言うのを

「いや、その日に改めて都合のいい日を連絡するということでどうでしょう、」

と理事長。

「こちらも今の時期は忙しいのでね。」

その忙しい時期に『通告』を持ってきたのは自分自身(会社)だということを忘れないよ

うに。

「そうですよねえ。しかし岡元の方も今月末で期限が来てしまいますのでね、余裕がない

んですよ。」

書記長、さすが。ちゃんとやり返す。見習わねば。こういうところでやり返してこその交

渉なのね。

 後で副委員長が説明してくれた。

「あれは引き延ばしを狙ったんだよ。時間切れさせて退職させようという手段だな。」

なるほど。

 そういうわけで次回はほぼ一週間後の三月十八日金曜日と決まった。翌日からは三連休

だ。じっくり闘える(?)ってもんだ。今からその日が待ち遠しい。

あれ?やっぱりヤル気はあるんだ。怒ったり泣いたりしてないけど。

「明日は普通にやれる?」

明日、金曜日は普通に出勤だ。職場で気まずいだろうと心配してもらうが、大丈夫だろう。

皆、我関せずで、表立って口に出すような人はいない。(俊原君くらいかなー。)遠巻きに

していると言えばそういうことだが、人間的にはおとなしい人が多いのだ。まあ普段もそ

う私語しているわけじゃないし。

 「大丈夫。いつもどおりにしていくから。」

交渉に出た上の人たちにだって、にっこり笑いかけるくらいの愛敬(?)はあるとも。彼

らがイヤな顔をしたとしてもね。(年を喰うとは、厚かましくなって世の中生き易くなるこ

とと見つけたり。)

 夜、副主幹に電話をもらう。交渉の概略を話し、前向きに考えるという言葉をもらった

よ、と伝えると、

「理事長が前向きって言うんなら、きっといい方向よ。」

うーん、そうかなあ。今そう思って期待してしまうと、後で違ったときにショックが大き

いから考えんとこう、と思うのは慎重な性格だから。…気が小さいと言った方が正しいか。

それにしても着慣れないスーツで肩が凝ってしまった。それだけならいいけれど、久し

ぶりにパンプスを履いたせいか、足がこむら返りを起こしたのには参りました!普段いか

にろくな格好をしていないか明白だわ。次回はいつもの格好にしよう。交渉時はリラック

スする方が先決、です。

 

 

十六.インターミッション

 

 さて翌日。

 いつもと変わらぬ仕事の日々。周囲も特に変化はない。もっとも私もパソコンに向かい

っきりだし、社員の大方は現場へ出ているし、そう変わりがあるものではないけれど。

パソコンにデータ入力をしていて、いきなり昨日の交渉時の委員長の迫力がフィードバ

ックする。

わー、怖い…。ちょっと怖い。一応私の側(?)の人ながら、その迫力にこんなに時間

が経ってからびびるというのは、鈍い以外の何ものでもないか?しかし、委員長は声を荒

げたわけではないのが、迫力の迫力たる所以…。

ところで、昨日委員長が指摘した『指名解雇』とはどういうことなのか。

シンプルに言えば、解雇対象を特定の人物とすることだ。

指名解雇はもっぱら企業側の事情による解雇であって、一般的に労働者側に責任ないし

落ち度なくして行われるものであり、従って客観的に見てやむを得ない事由がある場合に

限り、行うことが許容されるのであって、そうした要件に欠ける指名解雇は解雇権の濫用

として無効にされる、とものの本にはある。

指名解雇をするときには、整理解雇で言う四要件を満たさなければいけないが、その解

雇基準の合理性も要求されることとなり、その理由として例えば、@高齢者、A退職して

も生活に及ぼす影響の比較的少ない家庭事情にあるもの、B平素の勤務状態の劣悪な者、

C病弱者その他の事情により職務の遂行に支障が有る者、などが上げられていた。

私にたいする解雇基準はどれにあたるのかしら?

 

三月十四日、連絡をもらってユニオン事務所に寄る。もうすっかりこの急階段に慣れて

しまった。

今日は裁判になった場合、裁判所に提出する陳述書を作成しておくよう指示をもらった。

これはこの前の相談があった時に出したものだけど、個人の名は消してあるからと例文を

手渡される。

日付に始まって、「〜裁判所〜支部御中」とあて先が書かれ、経歴、就職状況、解雇の

状況と続いて裁判官への呼びかけという構成になっている。

「とにかく時間がないからね。裁判となった時の準備をどんどん進めておくんだ。あれや

これや言われて大変だろうけど。」

うーん、確かに眼が回っている。今まであったことのメモ(六年半分というのはけっこ

ういろいろあるものだ。)、言いたい事、聞きたい事を書き出す、資料も頭に叩き込んでお

きたいし、そのうえ陳述書だ。

でも、ここでやらなきゃ相談に乗ってもらっている意味がない。書けるだけでも書いて

見てもらおう。

十日の第一回団体交渉の議事録もいただく。録音しておいてリライトし、議事録を作成

するという作業はお手のものなんだけどなあ。ああ、パソコン叩いて作りたい。

うずうずしつつ、議事録にざっと眼を通す。当時当該の場所に臨んでいて話が通り過ぎ

ていくのと、文章を読んでじっくりその発言について考えるのとでは全く違う。今夜、ち

ゃんと読もう。

今日はイレギュラーな打ち合わせだったけれど、本来予定していた明日も打ち合わせす

るんですよね、と帰りがけに委員長に確認すると、

「みんな、岡元さんどうしているかなあって心配してくるんだよ。」

と、にこり。うーん、これはもう、元気を出さざるを得ないか?突っ走っちゃえ!って感

じ?さあ、帰って陳述書を書くぞ!

 

 それで三月十五日の第四回対策会議ということになる。

 委員長、副委員長、書記長が待っていてくれる。

 会社がどう出て来るかは分からない。会社内で特に動きは感じられない。とにかく、最

悪の場合を考えて進めていくことになった。

 「どうする、仮処分の申請も準備しちゃう?あれも出してから一週間くらいかかっちゃ

うからさ。」

「まあもう一回交渉した具合を見てからでもいいんじゃないか。」

昨日、途中までだが陳述書を書いてみたので、委員長に見てもらう。

「八割方できている。」

というので、こんなものでいいらしい。

 ところで先日の第1回交渉の時に話が出た、臨時職員でやはりこの春に辞めるという人

の事に触れておいた。

 「臨時職員と言っても、この人は元市の職員でどこかの部の部長をしていて退職した人

なんですよね。その後、あちこちへ就職して、今の会社が三つめくらいの再就職かな。年

齢も七十歳くらい。」

「えー?」

一同、驚きの声です。

 「なあんだ、それじゃ臨時職員と言っても全然内容が違うじゃないか。その人、年金も

らってるよね。生活に困ることはないわけだ。岡元さんとはまったく条件が違うよ。」

 そう、私は同じ解雇の対象者であっても、貧しい給料額で年金なんか当然もらえない年

齢の現役労働者。ひとくくりに『解雇』と言ってほしくないなあ。

「会社が解決金を提示してくるって言うのはあります?」

これはお勉強の成果の内。(但し、そういうことがあるらしいと知っているだけですが。)

「うーん、やらないんじゃないかなあ。向こうもそれなり正当な理由があるつもりで対抗

しているんだろうし。そういうことにしたら自分の方が悪いと認めているようなものだ

し。」

そうですか。こっちもそこで話をつける気はない。

もし雇用継続となった時に、また平成十五年四月のように一週間の間を置く、もしくは

一ヶ月置いて雇用すると提案されたらこれは拒否するということで了解する。とにかくこ

ちらに不利な条件は呑まないということだ。

念のため、解雇の撤回があった時のために『確認書』を作成することになった。

と言っても、原案書記長で作成は委員長。『確認書』って何でございましょ、とぽーっ

としているのが私。なにもかも初体験。知識が現実に追いつかない。ええい、流されてい

ってしまえ。

かなり開き直っています。

それにしても会社はどういう対策を練っているのかな。総務の俊原君はまだ昨日くらい

は病院へ点滴をしに行っていたようだけれど。身体は大事にしろよ、にーちゃん。

 

三月十五日は帰宅してから爆弾が待っていた。

田中課長が辞めるという。三十一人しかいない会社の、二人いる課長の内の一人だが、

今年五十三歳、近々事実上のトップにもなろうかという人物だ。いやまあ人数がいないか

ら当然のように部長にもなるのだが、高校卒業後三十五年、この社の叩き上げの人なのだ。

(ちなみにもう一人の課長は例の、忘年会でちょろっと人事について洩らしてくれた人。

市からの出向でこの春には古巣に戻ることになっている。)

あまりにも唐突、寝耳に水である。いや、そう言えばこの一年、妙に仕事をしなかった。

残業の管理など、長がやるべき事もほとんど係長にさせて、クレーム処理なんてもちろん

手を出さなかったっけ。(これは前課長、現部長もそうだったので、社の伝統かもしれない

が。あ、現次長もか。つまりわが社の最高責任者は係長だったのだ。)そして少々管轄外の

2部の仕事をしていたよなあ。

うーん、そう来たか。

今課長が辞めるとなると、この会社の先行きが予想できない。理事長が退職すれば当然

新たに市から次理事長が天下ってくる。課長の後任もないままではいられないから、たぶ

ん市の退職者を引っ張ってくるだろう。そして水木次長が部長となり、俊原君がそれにく

っついて回るとなると、下手すれば仕事はすべて外へ丸投げになったりして。すると解雇

の撤回があったとしても将来は真っ暗かも…。

闘争方針を変えようかな、と思わず弱気になる。

解雇撤回はなくていい。裁判に行ってしまって、事の経過を世間に示した上で退職とい

う形にしようか。大事なことは会社のやり様を社会に知らせること、それに対して闘うと

いう方法があるんだよと、同じ立場の人たちに知らせること。

私にとっては微力ながら社会へのお返しということである。これは私自身にも大切なこ

とだ。

いや、でもしかし。まずは『解雇撤回』を求めなければそういう話にはならないか。第

一、そう簡単に『撤回』があるわけではないのだから、今の方針でいいんだわ。

課長の辞職で動揺してしまった。やれやれ。

さて。第2回団体交渉は三日後である。ここに来てまだ母には事情を告げていない。ど

うしよう…。