浜松市「国民保護計画」策定の中止を求める意見書

 

2006年10月23日         提出団体 人権平和浜松

                                

1 「国民保護計画」策定をすすめる国民保護法は、武力攻撃事態法などの有事法制の一環としてあり、この「国民保護」の本質は市民の戦争動員態勢をつくるものである。それは政府による戦争を前提とし、銃後の態勢を整備するものであり、日本国憲法の人権と平和の条項に反するものである。よって計画の策定自体をおこなうべきではない。「国民保護計画」をつくることは平和的生存権を侵すことになる。また、「国民保護」の名による人権侵害が起こることのないようにすべきである。

2 過去の戦争において浜松市は陸軍爆撃の拠点となり、浜松で編成された部隊は重慶をはじめアジア各地を爆撃し、多くの民衆を殺害した。また浜松の工場は軍需生産に組み込まれ、ヤマハ・スズキをはじめ企業は航空機材料や兵器の生産を担い、戦争に加担した。その結果、浜松とその周辺は米軍による激しい空爆や艦砲射撃を受け、浜松を含む遠州地域では4000人を越える人々が爆死を強いられた。これらの空襲関係死者について行政は死者被害者名簿すら作成せず、この被害補償要求に対しては『受忍』を語ってきた。過去の戦争において、このように国民の保護はなされず、その戦争責任は今も取られていない。戦時の「国民保護」を言うのなら、まず過去の戦争の後始末から始め、平和行政を確立すべきである。

3 この10年来、新たな日米防衛協力の指針(新ガイドライン)による日米の軍事共同作戦体制はいっそう強化されてきた。とりわけ朝鮮半島などでの戦争を想定しての周辺事態法や日本での戦争を想定しての有事法制など憲法に反する内容を持つ法律の制定がすすめられ、さらにはアフガン・イラクへの派兵もおこなわれてきた。また最近の朝鮮での核実験を口実として臨検を実行することやミサイル軍拡もねらわれ、さらに憲法改悪の動きも顕著である。これらの軍拡と海外派兵の進行は日本国憲法の精神に反するばかりか、アジアでの平和国家としての日本の信頼を失わせるものとなっている。国民保護計画はこのような戦争国家作りの地域での基盤づくりとなるものであり、その策定はこの地域を戦争へと組み込むことになる。

4 航空自衛隊浜松基地はこの間に強化がすすみ、空中警戒管制機AWACSの配備や広報館の建設がおこなわれ、イラクへはすでに19派に及ぶ100人余が派兵された。またPAC3の配備も予定され、浜松は訓練基地としての性格から、実戦・派兵・教育・広報・ミサイルの拠点基地として再編成されてきている。また騒音などの基地被害も増加している。朝鮮危機にともない、AWACSの朝鮮監視飛行も強化されてきている。AWACSの情報から戦時へと突入しかねない状況すらある。このような軍事基地の強化こそが市民にとっては脅威である。国民の保護を語るのであるのならば、この軍拡と派兵の現実を変えていくような自治体レベルでの施策が求められる。

5 「国民の保護」は自治体の独自の平和外交や平和政策の充実から生まれていく。政府の進める戦争政策に従属していけば、戦争の加害を担い、さらには被害をうけることになりかねない。浜松市はワルシャワ市と友好関係にあるが、ワルシャワではナチスドイツへの抵抗やナチスドイツによる虐殺で死を強いられた人々が大切に追悼されている。浜松市も戦争死者と日本の侵略によって死を強いられた人々を大切に扱うべきである。また、浜松市はワルシャワのみならずアジアの都市と友好をすすめ、市民の人権平和意識を高める啓発活動を積極的におこなうべきである。

6 国民保護法では平素からの宣伝や訓練がおこなわれるようになっているが、それらは隣国への恐怖心を煽動し、戦争を肯定させ、政府による動員をいっそうやりやすくするものとなる。すでにそのような偏狭な排外主義がこの国では、政府自身によって制裁の名によって実行され、市民レベルでは放火や暴行など重大な人権侵害が起こされるようになった。真の国民の保護とはこのような排外主義を克服し、このような事態を起こさないようにすることである。核やミサイルなどの危機が起きたときには、戦争を回避し、それらの廃絶に向けて自治体レベルでも率先して活動すべきである。対抗して核とミサイルを所有し軍拡を競うような動きを止めるような活動が必要である。脅威を煽るような宣伝をおこなうべきではない。また自治会や学校での有事訓練は市民に偏狭な感情をもたらすものになる恐れがあり、おこなうべきではない。

以上、ここに浜松市「国民保護計画」策定の中止を求める意見書を提出し、計画の撤回を要請する。