山内徳信講演会『第9条と沖縄のこころ』

200767日、磐田市で山内徳信さんの講演会『第9条と沖縄のこころ』があった。
主催は憲法第
9条を護るいわた市民の会。

山内さんは以下のように語った。

沖縄戦では鉄の暴風といわれる攻撃で、緑豊かな屋敷を持つ村落が焼き払われた。戦後の瓦礫の中で育ち、『民主主義』の教科書に大きなインパクトを受けた。読谷高校1年のときに新憲法に出会い、この憲法を護る人間になりたい、生き残ったものとして、死んでいった先輩たちの分まで平和な世界を作る人間になりたい、と考えた。私には死んでいった人たちとの契約がある。

教師となって人間を大切にする教育、真実を教える教育を目指した。高校では教職員会から教職員組合を結成した。教え子たちを中心に読谷の村長になってほしいと依頼された。平和憲法を実践し、村民の命を守る政治を目指した。当時読谷村73パーセントが米軍基地だったから、基地を減らす村づくりをし、24年間・6期を務めた。

1970年代から日本での戦争の準備がすすんでいる。私は『忘れない』という詩をかいて記憶した。これまで政府は戦争を「事変」といい、軍隊を「自衛隊」といって民衆を騙してきた。「国際貢献」という言葉にも恐ろしい狙いがある。

辺野古の大浦湾での滑走路建設問題は佐世保のような新たな軍港化につながるものだろう。

政治家を動作や表情で見抜くことも必要であり、ファシズムは民衆を文化でからめとっていく。安部政権には歴史認識がなく、憲法遵守義務も無視している。国家経営の理念も哲学もなく、アジアの国々から尊敬されず信頼されていない。

今、政府は沖縄戦の実相を隠蔽し、集団自決を戦争協力として美談化しようとしている。戦争になれば法も何もない。生き残るために自分の赤ちゃんを殺した、それば戦争だ。政府は憲法改悪を進め、青年たち、子や孫を戦場に送ろうとしている。

今こそ民衆が広範に起ち上がるとき。9条を守る運動をつくり、参議院選挙で逆転することだ。                         
                            
(文責・人権平和浜松)