静岡空港・県による土地収用調査との攻防
2005・9・5〜10
静岡県による土地強制収用のための調査が9月5日から10日にかけておこなわれた。調査は一日あたり県職員120人・業者380人の計500人、6日間でのべ3000人による大掛かりなものである。かれらは白ヘルットに県職員服と業者服の部隊姿で整列して調査地点に赴き、県職員の指示下で業者が調査をおこなった。その情況は白ヘルの軍団による地権者のスキをうかがっての土地調査強奪作戦であった。それは、主権者県民に奉仕する姿勢ではなく、地権者・県民を災厄とみなすかのような行動だった。
9月5日
県は土地収用法第35条による収用予定の全地域の立ち入り調査を計画した。9時30分から調査に入ろうとしたが、地権者・共有地権者・トラストの木所有者ら100人はトラストの森A、トラストの森B、茶畑の3地区を拠点に阻止行動に入った。県は各地点での調査をねらい、各地点30人ほどの職員が業者100人ほどを連れて登場した。この日は台風の影響で雨が降り続く日であり、濡れながらの攻防が繰り広げられた。マイクでの訴えやスクラムで県の突入を阻止し、県は4時に測量をやめた。2箇所に県は測量に入ったが、阻止戦を張った3箇所では県の動きを阻止することができた。
9月6日
この日反対派はのべ30人で3箇所の阻止線を張った。県は8時30分にはすでにオオタカAで約100人の県職員・作業員が測量を始めていた。これに対し反対地権者を中心に退去を要求。トラストBでは、測量班が山に登っていっていたため、追いかけて下に降ろした。頂上部分では基準点とされた杭を測量班のあいだをかいくぐり地権者が占拠し、午後5時30分までトランシットの据付を阻止しぬいた。100人の調査員に3人で中止を呼びかけ続けた。午後に入り、地権者が作業する業者に対し「私の土地から出て行け」と大きな声で抗議し、業者を阻止線のロープから追い出した。にらみ合いを続けたが、業者は反対側から中に入り測量をおこないはじめた。しかし、オオタカの家周辺では県の侵入を阻止しぬいた。茶畑では手薄になった阻止の囲いを越えてはしごで入り込む業者を見つけたが、この茶畑の地権者を中心に断固抗議し、追い出した。女性が一人で旗を持って立ちはだかる場面もあった。茶畑とオオタカの家周辺は守り抜いた。
9月7日
この日ものべ30人で阻止行動をとった。茶畑には地権者2人を中心におよそ20人で再三にわたる県の侵入を撃退した。仲間が、県職員への中止を求めるメッセージを語り続けた。トラストAでの県の調査はすすみ、ほぼ終了の状況となった。トラストBでは正面でくい止めているメンバーが県に中止を求め続けた。しかし、県の作業班は頂上部より下のほうに降り、さらに観音像地点まで調査に入ってきた。これに対し強く抗議して追い出す。県はこの日は調査しないと口約束した地点をこえて調査を進めてきた。私たちはトラストB前で県と強制測量の中止を求め交渉を続けていた。県は交渉をしている時間におとり作戦をするようなことしないといっていたが、それはまったくのうそであった。交渉の場に私たちをひきつけながら、トラストBは頂上部より下のほうまで調査を進めていたのである。地権者の怒りは県職員の卑劣な暴挙に対し大きな声でぶつけられた。
9月8日
この日はのべ40人ほどで阻止行動。茶畑・トラストBでの攻防となった。トラストBでは川の手前で8人の阻止線を張って侵入をくい止めた。女性たちが観音像地点の急斜面に大の字にして寝転び「帰れ!」と叫び、さらに地権者が「般若心経」を読経し、観音像地区の防衛を試みた。県側は午後に倍の50人ほどで観音地区に入り込み、5分ほど、会い乱れての阻止行動となったが、県側は引かざるをえなかった。また午後には茶畑への攻撃がはじまった。県は一番はなれた茶畑に突入したが、これに対し、基準杭の占拠、機械の据付の阻止、トランシットからの光の旗での阻止など、できるかぎりの阻止行動を展開した。仲間が車でクラクションを鳴らして駆けつけると作業班は驚き、その隙に追い出しに成功した。
本日の行動のあと、反省会と明日からの行動についての集まりがオオタカの家の前で開かれた。地権者からは「昨日までの県の卑劣なやりかたのなかでは、今日は本当に厳しいだろうとおもっていた。測量が茶畑もトラストBもやられてしまうと思っていた。多くの人がここまでしてくれた。うれしい結果で涙が出そうでした」という発言があり、参加した私たちに勇気と希望を与えてくれた。
9月9日
連日の阻止行動に県はあせった。この日は朝5時から県が茶畑に入ってきた。地権者がくると、県職員が地権者をとり囲み、動きを封じて測量をおこなうという異常な状況だった。このような形で朝7時半に茶畑の測量を県は終え、8時30分頃にはオオタカの家に侵入を試みた。この県側150人を30人の仲間で阻止した。さらに県は近くのみかん畑の調査に入ろうとし攻防となった。杭を打つ業者への抗議、基準点への座り込み、旗を振っての妨害などの抵抗により、午前の測量調査を阻止した。午後1時頃、再び県は来襲したが追い返した。しかし4時頃再び来襲し、橋での阻止線に対し、県の1隊50人は川面から突入を試みた。茶畑の占拠を聞き、駆けつけた仲間は50人余ほどとなっていた。各所からの県の突入部隊との攻防戦が繰り広げられた。抗議した地権者が基準点に座り込み、断固として阻止の構えを見せたため、県は4時30分に撤収した。その後の集会で「茶畑に杭は打たれても、私たちの心に打つことはできない」と地権者は力強く語った。今日、茶畑は強制測量をされたが抵抗の末、オオタカの家周辺は残った。
9月10日
この日は100人がオオタカの家周辺に集まり県と対峙した。県は6時30分から動き始めた。オオタカの家周辺には防衛の幕が張られていたが、さらに杭や旗で阻止線を強化する。全面でスクラムを組み、シュプレヒコールをあげる。後方では幕の外から突入を試みる県に対し、体を張っての攻防戦が繰り広げられた。8時30分、県に対して、「周辺の幕の前に座り込み、体を張って断固として阻止する。オオタカの家に侵入するものは取り押さえる。全責任は侵入しようとする県にある。測量を中止せよ。」と呼びかけた。県は9時30分に撤退した。昼にオオタカの家の前で記者会見、空港反対と測量中止への強い意思を地権者が語り、県のときに大部隊で攻撃をしかけ、また阻止線のよわいところを攻撃するという軍事作戦のような強制測量の暴挙に抗議した。午後、県は土地収用法35条によるオオタカの家の測量を一方的に中止、これも一方的に37条による外からの写真撮影に切り替えて資料とするという形で方針を変えた。抗議の中、県は写真をとり、3時に「終了宣言」をして去っていった.
オオタカの家を拠点にしての抵抗によって、県の予定していた土地収用法35条による全地域の測量は阻止された。県は写真による外観調査資料の作成で補足せざるをえなかった。県は説得工作を語っていたが、その実態は数と隙を見ての力ずくによる突入・侵入であり、およそ公正な立場からの行政活動とはみなせない行為だった。
政治的駆け引きによる空港地決定、変更を繰り返す嘘の予測、ゼネコンへの金のばら撒き、県による赤字補填を前提とした航空会社の誘致、破壊される自然、赤字必死の空港運営、県民への負担転嫁、無責任な行政、強制収用に向けての測量作戦の実行、このような大地と生活を破壊する空港建設に反対し、最後まで土地を手放さなかった地権者は日本農民の歴史において、その正義は高く評価されて語り継ぐべき存在であるし、ともに土地を共有し、トラストの森を持った仲間たちもまた同様である。いますぐ無駄な公共事業を中止する英断こそ、県知事には求められている
(共有地権者・トラスト所有者・浜松 M・T・I・I・S)