中日新聞社御中 2006年9月24日
静岡新聞社御中 人権平和浜松
「激動の20世紀展」後援による歴史修正主義への加担の中止を求める要請書
2006年9月17日から23日にかけてクリエート浜松でおこなわれた『激動の20世紀展』を中日新聞社・静岡新聞社などが後援しました。この主催は浜松近現代史研究会・
今回の展示では、展示10面のうち、上田毅八郎の軍船軍用機の絵が4面、「もうひとつの戦争展」のパネルで4面、浜松の戦争史跡と紀子の出産祝いの記事で1面、資料展示で1面が使われ、そこには『もうひとつの戦争展』の冊子もありました。
問題は、上田毅八郎の絵を前面に出しながら、戦争を肯定する立場で作成された名古屋の「もうひとつの戦争展」のパネルが展示されていることです。この間、過去の戦争を正当化する動きが強まるなかで、「新しい歴史教科書をつくる会」や「もうひとつの戦争展」などのキャンペーンがおこなわれてきました。最近の「もうひとつの戦争展」のパネルは「支那」の強調に見られるように、いっそう戦争肯定と中国排外主義を強める展示となっています。
今回のパネルには次のような記述が並びます。中国を「支那」と表記、中国人が民族意識に目覚めて反日運動が高まったことを「中国人の暴虐は今も昔も変わらない」と表現、スターリンの陰謀で中国と日本が全面戦争に誘導されたと記述、盧溝橋事件は「支那共産党」の謀略、盧溝橋事件については2003年の「もうひとつの戦争展」のパネルも展示して「起死回生の謀略」と強調(ただしこのパネルでは中国共産党と記述され記述の統一性が無い)、「支那共産軍の軍規厳正は虚構」と表現、アメリカについては米国の帝国主義と表記し排日・人種差別を批判、ハルノートを宣戦布告とし、「戦争を選んだのはアメリカだ」と表記、ハワイ襲撃については「米軍の無差別爆撃とは一線を画す正々堂々たる戦いぶりであった」と賛美、日米の兵力を比較して「無謀な戦いではなかった」と総括、最後に与謝野晶子や伊藤整らの戦争賛美の記述を示して戦争を正当化しています。
今年の名古屋の「もうひとつの戦争展」の題に「大東亜戦争・開戦の真相・米英支ソが仕掛けた罠に落ちた日本」とあるように、これらのパネルでは、戦争の原因を中国・ソ連・アメリカへと責任転嫁し、日本の行為を正当化しています。そこでは史実を独断的に解釈し、戦争を他国の謀略によって起こされたものとしています。これまで研究者や記者が追及してきた日本の戦争責任や占領・植民地支配での戦争犯罪はまったく語られていません。
新聞記者の目から見れば、この「激動の20世紀展」がどのような狙いで行われているのかについてはすでに明らかでしょう。
報道では第1に真実が重要です。歴史修正主義の動きはこの真実を曖昧にし、解釈によって合理化して戦争を正当化することにあります。このような展示を新聞社が後援することに、報道機関の翼賛化への危機を感じます。貴社の歴史認識はこのような展示と同じなのでしょうか。本質を見極めて後援判断をしてください。
歴史修正主義に加担する後援の中止をここに要請します。なおご回答を文書でください。
資料・「もうひとつの戦争展展示パネル一覧」(2006年)
浜松の展示もほぼこの展示内容と同じでした
「支那」の呼称 各国の主張・ワシントン条約の頃 各国の主張・満州事変の頃 各国の主張・盧溝橋事件、支那事変勃発の頃 各国の主張・日米交渉、大東亜戦争突入の頃 ワシントン会議 米国の帝国主義 米国の排日、人種差別政策 世界経済のブロック化 世界大恐慌 景気回復・日米の違い 支那人の民族意識の目覚め 支那人の反日、侮日政策 米国は日本に対して二重基準をとった ソ連コミュンテルンの対支那政策 スターリンの陰謀1 スターリンの陰謀2 ソ連コミンテルンの対日陰謀 支那共産党の対日策謀 盧溝橋事件 盧溝橋事件は中国共産党の謀略 通州事件1 通州事件2 朝日新聞号外 上海事件 大山中尉殺害事件 「支那共産軍は軍規厳正」は虚構 蒋介石の遠大な対日戦略 支那事変初期の軍事力比較 米英仏ソの対中援助 支那国民党の宣伝工作 国民党は強力な対米工作を行った ソ連コミンテルンの対米工作 日本の生命線は満州と支那大陸 ルーズベルト大統領とハル国務長官 ABCD包囲網 米国人の反日と「可哀想な」支那人への同情 英米は日本の外務省と海軍の暗号を解読 日本を追い詰める米国「禁輸処置」 北部・南部仏印進駐 日米交渉 ルーズベルト大統領は欧州参戦のために日本を利用 宣戦布告に等しいハル・ノート 日本はハル・ノートを突き付けられて戦いに踏切った 戦争を選んだのはアメリカだ! アメリカはなぜ日本に戦争を仕掛けたのか ニヒタカヤマノボレ一二〇八 トラ、トラ、トラ、ワレ奇襲ニ成功セリ 緒戦の大勝利、しかし リメンバー・パールハーバー 真珠湾攻撃・日米兵力比較 昭和十六年日本は〜高村光太郎の昂揚 伊藤整、徳川夢声の日記 学生、教師、与謝野晶子も熱狂