2009.10.3 清水朝鮮人納骨堂慰霊祭
清水の火葬場の入り口の左側の斜面に清水朝鮮人納骨堂がある。ここでは総連・民団が共同して1991年から慰霊祭をおこなってきた。ここには94体の無縁の朝鮮人の遺骨がある。これらは戦時期に清水で亡くなった人や戦後亡くなり引き取り手がない遺骨である。
このうち名前や連絡先が分かるものは10数人である。清水では遺骨奉還推進委員会を作り、2008年に遺族調査をおこなった。韓国の役場に手紙を出し、遺族を探したが、連絡が取れたのは2箇所だった。一人は釜山、一人は名古屋であり、ともに遠い親戚であり、遺骨は受け取れないとのことであった。そのため、協議の末、遺骨は韓国の天安にある望郷の丘に奉還されることになった。すでに望郷の丘からは受け入れの回答があり、静岡市とは奉還の際の骨壷収納や費用の合意もとれている。奉還は来春の予定である。
旧暦の秋夕の盆にあたる10月3日、慰霊祭がもたれた。今回の慰霊祭は来春に遺骨が奉還されることになるため、最後の慰霊祭となり、日本人も参列した。納骨堂内の清掃もともにおこなった。慰霊祭は時折激しく雨が降る中でおこなわれた。
慰霊祭では総連県委員長の玄正男さん、民団県本部長金光敏さん、遺骨奉還委員会の鄭仁模さんが遺骨堂に向かって追悼の言葉を述べた。1993年の新納骨堂建設に尽力した元市議会議長の春田光三郎さんも日本人を代表して発言した。最後に静岡の朝鮮学校の生徒代表が、植民地支配と強制連行の下で数々の労苦を強いられ、解放60年を経た今も遺骨が故郷に帰れないこと、その歴史を2度と繰り返すことなく、歴史を学び、平和な未来の主人公となっていくという追悼と決意の辞を述べた。
火葬場入り口の斜面の森のはずれには無縁の供養塔があり、その横にある朝鮮人納骨堂の場所は雨の中、さらに湿気に包まれる。ここに遺骨が移されて50年余りになる。その状況は、戦後の朝鮮人の人権状況を写す鏡のようなものである。納骨堂の前には追悼のさまざまな食材が並べられ、雨天の中、線香が納骨堂の周囲に煙る。そのなかで参列者はこれまでの歴史や今後の活動にむけて、それぞれの想いの時を持った。 (竹内)