朝鮮人未払金の実態と供託経過
一朝鮮人未払金の実態
『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』
国立公文書館つくば分館には日韓会談関係資料が収蔵されている。館の収蔵史料を検索すると日韓会談関係の簿冊は100冊以上あるが、多くが非公開である。このなかの1冊「経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調」が公開されるようになった。強制動員真相究明ネットのメンバーがすでに閲覧し、その複写物を事前に見ていたので、複写が不鮮明な箇所を中心に見た(2008年11月に閲覧)。
この簿冊の表紙には、「労働省調査 朝鮮人労務者に対する賃金未払債務調」と記され、保存文書の朱印がある。背表紙には「朝鮮人労務者に対する賃金未払債務調 労働省調(昭二五,一〇,六)」と記され、その上に「経済協力 韓国・105」の紙が張られている。
この簿冊は日本政府からGHQへと1949年に送られた朝鮮人の在日資金額について、日本政府・大蔵省が1953年に再調査を行った際の資料である。
1950年10月に労働省は朝鮮人労務者に対する賃金未払債務調を行い、その調査に基づいて資料が収集された。それをもとに1953年8月に労働省給与課は「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」の形で集計した。この統計に対してさらに修正が加えられている。
この簿冊は債務・賠償関係の基礎資料であり、日韓会談にともない、労働省調査報告書などが大蔵省へと移管され、他の供託関係文書も加えて、大蔵省国際金融局で保管されてきた。国立公文書館への移管は2000年度のことである。
この簿冊は収録順にみれば、以下の史料で構成されている。
1 「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」(労働省労働基準局給与課1953年、1950年の基発917号による調査を集計したもの)。
この統計には各企業の未払賃金等の調査が供託分、未供託分、第3者に対する引渡分の三部構成でまとめられている。集計項目は府県・事業場・債務の種類・債権者数・金額・供託日時などの順である。
この統計は3部あり、2部が1953年7月20日付、1部は7月7日付のものであり、最初に収録されている7月20日付の労働省調査の統計には、さらに修正の書き込みがなされている。この調査統計の最後には7月20日付の「総括表」があり、供託・未供託・第3者に対する引渡分についての府県別の債権者数と債務額が記入されているが、ここにもさらに修正が加えられている。
2 「司令部への報告(に対する)外務省への報告と吾が方調査との相違点調」(大蔵省 理財局外債課1953年6月26日)
この調査表は、大蔵省による供託関係調査と労働省から外務省を経てGHQに渡された供託調査とを比較したものである。
なお、供託金についてのGHQ渉外局と韓国ミッションとの英文文書も収録されている。
3 「朝鮮人の在日資金」(主管外国財産課・1953年)
ここには、朝鮮人の在日本財産についての調査文書が収録されている。運輸省・林野庁・宮内庁からの供託の報告書などがある。
4 「本計数は労働省が、吾が方を経由して司令部へ報告せるものと吾が方の調査によるものとの差(+−)を示す」(大蔵省 理財局外債課1953年7月7日)
この文書は府県別の供託金関係の労働省調査と大蔵省調査の比較であり、2の表よりも新しいものである。
5「朝鮮人労務者未払賃金関係・文書一」(竹内による仮題)
この「朝鮮人労務者未払賃金関係文書」には多くの文書が含まれているため、便宜上5「文書一」と6「文書二」の2つに分けて記す。
「文書一」には1945年末から1953年まで朝鮮人労務者の未払賃金、供託関係の通達類が収録されている。
文書のなかには、「帰国朝鮮人労務者の未払賃金債務等の処理について(説明要綱)」があり、そこには、賠償に関する日韓会談事前準備に関する会議がもたれ、債務を明瞭にし、賠償・還付を意思表明する予定であることが記されている。その資料として、1950年調査とその調査に用いた1946年の厚生省労政局調査「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」、その調査結果に関する文書類の保管に留意すべき旨が記されている。
大蔵省の供託金関係の英文の報告書とGHQの文書も含まれている。
6 「朝鮮人労務者未払賃金関係・文書二」(竹内による仮題)
「文書二」には、「軍人軍属徴用者の未払給料等及び供託額調」があり、警察・運輸中央気象台・郵政・農林・宮内・運輸船員局・法務・旧陸軍・旧海軍・労働省関係の供託金額が集計されている。これらはGHQ渉外局から韓国ミッションに通知されている金額について、大蔵省側がその額の内訳を推定するためにおこなった調査である。
「帰国朝鮮人労務者の未払賃金債務等の処理について(説明要綱)」にあるように、賠償要求に対して資料の作成をすすめたとみられる。
「文書二」の最後には、2と4にある大蔵省による労働省供託調査に対する分析を註のかたちでまとめたものがある。
以上が、「経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調」に収録されている文書の概略である。
ここに収録されている史料を再構成してみよう。
大蔵省による「司令部への報告(に対する)外務省への報告と吾が方調査との相違点調」(大蔵省理財局外債課1953年6月)、「本計数は労働省が吾が方を経由して司令部へ報告せるものと吾が方の調査によるものとの差(+−)を示す」(同課1953年7月)という史料は、1949年の報告に対する再調査を示すものである。
その際の調査史料が「軍人軍属徴用者の未払給料等及び供託額調」、「朝鮮人の在日資金」(大蔵省理財局外国財産課1953年6月集約)、「朝鮮人未払金に対する債務調(労働省調査1950年)」(1953年7月集約)、「帰国朝鮮人に対する未払賃金債務等に関する調査(統括表)」(1953年7月)などである。供託経過やGHQの在日資金調査の状況を示すものが、厚生省などの通牒類やGHQ関連の文書(英文)である。
この簿冊は1953年に作成されているが、その作成の背景についてみてみよう。
1952年2月からの第1回会談で財産請求権委員会がもたれたが、これに対して、日本側は対韓請求権を主張して、会談は決裂している。1953年4月になって第2次日韓会談がはじまり、その際、日本側は財産請求権委員会については大蔵省側が未準備であることをあげ、開催の延期を求めた。しかし、韓国側はそれを拒否し、委員会は開催されることになった。5月に入って韓国側は非公式会談で徴用者の未払い金などを要求するが、朝鮮戦争の休戦という事態の中で、韓国代表団は召喚された(高崎宗司『検証日韓会談』44〜46頁)。
ここで1953年10月に第3次会談が始まるまで、空白期間が生じたわけであるが、この『韓国105』にある「司令部への報告(に対する)外務省への報告と吾が方調査との相違点調」(大蔵省理財局外債課1953年6月)などの文書は、この期間に作成されている。「経済協力韓国105」の標題名は、日韓会談での請求権問題が「経済協力」の形で決着する中で作られたものであり、当初はこの文書の頁の多くを占める「朝鮮人未払金に対する債務調」がこの文書の標題であったとみることができる。
このときの再調査で大蔵省が調べたかったことは、1949年12月に大蔵省がGHQへと送った朝鮮人在日資金の調査報告にある在日資金約2億3千7百万円の内訳である。この報告はGHQが「韓国からの賠償請求(クレーム)」をうけて、1949年5月に日本側に提出を求めていたものであり、その調査結果は同年12月に報告された。この報告に対し、さらにGHQは1946年1月に未払い賃金の部門別詳細、総額、受取人の氏名などの詳細を提出するように求めている。
報告された金額約2億3千7百万円については、GHQから駐日韓国代表部(ミッション)にも送られた。日韓会談がはじまり、韓国側がこの金額を踏まえて請求権を主張する状況の中で、日本側は自らの資料としてこの金額の正誤を検証し、その詳細を集約する必要があったわけである。
収録文書の「司令部への報告(に対する)外務省への報告」とは1949年12月の報告のことを指しているものとみられる。この調査のために大蔵省は1949年調査の段階で未払い金が存在した省庁に資料を提出させた。それにより、たとえば、法務府からは海軍陸軍と労働省関係の供託金、労働省からは各都道府県の供託金の状況が報告された。労働省が1949年に各地方当局から得た未払い金の数値は約1億1千万円であり、そのうち未払い金は9千6百万円であった。この金額は調査できた金額であり、連行者数からみて実際にはこれを上回る金額が存在していたはずである。
1950年の政令22号は、この1949年のGHQ指示による調査を経て、朝鮮人の未払い金などの在日資金を東京法務局に集約する形で供託をさせるために出された。1953年3月現在で、政令22号による供託額は約8千9百万円となっている。その後も供託が続き、現在もそこに未払い金が供託金として残されているのは、各個人の供託金を北と南に分離できないためである。
以上がこの簿冊(『韓国105』)内の文書の構成内容と作成の背景とである。
次にこの史料からわかることがらを何点かあげてみよう。
第1に、労働省関係の「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」から、これまで不明だった企業ごとの供託金や未供託金の状態がわかる。ただし、朝鮮人を使用し未払金を持っていた全ての企業について掲載されてはいない。労働省調査に応じて書類を提出した企業だけが記載されているとみられる。
この史料の供託分から数社をあげれば、次のようになる。
事業場名 |
債務種類 |
債権者数 |
金額 円.銭 |
供託年月日 |
不二越鋼材 |
退職積立金 |
122 |
510.57 |
1947.8.30 |
不二越鋼材 |
退職金 |
441 |
1252.44 |
1947.8.30 |
不二越鋼材 |
厚生年金 |
184 |
3464.82 |
1947.8.30 |
不二越鋼材 |
国民貯蓄 |
459 |
29226.17 |
1947.8.30 |
不二越鋼材 |
預り金 |
430 |
55188.19 |
1947.8.30 |
西日本重工広島造船所 |
賃金 |
1951(下の数値との合計数) |
70380.5 |
1948.9.7 |
西日本重工広島造船所 |
貯蓄金 |
|
108099.16 |
1948.9.7 |
三菱重工業長崎造船所 |
現金(給料団体積立金退職金) |
3406 |
859770.78 |
1948.6.2 |
麻生鉱業久原炭鉱 |
賃金 |
100 |
7415 |
1947.4.16 |
麻生鉱業久原炭鉱 |
補給金 |
133 |
2370.83 |
1947.4.16 |
麻生鉱業久原炭鉱 |
援護金 |
2 |
475 |
1947.4.16 |
未供託分から数社をみれば、以下のようになる。
事業場名 |
債務種類 |
債権者数 |
金額 円.銭 |
不二越鋼材 |
貯金 |
16 |
1062 |
不二越鋼材 |
貯金 |
37 |
1637.6 |
麻生鉱業久原炭鉱 |
愛国貯金 |
58 |
2765.55 |
麻生鉱業久原炭鉱 |
国債貯金 |
63 |
1594.42 |
神岡鉱業 |
国民貯蓄 |
690 |
22188.16 |
神岡鉱業 |
国債貯金 |
346 |
16963.48 |
神岡鉱業 |
退職積立金 |
401 |
3743.88 |
神岡鉱業 |
債券保管証 |
238 |
3332 |
神岡鉱業 |
郵便貯金 |
98 |
18066.39 |
神岡鉱業 |
団体生命保険 |
7 |
3500 |
このように、この1950年の調査から個別企業による供託状況が明らかになり、多くの供託金・未供託金があることがわかる。供託に際しては氏名住所を記した供託名簿も作成された。この名簿を明らかにすべきだろう。個別の未払い金の実態が明らかになり、企業の歴史的責任が問われる。
第2に、労働省関係の未払金関係総額が、集計表の判明分だけでも当時の金額で1732万円を超え、債権者数は延べ15万人であることがわかる。大蔵省の別の集計表では約1億1千万円が未払いである。連行状況や逃亡の状況からみて、実際にはこれ以上の未払い金があったとみられる。このうち朝鮮人聯盟などに渡された金額は約1万7千人分、296万円ほどである。しかし、朝鮮人聯盟は1949年に解散させられ、財産は政府に没収されているから、「第3者に対する引渡分」の多くが政府へと回収されたとみていい。
第3に、1949年の大蔵省によるGHQへの報告と1953年の大蔵省の再集計表から、1949年末頃の、朝鮮人への債務の総額が2億3700万円を超え、その内訳が、法務省約6000万円、旧陸軍900万円、旧海軍約5630万円、労働省約1億1千万円などであることがわかる。軍人軍属の供託金はその後増加するが、この時点での未払い金の集約状況がわかる。
第4に、運輸省船員局関係では1950年に、延べ2076人分、約435万円が供託されたことがわかる。
この船員関係については、つくば分館に、背に「朝鮮人船員の未払給与等」、表に「供託政令」と朱書された簿冊がある。この史料は1949年の船員関係の供託に関する書類である。ここには朝鮮人船員の306人分の死亡者名簿や未払金についての表が収録されている。「その他」の船員とされている58人の名簿の中にも朝鮮人名が記されている。これらの名簿は運輸省海運総局給与厚生課が作成したものであり、死亡一時金が未払いである者の名簿である(1948年末現在調)。収録されている別の史料によれば、未払給与のある「殉職船員」の朝鮮人船員数は654人、「生存船員」の朝鮮人数は882人である。
第5に厚生省勤労局調査による朝鮮人労務者名簿の記載と比較すると、未払い金を報告していない事業所があることがわかる。ここに示された供託金は未払い金の一部を示すものにすぎないわけである。北海道をみてもGHQへと供託した事業所のうち、この資料に記載があるのは北炭の平和・夕張・幌内だけであり、10をこえる事業所が欠落している。未払い金の存在を報告した事業所だけがここに記載されているのであり、この調査が悉皆調査ではないということである。
以上、この「経済協力
韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調」を見て感じたことをまとめた。「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」については、エクセル形式で一覧表を作成したので、希望者には配布できる。
二未払金の供託経過
つぎに未払い金が供託された経過についてみていく。
日本の敗戦によって日本は占領され、連行されてきた朝鮮人は帰国を求めてたたかいをはじめた。朝鮮人聯盟が結成されて企業に対しての交渉も繰り広げられた。常磐、石狩、足尾、岩手などでの運動については資料や研究があり、その経過を知ることができる。これらの動きについては、長澤秀「戦時下常磐炭田における朝鮮人鉱夫の労働と闘い」、桑原真人『近代北海道史研究序説』、古庄正「足尾銅山・朝鮮人強制連行と戦後処理」、同「日本製鉄株式会社の朝鮮人強制連行と戦後処理」などに詳しい。
朝鮮人聯盟の活動がさかんになるとGHQ・日本政府はその運動を規制するようになる。朝鮮人聯盟の賠償要求に対し、日本建設工業統制組合は華鮮労務者対策委員会を作り、政府に自らへの国家補償を要求し、1946年4月には約4595万円を獲得していった。石炭統制会なども同様な要求を出し補償を獲得する。日本製鉄も朝鮮人労務者の「管理費」として5000万円を得た。日本政府は朝鮮人の運動に対抗し、未払い金については供託をすすめた。連行企業が政府によって救済され、朝鮮人聯盟への支払いは拒否され、被害者である連行労働者への未払い金や賠償金の支払いは放棄されていくことになった。
「経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調」には、その間の通牒や政令が収録されている。これらの文書をふまえ、岩手を中心に朝鮮人の行動を分析した古庄正「日本製鉄株式会社の朝鮮人強制連行と戦後処理」を参考に、供託に向かう動きを追ってみよう。
GHQは1945年11月28日に日本政府に対する覚書「職業政策に関する件」をだした。そこには、労務者への差別禁止、引き揚げない者への同等の権利、復員軍人への差別撤廃、処置を司令部に報告することなどが記されていた。これは民主化の指示である。これを受けて、1945年12月9日には厚生省が、勤発第116号「就業並ニ労務管理ニ関する件通牒」をだしている。
さらに、1946年1月10日の厚生省令第2号「昭和20年勅令第542号に基く労務者の就職及従業に関する件」では、国籍による差別の禁止、違反への罰金などを規定した。1月17日には、厚生次官が厚生省発勤第2号「昭和21年1月10日厚生省令第2号事務取扱に関する件依頼通牒」をだして、日本人と同等の権利、差別的取り扱いの絶無などを指示した。しかし、ここでいう差別的取扱いの禁止は、朝鮮人に有利な形での待遇をしないという形で利用され、朝鮮人側の賠償要求を否定する口実とされた。
2月26日には内務省公安課長の「朝鮮人団体の不当要求に随伴する不法行為取締方に関する件」が出された。それは朝鮮人の運動を不法行為とみなし、その排除に向けて検挙・取締を強化するというものだった。3月になると、政府は朝鮮人聯盟などに対し、「不当要求」の中止を求め、取り締まりを通告するようになった。
このなかで、3月11日には、厚生省労政局給与課長が庁府県内務部長・教育民生部長・地方商工局石炭部長宛に、給発第15号「終戦に伴う朝鮮人労務者解雇手当に関する件」をだした。そこでは、GHQの許可なく朝鮮人聯盟の「任意規定」で通告が行われ、交渉が進められていることに対して、1945年11月20日の給発第106号足尾の争議の調停の件通牒も参照しての調査を依頼している。この文書には1946年に入っての四日市での朝鮮人聯盟の通告書が事例として紹介されている。
このような動きのなかで日本製鉄本社は4月24日に朝鮮人聯盟への要求処理の方針を指示した。それは朝鮮人聯盟の賠償要求を不当とし、未払い金の委託団体とはみなさないというものだった。
5月中旬になって朝鮮人聯盟は、厚生省に事業主との交渉の斡旋を依頼するが、厚生省側は朝鮮人聯盟を公的団体とはみなさないとして斡旋を拒否した。
このようななかで、6月17日に、厚生省労政局給与課長が府県内務部長教育民生部長・東京都民生局勤労部長あてに、給発第56号「朝鮮人其他の外国人労務者の給与等に関する件」をだした。そこでは、朝鮮人聯盟は労働組合ではなく、法的代理人資格をもっての交渉以外は認められないとし、朝鮮人聯盟の交渉に応じないように規制を強めた。
同日、厚生省勤労局長は各地方長官あてに勤発第337号「朝鮮人労務者に関する件」をだし、朝鮮人雇入事業所名、入所経路、朝鮮人名簿、割当数・雇入数、終戦時の数、帰国させた数、解雇者への処遇、死亡者・負傷者・逃亡者数、徴用数などの報告を求めた。これは厚生省の側が未払い金の実態について全国調査を試みたものだった。
さらに、6月21日には次官通牒、厚労発第36号「朝鮮人、台湾人、中国人労務者の給与等に関する件」をだした。ここでは1月の厚生省令第2号「昭和20年勅令第542号に基く労務者の就職及従業に関する件」を遵守すること、司令部覚書の趣旨を鑑み、賃金については省令の趣旨をふまえ1945年11月28日まで遡って実施すること、退職手当については省令の趣旨により、1945年9月2日まで遡り、その期日以降の退職の場合に実施すること、これ以前に遡っての実施要求は法令上の根拠がなく不当であり、将来日本政府への全般的要求となるかもしれないが、事業主と個々に処理すべきでないこと、1945年11月27日以前の賃金(除く退職金)及び9月1日以前の退職手当について以後のものに比べて低いという理由で差額の要求することは根拠がないばかりか、不当であること、朝鮮人聯盟などには交渉権限がなく、金銭を集める権限もないが、民法での委任を受けた場合はこのかぎりではないことなど、朝鮮人聯盟の要求への対応について、詳細に指示した。
この通牒によって、政府・厚生省は戦時下の強制労働への賠償要求を「不当」として拒否したのである。事業主側はこの通牒による問題解決をねらった。厚生省は各地での朝鮮人聯盟と事業主との交渉に制限を加え、未払い金についての供託を計画していく。
「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」(『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』)において、朝鮮人聯盟などへの引き渡し金が1946年7月以前に数多くおこなわれている理由は、厚生省のこのような対応によるものである。
7月3日には、厚生省労政局給与課長が関係官庁・各種統制団体あてに、給発第60号「朝鮮人、台湾人及び中国人労務者の給与等に関する件」をだし、7月11日には、厚生省労政局給与課長が、各県内務部長・教育民生部長あてに給発第62号「朝鮮人労務者等の給与等に関する件」をだした。そこでは、朝鮮人聯盟は法人格がなく、団体個人の委任がある場合を除き、委任を受けての行動はできないとし、未払い金等は供託を予定するとした。8月27日には、司法省民事局長が厚生省労務局長宛に民事発第516号「朝鮮人労務者等に対する未払賃金等に対する未払金等の供託に関する件」をだして、供託しても差し支えない旨を回答した。
このようにして朝鮮人聯盟の要求を拒否し、未払い金等を供託するようになったのである。岩手県の朝鮮人聯盟側の要求を受けて岩手県内務部長が6月7日に作成した業務上死亡者に5000円、業務外死亡・業務上障害各2500円などといった調停案は、このような動きのなかで9月末には白紙撤回を強いられた。代わりに朝鮮人聯盟維持費の形で寄付金をだすという妥協案が出されたが、それも全国鉱山会側が拒否した。
厚生省は司法省の了解をとり、各地方からの朝鮮人労務者に関する調査報告を受けながら、10月に入って供託の指示をだす。
それが1946年10月12日の厚生省労政局長による地方長官宛の厚労発第572号「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」である。
この指示では、支払うべき賃金、退職金、又は保管する積立金・貯金・有価証券で支払うべきものなどを供託し、事業主は供託が完了したときには地方長官へと報告するものとした。ここでは、今回供託するものは、金銭及有価証券に限るとし(預金通帳は別途通牒予定)、適法な委任を受けたもの以外の第3者への引渡しは適当でないと記している。供託は別紙「朝鮮人労務者に対する未払金の供託要領」によるとし、作成用の「未払金処理一覧表」が添付された。この供託を指示する文書は、内務や司法などの関係官庁と統制団体である日本通運、日本鉄鋼業経営者聯盟、日本建設工業統制会、石炭統制会、全国鉱山会、港運協会、化学工業聯盟などにも出された。これらの統制団体は連行朝鮮人を使った団体である。
この指示では預金通帳は別途通牒予定とされていたが、1947年7月4日に厚生省労働基準局長は貯金局長あてに、基発第113号「朝鮮人労務者等に対する未返還郵便貯金通牒に関する件」をだして、郵便貯金通帳ついては原簿所管庁で一括保管することにした。
船員関係では、GHQは以下の覚書による指示を日本政府にだした。1949年3月17日には「朝鮮人及びその他外国人船員に対する未払金の件」、8月4日には「外国船員慈恵資金の外国債権者円預金勘定への振り替えの件」がだされ、それにより朝鮮人応徴船員に対する未払い金や扶助金などは外国債権者円積立勘定に振り替えて日本銀行に預金することになった。
1950年2月28日には、「国外居住外国人等に対する債務の弁済のためにする供託の特例に関する政令(政令第22号)」が公布された。これにより政令前に供託したものは東京法務局に供託され、本人または遺族が日本国に居住していれば請求により還付手続きをとるとされた。また、未供託のものについては政令の規定により速やかに供託することとされた。軍人軍属関係の未払い金も供託されるようになる。
このような形で朝鮮人の未払い金などの供託がすすめられていったわけであるが、本人への供託の通知は不十分だった。また、この供託関係の名簿は日韓会談の中で公表されることはなかった。供託が朝鮮人聯盟の要求に対抗しての政策であり、韓国政府にも供託の全体像はみえないままであった。
さて、1949年10月に「朝鮮人の在日資金について」の調査が始まる。これは韓国側の賠償要求に対応してのGHQによる調査である。1950年6月12日の大蔵省管財局長による労働省労働基準局長あての文書・蔵管外第402号「朝鮮人の在日資金について」によれば、調査は次のような経過であった。
大蔵省は、1949年7月19日のGHQによる国外居住外国人等に対する債権弁済のために特別の整理勘定の設定の指示(SCAP2030)を受け、1949年10月8日に蔵理発第16号、10月18日に同17号で労働省に調査を依頼した。労働省は口頭で大蔵省外債課に調査を報告し、大蔵省は12月21日にGHQにそれを提出した。日本側はGHQから韓国側に渡った数値について、韓国側の根拠を推定するために再調査をおこなっている。
1950年6月12日の蔵管外第402号「朝鮮人の在日資金について」をみると、所管業務の雇主に関するものとして、金銭4582401円54銭、有価証券55448円57銭、金銭96471510円90銭、郵便貯金・報国貯金9463893円52銭が記されている。ここで記載されている金銭4582401円54銭は俸給・手当であり、供託済とされ、金銭96471510円90銭は未払い金である(「朝鮮人の在日資産」『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』所収の記載による。「朝鮮人の在日資金」には、この労働省分を含めて大蔵省が集約した各省での未払い金等の記事があるが、集計時期によって数値が異なっている個所がある)。
1950年10月6日には、労働省労働基準局給与課による基発917号「帰国朝鮮人に関する未払金並債務等に関する調査」がおこなわれた。1953年7月に集計された「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」(『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』所収)はこの1950年調査の報告書である。この報告書には事業所ごとの朝鮮人労務者の未払い賃金等とその供託状態が示されている。
日韓会談の事前準備に関する会議がはじまるなかで、政府は賠償要求があった場合にそなえ、「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」(1946年10月)による供託資料の保管などを指示している。
実際に会談が始まると、日本側は「徴用当時は外国人ではない」とし、自らが所蔵する名簿類を示すことなく、逆に韓国側に被害の証明を求めるような対応をしている。
1961年5月の第5次日韓会談一般請求権小委員会第13次会議では、韓国側は「強制的に動員され」「奴隷扱い」されたとし、「未払い金」のみならず国家への「補償金」を要求している。これに対し日本は韓国に具体的な被害の提示を求めた。1962年2月の第6次日韓会談一般請求権小委員会での被徴用者関係第3次専門委員会では、日本側は「集団移入朝鮮人労務者数」の表を提示した。そこには約67万人の移入者数があげられている。また、厚生省が1946年に17県分の個別名簿を集約したことも述べている。韓国側は1万2千人の死者数をあげ、「韓国人労務者を日本に連れていく方法はとても残酷だったということを知ってくれ」と語るが、日本側は「特別に差別待遇したとは思わない」と対応した(李洋秀「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉(その4)」)。
ここでの交渉で韓国側は徴用労務者への補償金を求めているが、すでに1953年4月から7月の第2次日韓会談で、韓国側は一般徴用者関係では申告者数10万5151人に対する未払い金・弔慰金を求め、死亡者を12603人、負傷者を約7000人としている。他には陸海軍関係で約7万4800人分の弔慰金を求め、他には郵便貯金、有価証券、日本銀行券などについても数値をあげて返還を求め、引揚時預託金の返還も求めている(「韓国側提示項目及び金額」外務省文書1953年)。
このような対応からわかるように、日本には占領と植民地支配を反省する視点がなく、強制連行を犯罪として認知する姿勢がなかった。資料も隠蔽し、供託名簿や厚生省調査労務者名簿、郵便貯金名簿、厚生年金保険名簿などがあったにもかかわらず、それを韓国側に提示していない。日韓交渉では賃金や預貯金などの未払い金の実態は提示されなかった。
結局、アメリカのベトナムへの軍事的侵攻と日米韓の軍事的同盟強化という政治的意思の下で、日本による無償3億ドル、有償2億ドルの「経済協力」と引き換えに、韓国側は対日請求権を放棄し、1965年に日韓条約と協定が結ばれることになる。この日韓協定の成立を受け、さらに日本政府は1965年12月に、韓国人の請求権を消滅させるための韓国民等財産権措置法(法律144号)を制定した。それによって被害者個人へと未払い金が返済されえない状態をつくりあげたのである。
1995年2月、三菱重工広島機械製作所に連行され、未払い賃金を請求する朴昌煥さんの代理人(弁護士)が本人の供託名簿を広島法務局で閲覧した。交渉の末に連行企業の供託記録が公開されたのだが、法務局は未払い金の返還については認めなかった。
2004年に盛岡地方法務局は、日本製鉄釜石製鉄所に連行され、艦砲射撃で死亡した朝鮮人4人の遺族の未払い金還付請求を認めなかった。韓国民等財産権措置法で請求権が消滅しているというのである。これでは未払い金などの供託金は永久に支払われないことになる。
1946年の厚生省勤労局調査(朝鮮人労務者に関する調査)の名簿には企業ごとに多くの未払い金が記されているが、そのすべてが供託されたわけではない。調査未報告のものも多く、闇に消えたままの未払い金も多い。
1949年末での大蔵省の朝鮮人の在日資金調査で判明した未払い金をみれば、供託・未供託をあわせて2億4000万円近い金銭がある。この調査では、軍人軍属関係の未払い金を約17万件、陸軍約900万円、海軍約5640万円としている。
1956年に厚生省引揚援護局が作成した「朝鮮出身のもとの陸海軍軍人軍属に対する給与について」では、約9万人分9131万円となっている(朝日新聞2002年10月28日付夕刊)。ここでの増加分は1950年代になって軍人軍属関係の供託がすすめられたことによるものとみられる。
当時の額面を日本政府は台湾人軍人軍属については120倍でレート換算したが、これよりも数倍の比率で換算すべきであろう。判明未払い金だけでも、たとえば1000倍して換算すれば2700億円ほどになる。そしてそれは戦争被害者個人に返されるべきものである。
1956年に法務省は供託金に対して、時効による歳入への納付を留保し、保管し続けることを指示している。田代有嗣「日韓条約の成立と朝鮮関係供託」(民事月報21−12、法務省民事局、1966年)をみると、朝鮮人供託金のうち北の分の供託を残すためには、朝鮮人の供託についてすべてそのまま残しておかざるを得ないことが記されている。
供託金は返還されることもなく、今も日本銀行に残されている。この供託金の存在をふまえ、連行被害者賠償関係法を制定し、連行企業からの拠出をも求め、強制労働被害者個人への賠償のための基金を形成することもできるだろう。
厚生省勤労局調査名簿や供託報告書名簿の存在は、日韓交渉で自ら資料を持ちながら韓国側に被害立証を求めた日本側の虚偽と欺瞞を明らかにする。時期は遅れたが、いまからでも、日本政府と関係企業が史実を認め、歴史的な責任をとり、和解に向けての道を切り開くことが求められている。
三 未払い金と供託について
ここでみてきたように、戦後、朝鮮人の未払い金の多くは供託によって処理されていった。
この供託には2種類があり、一つは民法494条によるものである。この供託は弁済者が供託によって債務を免れるというものであり、弁済供託という。なお、民法495条では、供託場所を債務の履行地の供託所とし、債務者へは供託通知書を出すこととしている。
この供託が行われるようになるのは、1946年の厚労発572号労政局長通達「朝鮮人労務者等に対する未払い金その他に関する件」によるものであり、朝鮮人連盟などの団体が各事業所に対して未払い金の支払いを請求する動きに対抗しての処理方法だった。
もう一つの供託は、1950年2月28日の政令22号「国外居住外国人等に対する債務弁済のための供託の特例に関する政令」によるものである。この供託処理では、供託場所を東京法務局とし、政令で定めるまで供託金の時効はないものとされた。また、民法495条による供託通知書の発行は不必要とした。
通知なしで供託をすることを認めたわけであるが、供託は債権の保護のためのものであり、返還を請求する権利は継続しているということができる。
朝鮮人の未払い金については、1946年ころから供託が行われていき、さらに1950年の政令22号で再供託されたものもあるようである。政令22号によって、軍人軍属についての未払い金は東京法務局への供託がすすめられ、軍人軍属分ですでに供託されていたものは再供託されていった。軍人軍属の未払い金については東京法務局で集中した管理がおこなわれるようになったということができる。
真相究明ネットメンバーの情報公開請求によって、東京法務局の供託明細書については氏名・住所などを伏せた形で公開されたが、明細書は1950年で540枚、1951年で3524枚、1952年で3024枚、1953年で1942枚であり、1954年には2枚となって減少している。供託が1950年から53年にかけて集中しておこなわれていたことがわかる。1958年と59年には226枚、221枚の増加がみられる。1950年から52年の供託のうち労働者分は109件516枚であり、多くが軍人軍属分とみられる。
供託にあたっては、供託書が作成され、添付書類として供託明細書も作成された。この明細書には債権者である朝鮮人の氏名や住所が記載されることになる。供託書は正本と副本が作成され、正本は供託者の企業などが、副本は供託所である法務局などが保管する。また、供託を受ける機関では、供託の受付簿を作成する。政令22号による供託についてみれば、東京法務局の場合、1950年3月から1959年3月までは「金銭供託受付簿」、1959年以後は「金銭供託元帳」という帳面で保管されている。これらの供託書類は重要書類であり、企業内でも保管されているものが多数あるだろう。
各企業による労働者未払い金の供託状況の集計は、1950年10月の労働省労働基準局の調査「帰国朝鮮人に対する未払賃金債務等に関する調査について」で行われた。それにより、1953年には全国的な一覧表である「帰国朝鮮人に対する未払賃金債務等に関する調査集計」が作成され、「朝鮮人の在日資産調査報告書」なども作成されている(『韓国105』)。この文書が2008年に公開されたことにより、企業ごとに未払い金の供託状況があきらかになった。この史料によれば、供託・未供託分での未払い金の判明分は、約13万件分、約14360円分となる。
しかしこれは未払い金の一端を示すものとみられる。この調査が、『経済協力韓国105』という文書に収録されているように、日韓交渉における日本側の内部資料として作成されたものである。
軍人軍属の供託金については、2007年12月に日本政府から韓国政府に軍人軍属関係の供託書と供託明細書が渡された。それにより韓国の日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会での調査も進展し、調査報告「朝鮮人軍人軍属に関する『供託書』『供託明細書』の基礎分析」(『韓日民族問題研究』14所収)も出された。
この韓国側に渡された史料の分析によれば、明細書の件数で、陸軍で約6万、海軍で約5万5千人分の計11万5千人ほどが記載され、重複を除けば、供託人数は陸軍で58126人、海軍で36449人の計94575人分となり、金額は陸軍で約3360万円、海軍約5818万円の計9178万円になるという。つまり、9000万円を超える金額が未払いのままになっていることが判明している。
しかし、「旧海軍軍属身上調査表」には92209人の供託が記されていることから、この判明分の数は未払い金の一部を示すものとみられている。海軍分の分析結果をみると、1946年から49年までに各地で供託されていたものが、政令22号によって1951年以降、東京法務局へと再供託されていることがわかる。
なお、2010年1月、韓国の真相糾明委員会は、企業に連行された労働者分の供託金名簿の情報については、日本政府から韓国政府へと2010年3月に引き渡されることを公表した。今後の分析によって、企業への強制連行の状況が明らかになるだろう。
四 日韓会談公開文書・外務省アジア局北東アジア課資料について
市民団体による日韓会談文書の公開請求によって、外務省アジア局北東アジア課関係資料が部分公開された。韓国側の請求に対抗して、日本側が調査した数値については、ほとんどが黒塗りされての「公開」だった。
韓国側の請求によって詳細な議論がなされたのは、第6次日韓会談の一般請求権小委員会の場であった。この委員会での討議に加えて「一般請求権徴用者関係等専門委員会」が持たれ、議論が交された。
これらの議論の状況を示す資料が、外務省アジア局北東アジア課による「第6次日韓全面会談の一般請求権小委員会」第1回〜11回記録1961年10月〜1962年3月、「一般請求権徴用者関係等専門委員会」第1回〜4回記録1962年2月、『日韓会談における韓国の対日請求8項目に関する討議記録』1964年1月などである。
『日韓会談における韓国の対日請求8項目に関する討議記録』は外務省アジア局北東アジア課が1964年1月にまとめた160ページほどの冊子である。これは、日韓会談での請求権交渉での討議がまとめられている。この資料からは、1961年10月から1962年3月にかけての一般請求権交渉の状況と日本側がこまかく請求項目について査定していたことがわかる。
公開文書をみると、日本側が韓国側に請求に対してその請求額を査定するためにさまざまな調査をおこない、多くの資料を保有していたことがわかる。またそれらの資料の数値のほとんどが公開にあたって黒く塗られて隠蔽され、現時点でも非公開のままである。日本政府は日韓協定から40年以上を経た今日でも日本国民にそれらの数値を公開できない。このような状態はこの国が主権者国民のものではないということである。
『日韓会談における韓国の対日請求8項目に関する討議記録』のなかの黒塗り部分には連行者数や未払い金額などの記載も含まれている。外務省はこれらを全面公開すべきである
参考文献
『経済協力 韓国105/労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』1953年大蔵省文書(国立公文書館つくば分館蔵)
『供託政令/朝鮮人船員の未払給与等』1949年(国立公文書館つくば分館蔵)
長澤秀「戦時下常磐炭田における朝鮮人鉱夫の労働と闘い」梁泰昊編『朝鮮人強制連行論文集成』明石書店1993年所収
桑原真人『近代北海道史研究序説』北海道大学図書刊行会1982年
朝鮮人強制連行実態報告書編集委員会『北海道と朝鮮人労働者』札幌学院大学生活協同組合1999年
古庄正「連行朝鮮人未払い金供託報告書」『経済学論集23-1』駒沢大学経済学会1991年
古庄正「朝鮮人強制連行問題の企業責任」『経済学論集24-2』駒沢大学経済学会1992年
古庄正「日本製鉄株式会社の朝鮮人強制連行と戦後処理」『経済学論集25-1』駒沢大学経済学会1993年
古庄正「足尾銅山・朝鮮人強制連行と戦後処理」『経済学論集26-4』駒沢大学経済学会1995年
古庄正・田中宏・佐藤健生他編『日本企業の戦争犯罪』創史社2000年
山田昭次・田中宏編『隣国からの告発』創史社1996年
『三菱は未払い賃金を支払え!』三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会1996年
「供託書についての古庄正駒沢大学名誉教授の意見報告書」2004年 三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会
李洋秀「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉(その4)」『季刊戦争責任研究』57・2007年
「強制動員真相究明全国研究集会資料集」強制動員真相究明ネッワーク2009年7月
田代有嗣「日韓条約の成立と朝鮮関係供託」『民事月報』21−12 法務省民事局1966年
朝日新聞2002年10月28日付夕刊、朝鮮人軍人軍属未払い賃金記事
「日韓会談文書・全面公開を求める会ニュース」12号2008年7月
2009年7月、2010年2月改稿