連行期朝鮮人名簿調査の現状と課題

                             

 連行期朝鮮人名簿一覧

1990年代以降、強制連行期の関係史料や朝鮮人名簿の調査がすすんだ。ここでは発見された名簿に関わる資料についてまとめ、今後の課題について考えていきたい。

 

1 厚生省勤労局調査史料

 

「朝鮮人労務者に関する調査」名簿は、戦後の1946年に厚生省勤労局が調査したものであり、現在16府県分が発見されている。この名簿は朝鮮人連盟による戦後の未払い金などの請求行動に対抗して調べられたものであり、朝鮮人労働者の名簿を保管していた企業がその報告様式に従って、名簿を作成した。戦後の調査であり、完全な名簿が提供されているところは少ないが、連行状況が具体的に判明する名簿もある。

この史料から100人以上が連行され、その名簿が判明した事業所をあげると、次のようになる。

秋田・花岡鉱山、小坂鉱山、三菱尾去沢鉱山、鹿島組花岡、鹿島組不老倉、小真木鉱山、醍醐村明沢溜池工事、多田組相内鉱山、多田組小坂鉱山、日本鉱業花輪鉱山、発盛鉱山、堀内組先達、

宮城・菅原組多賀城、西松組塩釜、三菱細倉鉱山、東北配電新花山、新潟鉄工三本木鉱山、間組小牛田、萬歳鉱山、

茨城・日本鉱業日立鉱山、日立製作所水戸工場、羽田精機、

栃木・古河足尾鉱山、日産土木、日本鉱業木戸ヶ沢鉱山、日本鉱業日光鉱山、古澤組

静岡・宇久須鉱山、戦線鉱業仁科鉱山、古河久根鉱山、日本鉱業峰之沢鉱山、中村組、黒崎窯業清水工場、鈴木式織機、土肥鉱山、日本鉱業河津鉱山、間組久野脇発電

岐阜・三井神岡鉱山、

長野・鹿島組御嶽、相模組大町、飛島組波田

三重・石原産業紀州鉱山

兵庫・川崎重工葺合工場、川崎重工兵庫工場、神戸製鋼本社工場、日亜製鋼、播磨造船所、三菱生野鉱山、三菱明延鉱山、三菱中瀬鉱山、三菱重工神戸造船所、春日鉱山、大倉土木桜山、神崎組、神戸貨物自動車、神戸船舶荷役、住友電工伊丹製作所、日本セルロイド網干工場、日本製鉄広畑工場、日本制動機、日本パイプ製造園田工場、広畑港運、吉原製油西宮工場、

福岡・三井三池炭鉱万田坑、宝珠山炭鉱、三菱化成黒崎工場、三菱鯰田炭鉱、浅野セメント、黒崎窯業、東海鋼業若松工場、博多港運、

佐賀・貝島岩屋炭鉱、唐津炭鉱、杵島炭鉱、小岩炭鉱、川南工業浦ノ崎造船、麻生久原炭鉱、唐津港運、杵島北方炭鉱、立川炭鉱、立山炭鉱、西杵炭鉱、新屋敷炭鉱、

長崎・川南工業深堀造船所、伊王島炭鉱、中島鯛之鼻炭鉱、中島徳義炭鉱、日窒江迎炭鉱、日鉄鹿町炭鉱、神林炭鉱、三菱崎戸炭鉱、三菱高島炭鉱、大志佐炭鉱、清水組、平田山炭鉱、長崎港運、町営溜池工事、三菱長崎製鋼、

なお、佐賀県名簿の麻生久原炭鉱の名簿は198人分である。

 

2 企業史料

 

 企業史料には朝鮮人の名簿や連行の具体的な状況を記したものもある。

北海道炭鉱汽船(北炭)、住友鴻之舞鉱山、住友歌志内炭鉱、日曹天塩炭鉱、明治平山炭鉱などの史料が残されている。これらの企業史料のなかには、募集関係史料があるものもある。その史料から連行者の募集や連行者名簿、着山者名簿、逃亡者、死亡者名簿を作成することができる。北海道炭鉱汽船関係では万字炭鉱の鉱員台帳や平和炭鉱の鉱員台帳がある。鉱員台帳には氏名、住所、異動状況などがこまかく記されている。また、事故報告書(変災報告)、殉職者名簿などからも氏名などが判明する。

連行期の企業史料では、次のような事業所の名簿が判明しているが、全連行者を示すものは少ない。

北海道・北炭幌内炭鉱万字・美流渡約1450人(鉱員台帳)、北炭平和・真谷地・登川・角田・新幌内炭鉱の約1900人(朝鮮募集関係綴の連行名簿)、住友鴻之舞鉱山約2700人(足尾・花岡・別子・奔別・金屋淵への転送者名簿を含む)、日曹天塩炭鉱約790人、住友歌志内炭鉱約960人(鉱員文書綴)、三井東洋高圧砂川約80人(社史)

秋田・花岡鉱山、宮田又鉱山(賃金名簿)

茨城・日立鉱山

東京・サクション瓦斯機関製作所29人(移入書類)、

愛知・豊川海軍工廠火工部198人(工員給与調査票)、

兵庫・川西航空機甲南38人、住友電工伊丹22人、

島根・都茂鉱山64人、

広島・呉海軍工廠1045人(戦後の寮生名簿)、東洋工業94人(身上調査票等)、

山口・長生炭鉱453人(記録簿・氏名のみ)

福岡・明治炭鉱(初期連行者名簿)、明治平山炭鉱(連行者名簿)、日鉄二瀬炭鉱(鉱員索引)、貝島大之浦炭鉱(災害報告等)、

長崎・川南工業霧島隊名簿463人

花岡鉱山、川西航空機甲南の史料は戦後に朝鮮人連盟に出されたものである。同様の名簿に三井染料と電気化学工業の名簿390人分がある。三井三池炭鉱での死亡者の名簿も提出されている。これらは企業資料から転記されたものとみられる。

また戦後、GHQに提出された三井三池炭鉱の名簿がある。のべ一万人を超える名簿であるが、重複があり、実数は3500人ほどである。これは氏名だけである。

連行期に企業によって作成された名簿の発見は数少ない。今後の調査が求められる。

企業史料としては、慶応義塾大学図書館、九州大学、北海道開拓記念館などの石炭関係史料の調査が求められる。企業自身が保存している資料の公開も求められる。

ここには海軍工廠関係も入れたが、海軍軍属関係の名簿と重複があるとみられる。

 

3 死亡者名簿関係史料

 

死亡者名簿には、当時企業側が作成したもの、産業報国会などがまとめたもの、追悼碑に刻まれたもの、自治体に保管されていた埋火葬関係史料や寺院の過去帳になどを調査して戦後にまとめられたもの、企業・自治体などの史料を利用して社史・自治体史・組合史などに記されたものなどがある。戦後の調査によって作成されたものには誤り等もあるが、複数の史資料と照合することで、より正確な名簿を作成できる。

おもな史料・名簿をあげてみよう。

北海道では、北炭平和・真谷地・登川・夕張・万字 殉職者過去帳 約200人、札幌別院「遺骨遺留品整理簿」等約100人、北海道開拓殉難者調査報告書作成時の死亡者調査名簿、平和愛泉会名簿「朝鮮半島出身戦争犠牲者名」、美唄関係朝鮮人死亡者名簿約500人(埋火葬関係書類)、赤平市 合祀殉職者名簿345人、赤平・歌志内・豊里・茂尻・芦別等過去帳調査名簿(杉山四郎氏調査)、太平洋炭鉱殉職者(組合史)、牧之内飛行場工事、計根別飛行場、浅茅野飛行場、茅沼炭鉱、朱鞠内ダム、名雨線工事などの死亡者名簿がある。

他の地域では、浮島丸死亡者名簿、花岡鉱山七ツ舘事故死亡者名簿、平岡発電工事死者名簿(埋火葬)、中島飛行機半田製作所空襲死者名簿48人、三井神岡鉱山関係死者名簿34人(埋火葬)、播磨造船戦災死者名簿、岩美鉱山名簿、岩国関係死者史料(埋火葬)、誠孝院遺骨名簿152人、三菱高島(埋火葬)、三菱崎戸(埋火葬)、常磐炭鉱殉職者名簿約300人(長澤秀氏作成)、貝島大之浦炭鉱死亡者名簿84人(長澤秀氏作成)、筑豊炭田での過去帳調査名簿約300人(金光烈氏作成)などがある。

埋火葬関係書類は塩釜、猪苗代などでも発見されている。

福岡では自治体の埋火葬関係資料などに対する情報公開請求がおこなわれ、死亡者調査がすすんだ。それにより、穂波町では火葬認許証控綴、宮田町では埋火葬許可原簿、小竹町では埋火葬書類、飯塚市では火葬許可願綴、山田市では山田町役場受付帳が公開された。この公開によって多数の朝鮮人死者の氏名・住所が明らかになった。

岐阜の三井神岡鉱山関係では市民団体が死亡者名簿を収集して飛騨市に情報提供を求めたところ、飛騨市は旧神岡町の受付帳から死亡者情報を提供した。

追悼碑からは、沼倉発電、宮下発電、大井川久野脇発電、横須賀海軍建築工事、相模発電、兼山発電、三菱重工道徳工場、三菱重工長崎などでの死者の名が判明している。

全国的な名簿としては大日本産業報国会による「殉職産業人名簿」(〜1942年)があり、北海道については「殉職産業戦士名簿」(〜1940年)がある。大日本産業報国会「殉職産業人名簿」には1060人ほどの朝鮮人殉職者の氏名・連絡先が記されている。ここから5人以上の死亡者が記されている事業所をあげると、炭鉱では以下のようになる。

北海道 北炭夕張・角田・真谷地・空知・幌内・新幌内、三井砂川・美唄、三菱大夕張・美唄、雄別・茂尻、住友赤平・奔別・歌志内、浅野雨竜、太平洋、明治昭和、

東北 鯛生田川、入山採炭、磐城、

山口 宇部沖ノ山・本山、桜山、長生、山陽無煙、

九州 麻生赤坂・上三緒・綱分・山内、貝島大辻・大之浦、嘉穂、住友忠隈、日産遠賀、日炭上山、古河大峰・下山田、三菱飯塚・上山田・鯰田・方城・新入、明治赤池・高田、貝島岩屋、新屋敷、大鶴、立川、三菱高島・崎戸、住友潜龍、池野 

鉱山では、住友鴻之舞、三菱佐渡などがあり、他には十和田発電熊谷組、久野脇発電間組・大倉土木、門司、馬手浦工業所などでの死亡者を知ることができる。

これらの事業所はほとんどが連行現場であり、死者の多くが連行された人々とみられる。

岩手県、福島県、栃木県(足尾)、茨城県(日立など)、群馬県、福岡県(無窮花堂)、佐賀県、鹿児島県には、戦後、民間による追悼の活動のなかで作成された犠牲者名簿がある。

韓国春川市の追悼堂の名簿には500人ほどの記載がある。このうち遺骨があるものは鹿児島・茨城・夕張など半数ほどという。

天安市の望郷の丘には約1万人分があり、神奈川・北海道・三重・福岡・山口・宮城・広島などから送られた遺骨がある。この中から連行期の死亡者の氏名を調査できる。

 

4 自治体史料

 

長崎市が作成した「長崎朝鮮人被爆者名簿」をみると、戸籍受付帳からの引用がある。他には、朝鮮人登録索引簿、被災世帯基礎調査票、被爆者交付手帳受付、死体検視名簿などの記事もある。この被爆者名簿には、三菱長崎造船所福田寮関係約80人や金比羅山高射砲陣地朝鮮人兵士7人なども収録されている。戸籍受付帳や登録索引簿などの調査によって当時の移住状況が判明する。

戸籍受付帳や埋火葬関係資料以外にも行政資料の中に朝鮮人関係の名簿が含まれていることがある。1945年の選挙関係綴の文書・泊村「選挙権下調書」には茅沼炭鉱や玉川鉱山に連行されていた朝鮮人の氏名がある。

「町民税賦課調書」に朝鮮人の記事があることもある(『三笠市史』)。

当時の自治体の書類のなかに労働者名簿が挿入されているケースもある。日軽金富士川発電工事での飛島組の労働者名簿は行政文書のなかにあったものである。

常磐炭鉱では福島県がまとめた死亡者名簿が戦後、提供されている。

 

5 逃亡者・帰国者史料

 

連行者は現場から逃亡するケースが多かったが、逃亡者は警察に通報された。

1939年から40年ころの逃亡者に関する警察史料がサハリンで発見されている。史料には、サハリンや北海道関係の逃亡者の氏名が多い。この史料からサハリンでの連行事業所が判明するが、その数や氏名については不明の点が多い。

この史料には、静岡・山梨両県にわたる大工事であった日軽金富士川発電工事関係の逃亡者の名簿が多数含まれている。日軽金富士川発電工事では西松組・飛島組・大倉土木によって数千人が連行されているが、そのうち逃亡者約300人分の氏名・住所が判明した。静岡関係では大井川の久野脇発電工事・間組の逃亡者の名簿も含まれている。

警察への手配を依頼した文書としては、三井玉野造船所76人分の逃亡者の史料や日曹天塩炭鉱のものがある。

警察史料には解放後の動向を探ったものもあり、そのひとつである新潟県の警察文書には、信越化学直江津工場101人の帰国者名簿が含まれていた。

今後、警察関係史料が発見されれば、より多くの逃亡者や帰国者の氏名が判明する。

裁判史料にも連行者の氏名・住所が記されていることがある。古河好間炭鉱の事件での裁判史料などが発掘されている。

韓国での真相糾明の活動の中で発見された名簿類には帰国者が保存していたものがある。発見された名簿類には、三井砂川炭鉱、三重・名張鉱山(川南工業からの転送者)、兵庫・川崎造船(1944年10月漆谷郡)、東洋高圧彦島、川南工業愛国寮、住友赤平帰国者名簿、樺太帰国希望者名簿などがある。

韓国内で戦後の1957年から58年ころにかけて被害状況をまとめた「倭政時被徴用者名簿」などもある。これらの名簿類の分析が求められる。

 

6 供託関係史料

 

解放後、朝鮮人連盟などが未払金などの支払いを求めて運動を強めた。これに対し、1946年、政府は連行企業には補償金を支払って救済し、連行労働者への未払い金については供託をすすめ、朝鮮人連盟の要求を拒否した。

『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』には「帰国朝鮮人労務者に対する未払賃金債務等に関する調査統計」(労働省労働基準局給与課1953年、1950年調査の集計)が収録されている。集計表は、府県・事業場・債務の種類・債権者数・金額・供託日時などの順で記されている。

この史料から供託事業所の一覧が作成できる。供託の際には氏名・住所などを記した供託名簿が作成されているが、この名簿の氏名等は公開されていない。この公開が求められる。

日本製鉄の供託名簿から、日本製鉄釜石690人、日本製鉄大阪197人、日本製鉄八幡3042人の氏名・住所などが判明している。

不二越訴訟では、供託金明細書(名簿)、未払金内訳、供託金還付請求者名簿などの供託関係史料、従業員名票、朝鮮人労務者調査(朝鮮人連盟富山宛)などが確認されている。他の企業にもこのような史料が保存されている可能性が高い。積極的な公表が望まれる。

供託関係では、1946年10月12日厚生省労政局「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」(供託の指示、)1950年2月28日「国外居住外国人等に対する債務の弁済のためにする供託の特例に関する政令(政令第22号)」(政令前の供託分を東京法務局に供託、未供託を速やかに供託、軍人軍属関係の未払い金も供託)。1947年7月4日厚生省労働基準局長「朝鮮人労務者等に対する未返還郵便貯金通牒に関する件」(原簿所管庁で一括保管)などの通牒類がある。

この供託についての本人への通知は不十分であり、その名簿は日韓会談では公表されなかった。日本側には供託名簿や厚生省調査労務者名簿、郵便貯金名簿、厚生年金保険名簿などがあったが、会談では提示していない。日韓協定後に連行被害者が供託金の支払いを要求したが(三菱重工広島・1995年、日本製鉄釜石・2004年)、法務局はその支払いを拒否した。

1950年の労働省による「帰国朝鮮人に関する未払金並債務等に関する調査」は日韓会談に向けての在日資金調査のひとつであり、『経済協力 韓国105 労働省調査 朝鮮人に対する賃金未払債務調』に収録され、主要史料として大蔵省で保管されてきた。

社会保険名簿についてみれば、中島飛行機半田製作所の被保険者名簿から1235人の氏名が判明し、兵庫・中瀬鉱山、福岡・船岡鉱業などでも名簿が発見されている。

社会保険名簿や貯金名簿についての公開が求められる。

 

7 軍人軍属関係史料

 

韓国政府へと送られた軍人軍属関係名簿は以下のものがある。

「被徴用死亡者連名簿」21692人、陸軍「留守名簿」114冊160148人、海軍「軍人履歴原表」21420人、海軍「軍属身上調査表」79358人、陸軍「兵籍・戦時名簿」20222人、陸軍「工員名票等」(軍属工員)2102人、陸軍「軍属船員名簿」(陸軍軍属船員) 7046人、陸軍「病床日誌」(陸軍軍人軍属・診療記録) 851人、陸軍「臨時軍人軍属届」46164人、陸・海軍「俘虜名票」(捕虜軍人軍属) 6942人(数値については韓国側がHPで公表したものを記した)。これらの多くは厚生省援護局関係史料である。

このうち主要な名簿は、陸軍「留守名簿」、海軍「軍人履歴原表」、海軍「軍属身上調査表」であり、これらの名簿だけで24万人を超える。これらの名簿には重複はないとみられる。陸軍「留守名簿」と海軍「軍人履歴原表」・「軍属身上調査表」を分析することで、どのような部隊に編成されて、どれほどがアジア各地に連行されていったのかも明らかになるだろう。

これらの名簿を基礎に、他の工員名票、軍属船員名簿、俘虜名票、臨時軍人軍属届、被徴用死亡者連名簿(京畿・江原・忠清・慶尚・全羅・咸鏡・平安・黄海分)などの名簿と照合し補充することができる。

さらに、別途発見されている朝鮮人陸軍軍人調査名簿(戦後の復員調査)、パラオ諸島「朝鮮労務者関係綴」、メレヨン守備桑江隊関係名簿、学徒兵名簿、長崎金比羅山高射砲陣地朝鮮人兵士被爆名簿、沖縄捕虜収容所朝鮮人名簿、沖縄・本部町「特設水上勤務第104中隊」軍夫編成表、ハワイ捕虜収容所名簿、太平洋戦争韓国人戦没者遺骨名簿などとの照合・補充が求められる。

厚労省援護局調査資料室には、戦後に作成された朝鮮人名簿「特水勤104(球8887)朝鮮人状況不明者名簿 昭和23年12月 第1整理課船舶班調製」があり、このような種類の名簿が多数保管されているとみられる。厚労省にあるこれらの名簿類の公開が求められる。

真相糾明委員会が集約した、中支派遣鯨6882部隊名簿、北支派遣鎮11174部隊第6中隊名簿、十字星盟友会会員録、海南島関係名簿、南方朝鮮出身者名簿、南方トラック島被徴用者名簿、クサイエ島朝鮮革進会芳名録、朔風会名簿といった名簿類との照合も求められる。

性的奴隷とされた人々については、帰国者初期名簿、ビルマの名簿(英文)、証言などから名簿を作成し、軍属関係の名簿と照合して被害実態を明らかにすることが求められる。

帯広の土木名簿(朝鮮土木者連名簿148人)は「鏑1046部隊」からの引継ぎ者の名簿である。この名簿は陸軍飛行場建設関係で動員された朝鮮人のものであり、軍属として扱われていたとみられる。陸軍軍属関係名簿との照合が必要である。

 

8 強制労働賠償基金の設立

 

1949年末の大蔵省調査「朝鮮人の在日資金」で判明した未払い金額は、供託・未供託をあわせて2億4000万円近い。この調査では、軍人軍属関係の未払い金を陸軍約900万円、海軍約5640万円としているが、1956年に厚生省引揚援護局が作成した「朝鮮出身のもとの陸海軍軍人軍属に対する給与について」では、計約9万人分9131万円としている。ここでの増加分は1950年代になって軍人軍属関係の供託がすすめられたことによるものである。2009年にこの頃の供託の増加状況を示す史料が公開された(氏名は非公開)。

当時の額面を日本政府は台湾人軍人軍属については120倍でレート換算したが、これよりも数倍の比率で換算すべきである。判明未払い金だけでも、たとえば1000倍して換算すれば2700億円ほどになる。

1956年に法務省は供託金に対して、時効による歳入への納付を留保し、保管し続けることを指示している。供託金は返還されず、今も日本銀行に残されている。この供託金は強制連行被害者のために活用されるべきである。この資金を利用し、連行被害者賠償関係法を制定し、連行企業からの拠出をも求め、被害者個人への賠償のための基金を形成することもできる。

日韓交渉において、日本側は厚生省勤労局調査名簿や供託報告書名簿などの資料を持ちながら、韓国側に被害立証を求めていた。時期は遅れたが、いまからでも、日本政府と関係企業が史実を認め、歴史的な責任をとり、和解に向けての道を切り開くことが求められている。過去の清算の活動は、民衆が主権と尊厳を確立し、国境を越えて平和的な関係を形成していくことでもある。

                                (2009年4月)