2012.6.8不二越東京本社行動

 

2次不二越裁判は201110月に最高裁で棄却された。しかし、原告団と第2次不二越訴訟を支援する北陸連絡会は、勝利まで闘うことを宣言し、株主総会をはじめ不二越本社への闘いをすすめてきた。強制労働被害が消え去ったわけではなく、尊厳回復への想いが無くなったわけではない。20122月末に韓国で発表された第2次戦犯企業リストには不二越が追加された。3月には韓国の光州で「光州市日帝強占期女子勤労挺身隊被害者支援条例案」が議決され、被害者支援のための生活補償や医療補償がおこなわれることになった。

さらに524日には韓国の大法院が新日鉄と三菱重工に関する裁判での原告敗訴の判決を破棄し、差し戻すという決定をした。この決定は大きな意味を持っている。

その判決では、時効については、被告企業が一方的に消滅時効を語ることを信義誠実に反するものとし、権利の乱用とした。別会社論についても、その実質において同一性を維持し、形式的な別会社論での請求拒否は認められないとした。さらに日韓請求権協定で原告の請求権は消滅したという論に対しては、反人道的な不法行為や植民地支配に直結した不法行為による損害賠償請求権については、請求権協定では消滅していないとし、韓国の外交保護権も放棄されなかったと判断した。

この判決では、植民地合法論を背景とする日本の判決を韓国憲法の核心的価値と正面から衝突するものとし、日本判決を承認することは善良な風俗や社会秩序に反するものとしたのである。三菱や新日鉄はこの判決を受け止めて対応せざるをえなくなっている。不二越も同様である。

今回の不二越東京本社行動はこのような情勢のなかでもたれた。初夏の太陽の下、不二越の入る住友汐留ビルの階上の通路に風が吹き抜ける。「13歳で不二越へ連行、今や82歳のハルモニ・・」「裁判所は謝罪と賠償を拒否する戦犯企業をこれ以上許さなかった」などの横断幕が風に揺れる。韓国からの参加者をはじめ、集会には60人が集まり、アピールが始まった。

今回の行動には金正珠さん、金啓順さん、崔姫順さんの3人の原告が参加した。原告がマイクを握って訴えた。金正珠さんはつぎのように話した。

13歳の時に不二越に連行され、天皇のため、日本のため、不二越のためにと働かされた。空襲がはげしくなり、靴を履いたまま床に就き、空襲の度に逃げまどった。宿舎に帰ると翌朝には出勤をさせられた。解放になっても何の補償もなかった。鉄条網で囲まれた寄宿舎のなかに入れられ、奴隷のように働かされた。そんな実態を社長は知っているのか。不二越の若い社員は知っているのか。社長は人間として会うことさえしない。しかし引きさがりはしない。市民の会も共に闘っている。謝罪と補償を勝ち取るつもりだ。今日は命を投げ出す決意で参加した」と。

三菱重工と東京麻糸の朝鮮女子勤労挺身隊、企業裁判全国ネットなどの関係者や労働組合の支援者が次々にマイクを握り、解決に向けての問題提起と連帯のあいさつをおこなった。不二越は元勤労挺身隊員と会って話をする姿勢を持たない。このような不二越の対応が「私たちをいまも人間として扱わない」という怒りを呼んでいる。

不二越本社前での行動の後、戦後補償議員連盟の4人の国会議員が参加しての院内集会がもたれた。集会では勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会の金煕繧ウんや李国彦さんが、65年協定には問題があったが、5月の韓国大法院判決は個人の請求権を認めたこと、ハルモニの救済に向けて基金などの新たな制度をつくっていく時を迎えたことなどを語った。そして3人の原告の訴えが続いた。

1992年の富山地裁での提訴以来、不二越の闘いは今年で20年となる。闘い続けることで光が見えてきた。韓国の民衆運動の切り開いたこの地平に立ち、解決に向けての新たな行動が求められている。