第二回朝鮮人中国人強制連行強制労働を考える全国交流集会

一九九一年七月、第二回朝鮮人中国人強制連行強制労働を考える全国交流集会が兵庫県西宮市でもたれた。集会では、三井玉野造船、川崎重工泉南、ウトロ、海軍日吉台地下壕、BC級戦犯、丹波マンガン鉱山、中島飛行機浅川地下工場、川崎重工高槻地下工場、松代大本営地下壕、長生炭鉱、三菱亀島山地下工場、三菱熊本地下工場など、全国各地からの報告があった。

集会の分科会は、入門講座、花岡蜂起、土木建設、炭鉱・鉱山・軍需工場、地下工場・地下施設、軍人軍属・慰安婦、教育実践、映像記録、地域史見直し、戦後補償など一〇のテーマでもたれた。

炭鉱・鉱山・軍需工場の分科会に参加したが、兵庫・大阪・京都・東京・山口・石川・福岡・長崎・佐賀・広島などからの参加があった。この分科会では、調査や研究が賠償の運動に耐えられるものであること、相互批判による突き詰めた論議が必要であること、連行に関しての具体的な数値を出していくこと、未払い賃金問題を明らかにすること、知事引継書の公開と実態調査をすすめることなどの意見が出された。

集会の翌日には、「アリランのうた」の上映会と川崎航空機の甲陽園地下工場のフィールドワークがあった。甲陽園は甲山の山麓にあり、戦時期には山地であったが、現在では開発がすすんで住宅地となっている。この住宅地の下に地下工場があり、七カ所にわたる。

川西航空機の設立は一九二八年であり、一九三〇年に西宮の鳴尾に工場を移転した。神戸(甲南)、宝塚、姫路などにも工場があり、海軍機の「紫電改」などの生産をおこなった。川西航空機は海軍の指定工場とされ、空襲が激しくなると、甲陽園、山芦屋、苦楽園、北条、福地山などに地下工場を建設した。

兵庫朝鮮関係研究会の『地下工場と朝鮮人強制連行』には一〇カ所の現地調査の報告記事があるが、そのうち五ヶ所がこの川西飛行機の地下工場の調査である。甲陽園の地下壕工事は大阪海軍警備府の海軍施設部第二〇〇設営隊の下で、大林組・西松組・鴻池組・奥村組・飛島組が分担して請け負ったという。飛島組配下で多奈川などの現場から転送された者、朝鮮から直接連行されて各組に割り当てられた者など、一〇〇〇人以上の朝鮮人が動員されたとみられる。八・一五の夜には甲陽園の谷間の広場で朝鮮人が「戦勝祝賀会」を開いたという。

甲陽園地下工場跡では一九八七年の現地調査によって「朝鮮國獨立」の文字が発見された。また、万池谷墓地の調査では四人の朝鮮人の火葬認許証が発見され、その記事から海軍施設部による動員が確認されている。

各地の報告では地下工場関係のものが多かった。静岡の中島飛行機原谷地下工場を含め、詳細な調査が必要であると思った。

 

参考文献

兵庫朝鮮関係研究会『地下工場と朝鮮人強制連行』明石書店一九九〇年

(一九九一年記事を補足)