「基地ノー!ヘルプジュゴン」キャラバン隊 浜松へ
6月18日、東京を出発し、府中・横須賀を経て浜松へとキャラバン隊がやってきた。隊は団長の乱鬼龍氏(川柳作者・田中正造大学事務局)をはじめ、尾形憲氏(憲法学者・法政大名誉教授)ら5人(1人は途中で帰宅)。キャラバン隊は浜松から名古屋・京都・大阪・岡山・広島・山口・北九州を経て7月9日沖縄入りし、G8サミットに反対するNGOの諸活動に参加していく予定である。
 キャラバン隊は浜松基地のフィールドワークを午後おこなった。見学先は三方原航空毒ガス戦部隊跡、長池(基地排水)、ホンダ(飛行第七連隊跡)、航測連隊跡、浜松基地のAWACS,遮断された外周部分、警戒航空隊舎、広報館建物、正門などである。
 参加した尾形氏は元航空士官学校生。毒ガス戦基地跡で左腕を示し、「ここがイペリオットをつけた跡。大きな水泡ができた」と当時を述懐した。浜松では重爆、鉾田では軽爆撃の訓練がおこなわれ、友人の多くが特
攻で死んだという。
 フィールドワークの後、夜集会をもった。参加者は23人。乱・尾形両氏の話のあと、参加者が自己がかかわる運動とキャラバン隊へのメッセージを語った。
 浜松での外国人労働者、国労の動き、YWCAの沖縄ツアー。女性の会の申し入れ、反原発、静岡空港反対、日中友好、ピースサイクル、元兵士の語り部、マブイ上映運動、沖縄訪問報告、フィールドワークなどさまざまな面からの報告がおこなわれた。
 AWACSや軍事基地の存在からその本質をとらえ、批判する表現をつくりあげ、反戦平和にむけての行動をつみかさねていくことがもとめられる。
 集会はアピールを採択して閉会した。

「田中正造の精神に学ぶ」 乱鬼龍氏

 金も力もないが、なんとかキャラバン隊を立ちあげた。約100年前、田中正造は謝花昇や当山久三らの沖縄の民権派と交流している。正造は当山に歌を送った。足尾の反対運動では当時すでに一坪地主運動が展開された。谷中村とともに水没する運命にあった北川辺村では村あげての反対運動がとりくまれ、納税や徴兵の拒否で抵抗した。正造の骨は3県6ヶ所に分骨されているが、この村へも分骨されている。
 正造は「真の文明は山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし」と言っている。環境を守ることと戦争に反対することはつながっている。正造は国政への監視を語り、軍備の金廃を語り、人権をふみつける「公益」を批判した。朝鮮民衆の抵抗は正義としてみていた。ヤマトの側から沖縄と連帯した人物である。
 現在、群馬にはさまざまな問題がある。ひとつは宇都宮ミサイル連隊での地対潜ミサイルの配備計画である。高崎の弾薬庫から弾薬を補給して展開し、新潟・能登を経て朝鮮半島をにらんでの配備計画とみられる。群馬の小さな街にも外国人労働者が増え、サンバカーニバルもおこなわれるようになり、地域での国際性も出てきている。開発への抵抗もあり、遊水地への空港誘致や足尾銅山での産廃(ガイヤ計画)は反対運動によって止めさせた。
 かつて、中島飛行機の工場があり空襲をうけた。地下工場建設では強制労働があった。現在、強制連行被害者を追悼する碑の建設がすすめられている。
 田中正造の〈救現〉の想いをもって全国キャラバンをすすめていきたい。

 「沖縄はいま」 尾形憲氏
 浜松の陸軍航空基地跡をみて感無量だった。私は航空士官学校(通信)を出たが、軽爆は鉾田、重爆は浜松で訓練がおこなわれた。同期の操縦士の3分の2が死んだ。特攻隊としても出ていき、ポロポロと死んでいった。
 私はわだつみ会、日中友好、連帯、ピースボートなどの平和運動に参加している。沖縄へは今度で15回目になる。沖縄での証言でTVに全国中継したいと思ったのは宮森小での米軍ジェット機墜落事故のものだ。子どもたちが火だるまになって死んでいった証言である。米兵による学生ひきにげ事件の現場で追悼会や抗議集会をもった。
沖縄では米軍による事故や、兵士によるレイプや殺人事件が絶えない。
 ヤマト人として片身がせまいのは戦後、米軍はヤマトから沖縄へと基地を移していき、ヤマトの基地は10分の1となったが、沖縄の基地は10倍になった。ヤマトの基地は更に半分に減ったが、沖縄の基地は15%しか減っていない。
 ピースボートの体験で印象に残っているのはアルゼンチンの軍政下、沖縄からの移民が数多く逮捕されていたことだった。
 日本は米のいいなりになり名護への新基地建設をすすめている。日本は米の州以下、植民地同様である。ドイツの分断がおわっても、米軍はドイツに駐留しつづけた。朝鮮半島でも同様だろう。政府財政は645兆円の借金財政だ。更に1兆円かけて基地を建設しようとしている。財政はパンクする。これからも基地撤去にむけてたたかいつづけていきたい。




6月4日 日本山妙法寺平和行進団が浜松基地へ

6月4日午後日本山妙法寺の平和行進団が浜松基地へ平和行脚にやってきた。
NO!AWACSの会も彼らを基地近くで迎え共に浜松基地へ向けて行進をおこなった。
基地前では、自衛隊員にむけ憲法9条を読み上げ、人を殺すことがないよう、殺されることがないよう戦争・軍備を放棄することを訴えた。

私たちも、彼らの訴えに賛同し、基地前で基地もAWACSも空中給油機もいらないの意志表示のため横断幕をひろげたが、これに対し警察が「本日の行動にNO!AWACSの会ははいっていないから横断幕をおろせ」などと、反戦・平和の市民の声を圧殺しようとしてきた。こうした市民運動団体への差別的な行為に対し、平和行進団から「本日の行動の主催は私たちであり警察ではない、平和を求める共闘関係の仲間をこの行動から追い出すような差別的な行為は許さない」と抗議。私たちも最後まで横断幕を広げ共に反戦・平和を訴えた。