小牧基地の歴史と現状

  04.1.17浜松での「イラク派兵を問う連続講座3」山本みはぎさんの話から

● 自衛隊小牧基地の成立

 小牧に陸軍の航空基地の建設が決定したのは1940年のことでした。42年には住民65個の強制的な立ち退きが執行されて基地建設がすすめられ、44年1月に完成しました。この建設工事には朝鮮人も多数動員されていました。

 敗戦後は米軍の管理下となり、計5回におよぶ拡張工事が行われました。そして朝鮮戦争が始まった1950年6月には米軍の6101部隊がおかれ、52年末には戦闘機120機、兵員3000人の米軍の拠点基地となりました。一方三菱重工の小牧工場が52年8月から建設されています。55年3月からは大規模な拡張工事が行われ116戸と2寺院が移転を強いられました。

 基地の全面返還は1958年のことです。軍民共用の飛行場とされ、自衛隊の第3航空団が小牧を拠点とするようになり、59年に小牧基地が正式に発足します。その後、78年に第3航空団は三沢に移転し、小牧では第一輸送航空隊が編成されました。C130はこの第一輸送航空隊に所属しているのです。

 小牧基地は戦中に陸軍が不当に土地を取り上げて建設され、戦後は米軍が基地を強制的に拡張してきた歴史があるのです。

 

●      1990年代の小牧の派兵拠点化

 この小牧基地は1990年代にPKOや日米訓練のための派兵拠点となっていきます。C130輸送機が海外派兵に使われていくようになったのです。

 1992年のカンボジアPKO派兵の際、陸自の施設大隊を6機で派兵し、以後、93年にはモザンビーク、94年にはルワンダ、96年にはゴラン高原と次々に派兵されていったわけです。94年には国際緊急援助の名で東南アジア、オセアニアへの海外運行訓練が始められ、路線になれるとともに各地の空港のチェックをしています。

 また、97年にはカンボジアの邦人救出〔自衛隊法108条の邦人救出による〕を口実にタイまで飛び、98年のインドネシアの民衆運動の高まりの中で邦人救出を口実にシンガポールまで行きました。98年のホンジュラスのハリケーンの救援、99年の東チモールの難民救援、

2001年のインド地震、03年のイラン地震など、ことあるごとにC13Oを利用してきたのです。

 01年10月にはアフガニスタン難民の救援に加え、テロ特措法による米軍物資の国内や国外米軍基地間での運送をおこない始めます。03年7月にはイラク難民救援を口実にヨルダンまで飛び、03年12月にはついにイラク派兵の一員として小牧を中心とする空自の先遣隊がクウェート・カタールへと派兵されていくことになります。04年1月には小牧からイラク派兵要員の空自本隊とC130の派兵が狙われています。

 90年代は米軍との共同訓練がすすめられ、すでに1989年にはC130の派米訓練が開始されています。このときには低高度航法・物資投下・不整地着陸訓練が約一か月行われています。96年には共同訓練のコープサンダーへの参加をはじめ、低空飛行・物資投下・短距離離着陸・不正地着陸などの訓練をしています。99年からはコープノースにも参加をはじめます。03年には浜松のAWACSとともにアラスカに行き、またグアムの共同訓練にも派兵されているわけです。また小牧基地への米軍機の使用も90年代に増加し、96年には62回、2000年には47回、99年には38回に及びます。

このように、小牧のC130はさまざまな口実で海外への派兵を繰り返し、海外での軍事行動を行うための訓練としてきたといえます。

 ●空中給油機の小牧配備計画

 現在、小牧基地の面積は118万平方メートル、隊員1700人、航空自衛隊最大の輸送隊として輸送機16機〔実働は13機〕をもっています。C130は人員92人〔完全武装のときは64人〕、ジープ3台、大砲・装甲車も運ぶことができます。航続距離は最大20トン積載で、沖縄から北海道まで飛行できます。海外派遣用の航続能力はもともとないのです。

 99年にはF4用の格納庫の新設がはじめられています。

 ここに06年に4機の空中給油・輸送機を配備する計画がすすんでいます。中部新空港ができて名古屋空港の移転することになります。名古屋空港の管制が防衛庁となっていく状況の中での配備です。01年には三菱が買収をすすめる動きも報道されています

 この配備の動きの中で、03年7月春日井市長は「断固拒否」と発言しましたが、11月には空中給油機配備は「機能強化にあたらない」と容認しています。12月防衛施設庁側は県と春日井市に配備を説明し、配備が正式に表明されました。04年予算で28億円の格納区建設が計上されています。浜松のAWACS、小牧の空中給油機、小松のF15や三沢のF2とセットになれば、この中部は海外派兵と侵攻の拠点となっていくといえます。

 愛知県内には三菱重工や豊和工業などの軍需工場があります。小牧南工場では三沢に配備され浜松にも一機あるF2を生産しました。三菱ではミサイル生産やF15やF1などの最終組み立て・整備・修理などもおこなっています。豊和工業では小銃を生産しています。また、陸自の春日井〔施設・偵察〕、守山〔第10師団〕、豊川〔砲撃〕部隊や空自唯一の弾薬庫などの基地もあります

 今後のイラク戦争の展開の中で愛知はいっそう戦争の拠点となっていくとみられます。

 

●      イラク反戦運動の横のつながりを

 9.11以後、アフガン・イラクと2つの戦争にこの国は参戦しました。1992年のカンボジア派兵から10余年、こんなに速い展開となるとは思いませんでした。わたしたちは、これまで不戦へのネットワークの活動をすすめてきましたが、あらたに有事法制反対ピースアクションを立ち上げました。そして、イラク攻撃反対、派兵反対の活動をすすめてきました。多いときには1000人を越える人びとが名古屋での集会とデモに参加しました。今日は小牧基地前で派兵に反対して人間の鎖行動を行い1400人が参加しました。

 自衛官家族への呼びかけも行い、ホットラインも設置しました。時代の流れが速く十分に対応できてはいないのですが、派兵に反対して反戦平和の活動をすすめるとともに、人と人とが交流し全国をつなげていくこともすすめたいと思います。横断して各地がつながり互いに顔の見える関係を作っていくことは大切な活動だと思います。

 1月22日には小牧から政府専用機で空自の本隊が派兵され、26日にはC130が派兵されます。わたしたちは小牧基地前で座り込みをして「派兵反対」の意思表示をする予定です。

 浜松のみなさん、ともに派兵に反対する活動をすすめていきましょう。