2004年11月21日 神奈川からの現地調査団を迎えて
浜松基地へとイラクからの撤兵を要請
2004年11月21日、かながわ平和憲法を守る会の現地視察団(第9回かながわ反戦ツアー)が浜松を訪問した。
調査団を案内して、浜松城公園の戦災者追悼碑(1979年)・日朝友好碑(1959年)、陸軍基地跡(長池、毒ガス戦部隊跡)、浜松基地周辺などの戦争史跡を歩き、過去・現在の状況をみた。
浜松城公園では交流集会がもたれ、NO!NO!BANDが、平和・追悼・友好への想いを込めて、花・反戦のバラ・ソウルからピョンヤンまでの3曲を唄った。毒ガス戦部隊跡では、パネルを使って過去現在の軍拡の歴史を紹介した。浜松基地前では、イラクからの撤兵を要請した。要請行動には神奈川の仲間を含めて13人が参加した。要請後、空自の広報館を見学し、軍事宣伝の実態を見た。
参加した神奈川のメンバーには、厚木や横須賀で反戦平和の取り組みをすすめている人たちもあり、厚木での米軍機の爆音に反対する裁判闘争や横須賀での反基地運動についての紹介もおこなわれた。3時間の現地視察であったが、過去と現在を貫く戦争責任について考える内容が提示された。
なお、11月14日、遠鉄浜松駅前でファルージャ攻撃に抗議して街宣をおこなった(参加4人)。
以下要請文
内閣総理大臣 小 泉 純一郎 様
防衛庁長官大 野 功 統 様
浜松基地司令 堀 好 成 様
イラクからの自衛隊の即時撤退を求める申し入れ
私たちは今,言いようのない悲しみと怒りに包まれています。
米軍とイラク「政府」軍によるファルージャへの全面攻撃は,アルジャジーラの映像も物語っているように,一般市民への無差別の大量虐殺であり,紛れもなく戦争犯罪です。大量破壊兵器の存在という虚構の口実でイラクを攻撃し,占領しておきながら,自らはクラスター爆弾という残虐兵器を使っています。昨年3月の開戦以来,既に10万人ものイラク民衆が米軍によって殺されています。これは明らかに,ハーグ陸戦規約をはじめとする戦時国際法が禁じている非戦闘員も巻き添えにする大量殺戮です。そして,日本の自衛隊も,武器や兵員の輸送等を通じて,この米軍の行動を支援しています。
しかし,これは,@軍事占領という交戦当事者の行為への加担は国権の発動としての交戦権の行使に該当すること,A事実上米軍の指揮下にある多国籍軍に参加することは集団的自衛権に踏み込むものであること等から,憲法及び国際法に違反するばかりか,Bイラク全土に非常事態宣言が発令され,現にサマワの宿営地も被弾するという状況で,「非戦闘地域」という概念を前提としても,現在のイラクにそのような場所はありえず,小泉内閣が会期延長の末,週末の深夜の国会で強行した「イラク特措法」に照らしてさえ,自衛隊がイラクに駐留する法的根拠は崩壊しています。
しかも,米国の攻撃を支持し加担する日本の態度は,イラク民衆の怒りをかっており,日本人であるがゆえに攻撃の対象とされる事態も起きています。昨年秋には,大使館の関係者及び現地人の運転手が襲撃・殺害され,今年に入ってからも,ジャーナリストやボランティアや旅行者たちが拘束されたり殺害される事件が続いています。サマワでは自衛隊撤退を求めるデモも起き,日本の世論も,6割が自衛隊の撤退を求めています。
イラクの復興と治安の回復は,軍事占領や今回のような一方的軍事作戦が続くかぎり,現実のものにはなりません。それに加担する日本も同罪です。
こうした状況でイラク派遣の理由をいくら人道支援と強弁しても,今やその欺瞞性は明らかです。攻撃対象とされ宿営地から外に出られない状況では活動はできませんし,そのコストがNGOが行なった場合の数倍もかかることも明らかにされてきました。
間もなく派遣期間の期限切れを迎えます。報じられているような派遣期間の延長などとんでもありません。12月14日という期限切れを待つことなく,速やかにイラクから撤退するよう求めます。また浜松基地司令が自衛隊のイラクからの撤退を上申することを求めます。
2004年11月21日
かながわ平和憲法を守る会 NO!AWACSの会・人権平和浜松
(T)