2005年9月11日(日)14時から
「アラブの人々からみた自衛隊イラク派兵」
上映会
「9・11以後表現の自由は今」
立川テント村からの報告
9・11以後 表現の自由は今 井上森(
立川テント村)
●はじめに
立川自衛隊監視テント村は1972年の自衛隊の立川への移駐に反対して結成された団体です。かつて立川には米軍基地があり砂川闘争が闘われてきたのですが、自衛隊が移駐し、また昭和天皇記念公園がつくられました。この中で反天皇制の闘いも行われてきました。テント村の活動としては反軍放送や基地への申し入れ、官舎へのビラいれなど自衛官への呼びかけを重視してきました。
● 反戦ビラ弾圧
2004年2月27日、自衛隊イラク派兵が強行される際にテント村のメンバー3人が自衛隊官舎へのビラ入れを「住居侵入罪」とされて令状逮捕され、3月19日には起訴されました。警視庁公安2課・立川署が6箇所を家宅捜索しました。勾留は75日に及びました。
2004年12月には東京地裁八王子支部で「表現の自由」が尊重されるべきという視点から無罪判決を勝ち取りましたが、検察側は控訴しました。2005年6月以降、救援会は全国ツアーをおこなってきました。この9月からは第2審が始まります。仲間が逮捕されたために、この間ずっと救援の活動を担っていました。裁判では、立川署が誘導する形で「被害届」を提出したことが明らかになっています。
● 弾圧の際のさまざまな反応
仲間が拘束されずっと勾留されるなかで、イラク派兵が始まり、ファルージャやアブグレイブが報じられ、またイラクでの武装抵抗の動きなどが伝わってくる情況下でした。
自衛隊や警察への激しい怒りをもった人もいました。
一方検挙当日のTBSの報道は「警察は自衛隊に対するテロ攻撃の警戒を強めており、同団体の実態解明につとめています」と、犯罪視した解説でした。自衛隊員の官舎に住む人の発言を雑誌記者が採っているのですが、「ビラは大して気にしていないし、捨てちゃえばいい」と言っています。
こんなことでつかまるなんて「立川署に裏切られた」と思った人もいました。「ドアポストまで行かない」という市民グループもあります。弁護士の中には当初、「(ビラ以外に)何かやったんだろ」と考えた人もいましたが、本当にビラだけで検挙されていることがわかると、熱心に弁護活動を担ってくれました。アムネスティインターナショナルは「良心の囚人」に認定しました。ビラ配りで検挙される国は少ないのです。
● 表現の自由のために
わたしたちは自衛官とその家族を読み手としてビラを書きました。ビラによって自衛官や家族が動揺すると検察は言いますが、政府のイラク派兵政策が動揺を生んでいるのです。奥平康弘さんは「情報が氾濫する社会では不快な情報にさらされる可能性は常に存在する。それを受忍する主体が情報社会の条件」といっています。
今回の反戦ビラ弾圧には国家意志が働いています。本庁公安による捜査であり、検察とも一体化しています。また自衛隊内で「犯罪化」にむけての意思一致がなされています。イラク戦争後、反戦落書きやビラ、君が代反対でのビラまきなど、表現の自由に対する弾圧事件が数多く起こっています。学校の敷地内に半歩入ったことを口実にしてのチラシまきでの検挙なども起きています。警察・検察はビラ弾圧を相次いで強行する中で、「表現の方法」が悪いとするような論点のずらしをおこなっていますが、実際には、批判的な表現行為を萎縮させ、「表現の自由」を侵害しているのです。
● おわりに
対テロ戦争は世界に戦線を引いています。アメリカでは愛国者法が制定され、多くの無実者が検挙されています。イギリスでは誤認されてブラジル人が射殺されました。韓国では「テロの脅威」のポスターが増えました。このような国家による対テロ戦争を口実とした監視強化とその分断線に抗する、反弾圧の強い団結が求められていると思います。
反戦ビラ裁判は控訴審に入ります。また立川には偽りの昭和天皇記念館が10月に開館します。この開館に対しても抗議していきたいと考えています。注目と支援を呼びかけます。
(2005年9月11日・浜松での講演、文責人権平和浜松)