イラク戦争3年・3・19浜松平和行動 
@
14時から・映画と講演の集い
  「ファルージャからの証言」上映
    講演 国民保護法を問う
講師山本英夫さん
(派兵チェック編集委員会)
  会場浜松市ザザシティ中央館5階
         パレットB室

A17時から・JR浜松駅北口市民の木前
        ピースアピール

             呼びかけ 人権平和浜松

3月19日イラク戦争3周年浜松平和行動報告

映画『ファルージャからの証言』上映、山本さんの講演「『国民保護』態勢を問う」の後、国民保護への対抗について討論し、浜松駅前で横断幕と演奏とチラシ撒きで反戦平和を呼びかけました。以下講演の要約です。

 

「国民保護」態勢を問う 

3・19 山本英夫さんの講演のまとめ

●「国民保護」というごまかし

 こんにちは、浜松の皆さん、山本です。イラク戦争に反対の声はあるのですが、憲法を破壊する「国民保護」に対しての感度は鈍い状態です。それが問題です。ここでは国民保護態勢の問題点を示し、それにどう対抗してくのかについて話したいと思います。

 「国民保護」というとあたかも善意で受け止めがちです。少なくとも戦闘シーンを思い浮かべるよりも、「防災」や「避難」を想起してしまいます。政府が国民の「安全」を考えていると錯覚させています。そこではイメージ操作がなされているのです。

しかし、その本質は日本が戦争のできる体制をつくることであり、国民保護態勢はその重要な柱なのです。

 

     国民保護法とは

国民保護法とは「武力攻撃事態等における国民の保護ための措置に関する法律」の略です。この外に有事6法があり、武力攻撃事態法では第5条で地方公共団体の責務、第7条で国と地方公共団体との役割分担)、第8条で国民の協力等を定めています。これらの戦争法の骨組みとしては自衛隊法、防衛庁設置法、さらに周辺事態法があるわけです。

批判意見の中には「国民に使えるものにすればいいという」意見もありますが、国民保護法には戦争をするという国家意志が貫徹されています。「国民保護態勢」づくりがすすむ中、様々な「改革」を訴えることは必要ですが、この基本を押さえて抵抗していくことが肝要だと思います。

今全国各地で、「国民保護態勢」が、都道府県・市町村での国民保護関連条例のかたちでつくられています。浜松でも3月はじめに条例が成立しています。この態勢は、武力攻撃事態法を基本法とし、国民保護法によってつくられています。国は国民保護指針を策定し、これを基本にして各都道府県は国民保護計画を策定しているのです。それは国(指定公共機関)から都道府県(指定地方公共機関)へ、さらに市町村へという上位下達の構造なのです。

国民保護法は本文が195条というたいそうなものです。条文の量は多いのですが、「国民保護」の中味はほとんどありません。

条文を見ていくとa)総則(1章)、b)避難(2章)、救援(3章)、災害対処(4章)、生活の安定(5章)、復旧・備蓄等(6章)、c)財政上の措置(7章)、d)緊急対処事態に対する措置(8章)、雑則(9章)、罰則(10章)、事態対処法の一部改正(11章)、付則から成り立っています。

このなかの総則は、武力攻撃事態法を受けたものです。「国民保護」とは、国が行う武力攻撃事態等に、国を挙げて備えるということです。そこで、指定公共機関も指定地方公共機関も国民も住民も取り込んでいこうとするのです。

武力攻撃事態等とは、直接には目本有事があり、自衛隊法による防衛出動がおこなわれていくことですが、「事態」はそれに止まらないものです。そこには武力攻撃予測事態と重ねて周辺事態への対処も含まれます。さらに、米国はグローバルな終わりなき対「テロ」戦争をすすめるわけですから、対「テロ」としての緊急対処事態についても同盟国である日本は同様な対応を強いられるわけです。

この緊急対処事態には、「不審船」「大規模テロ」等への対応も含まれ、警察、自衛隊、海上保安庁、地方公共団体等が一体になって対処することが、武力攻撃事態法第24条に謳われています。

米国の先制攻撃を支援する日本は、米国(米軍)と一体になって戦かおうとしています。そのため、在留者をむくめて日本国民はそれに協力すべきとされています。そのための動員法が国民保護法であり、関連条例です。

 

●民間防衛と戦争動員がその本質

「国民保護法」の本質は、「戦争協力・戦争動員法」なのです。しかし法律や条例を読んでも分かりにくいものです。わたしたちは、過去の歴史から想起する必要があります。沖縄戦や集団疎開は端的な事例ですし、朝鮮戦争での日本の戦争協力の事例も参考にすべきです。近くは自衛隊のイラク派兵に伴う地方公共団体や商工会議所等の激励なども参考にすべきでしょう。

「国民保護」という言葉は、本来「民間防衛」と訳される言葉です。ジュネーブ条約追加議定書(議定書1)での訳を、政府は「文民保護」と意図的に訳しています。これは交戦を前提にしての民間防衛のことです。国民保護法は「民間防衛」法として制定されているのですが、その本質がわからないように、国民保護という用語が意図的につかわれているのです。「国民保護法」は現憲法で否定されている交戦を前提とした法律なのです。

ですから、軍事行動と「国民保護」の関係は一体不可分なものです。そこでは、平素からの戦争体制づくりがおこなわれ、「国民保護」の訓練や啓発活動が行われます。「国民保護」には協力すべきとなっていますし、それは国が行う「侵害排除」という名の戦争への協力にむけてのものです。この際、住民は、「保護」される対象であり、いいかえれば放置されたり、見捨てられるということでもあるのです。福井県美浜での訓練では高齢者は足手まといとされ、除外されていました。主語は国であり、住民は「動員」される対象です。

 

●国民保護法の問題点

このように国民保護態勢とは、上意下達の戦争体制づくりなのです。武力攻撃事態等を認定するのは国であり、都達府県さらに市町村に指示がおろされます。地方公共団体は、国の戦争マシーンとして組み込まれていくのです。

都道府県知事は、単に「国民保護措置」を実施する機関ではないのです。同時に自衛隊法第103条等の徴用発令をおこなう立場であり、武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律の執行官に位置付けられているのです。つまり、軍事行動の一環を担う立場に立たされているのです。

自衛隊の国民保護等派遣(自衛隊法第77条の4)と「侵害排除」行動との関係についてみておくことも必要です。ここでは、「侵害排除」という戦闘行動が優先されます。国は、武力鎮圧を真っ先に行おうとするのであり、余裕があれば、「国民保護等派遣」(避難の先導など)に応じる態勢をとるのです。ところで、武装した自衛隊は防衛出動であれ、国民保護等派遣であれ、同じ武装集団です。「敵」に狙われるという意味では、住民からすればかえって危険です。

防災と武力攻撃災害との関係についてもみておかなければなりません。国や地方公共団体は防災対策と「武力攻撃災害」への国民保護対処とを重ねて考えています。これは戦前から同じ発想です。

国は既にできあがっている防災体制に戦争体制を重ねて、労することなく国民保護対策の仕組みをつくろうとしています。しかし防災は自然災害であり、武力攻撃事態(戦争)は、政治の貧困が生み出す人災にほかなりません。戦争が自然に生じることは決してないのです。壊れている、燃えている、被災者がでた等、現象が似ているから同じように扱うことはまちがいです。防げるものを不可抗力のように宣伝し、いっそう危険な事態をつくりだそうとしているのです。

 

●東京都の動向

東京都は、「国民保護態勢」づくりを、2004年9月17日から公然とスタートとさせたのですが、これは国が国民保護法を施行した日です。同日付けで総務省と防衛庁が都道府県に通達がおろし、施行規則等を通達、防衛庁は陸海空の都道府県担当部隊を指示しています。この1例を見ても、国民保護態勢が上意下達であることが分かります。すでに都は2004年度当初から下準備を開始しています。同年7月には対「テロ」図上演習を行っていたのです。

都は1029日、第1回国民保護計画策定検討会議を始めました。全庁的な会議であり、2つの分科会(救援と避難)をつくり検討してきましたが、情報は非開示です。多くの問題点の全庁的な突き合わせが必要なのですが、何も情報開示されていません。2005年5月25日には第1回国民保護協議会を開催しました。石原知事は「超法規的対処」を扇動したのですが、会長の任務すら放棄し、放言するや否や退室したのです。5月24日、東京都参与の志方俊之(元北部方面隊総監)が区市町村担当者会議の研修会で、「先制攻撃」等を肯定的に発言しています。8月29日、第2回国民保護協議会では国民保護計画素案が提示され、1124日の第3回国民保護協議会では国民保護計画(案)が公表されました。2006年3月中旬段階で最終調整中です。近県3県との調整後、内閣に協議して閣議決定を経て、決定するという動きです。

なお静岡県では2006年2月に県の計画が承認され、市町村レベルでの条例制定がすすんでいるということです。

 

●東京都「国民保護計画案」の問題点

東京都「国民保護計画案」(本文261p)の問題点をみてみましょう。

対「テロ」重視といい、テロ等への対処に関する事業者等連絡会議(仮称)の設置やマニュアルの整備等をおこなうとしていますが、こんな仕組みで1200万都民(昼間は1400万人を超える)の安全を守れません。都は、米軍基地や自衛隊基地に対しては危険な施設と考えていません。そればかりか緊急時に協力してくれとか、避難路として通過させてというばかりです。問題の本質が全く理解されていません。東京都は日本国の政治経済の中枢であり、米軍基地や米英国等の大使館などもあります。 1200万都民を避難させることは不可能です。

国民保護法も都の国民保護計画も人権に配慮するといいますが、何の担保もありません。「侵害排除」という戦時の混乱の中で、警察等は地域戒厳体制を敷くことが予想されます。それにむけて共謀罪の制定や警察官職務執行法の抜本改悪がねらわれています。

 都民への情報の提供についても、事態発生に際して、都は避難等に関する情報を流すといいますが、それが住民の安全に繋がる保証は何もないのです。情報の提供者は、国(主に防衛庁・自衛隊)であり、軍事優先だからです。

都道府県と区市町村の関係についてみれば、都はこれまで区市町村に対して国からの通知を出し、意見照会、研修等をやって指導を行ってきました。これに対し、国立市立川市は意見を都にあげましたが都は無視しています。都の指示の下、区市町村は避難の実施部隊として位置付けられます。だから矛盾がより見えやすい立場にあるということもできます。

静岡の「保護計画」でも同じことが言えるでしょう。

 

●「国民保護」への抵抗にむけて

 ではわたしたちはどのように闘っていけばいいのでしょうか。

第1に「国民保護」態勢とは戦争協力・総動員態勢であり、それが憲法違反であることを確認すべきです。前文、9条ばかりか、11条基本的人権、13条個人としての尊重、19条思想・良心の自由、29条財産権、92条地方自治、99条公務員の憲法尊重義務、等に違反し、立憲主義そのものに反するものです。この態勢は社会の中に改憲状況を構造化させ、憲法違反を蔓延させるものです。だから改憲阻止の闘いの核心となるべきものです。反基地闘争との共同した闘いも求められます。

第2に都道府県と市町村の狭間にある溝(両者の矛盾)を突く方策を考えるべきです。これは前者が避難計画を策定し、後者が避難を直接担当するなど矛盾は少なくないはずです。

第3に、東京都では東京大空襲を記念する「平和の日」があります。自治体外交もすすめられています。こうした平和的な関係をすすめてきた歴史に依拠することが大切です。

 第4に、情報公開請求です。これは面倒ですが、しっかりとやることです。上意下達という構造を批判し、一方で良きにつけ悪しきにつけ、自治体の独自性も見逃さないことが重要です。計画の検討過程は非公開の可能性が大ですが、これを暴露し行政の案がどれだけ信用ならないかを明らかにすることです。

 さらに、訓練や啓発(研修)に対する抗議行動も必要です。例えば2005年1127日の福井美浜原発、20063月7日の千葉県富浦での小学生まで動員した実働訓練に対しても批判が必要です。

最後に総括的に申しあげますと、人権と自治を創りだすこと、これに尽きると思います。また平和とは何か、武力で平和はつくれないという原点をどう活かすのかも課題です。この国民保護をめぐる動きを自らの課題として自身に引き付けて考えるということが求められていると思います。

民間防衛・戦争動員に対し、創意工夫を積み重ねて不服従抵抗運動をつくりだしましょう。